第三話 付き人の二人

 トントン、と部屋の戸が数回鳴る。音羽インユウはその場から動けず、彼女を想った李明リミンが代わりに来客に対応した。そして向かった戸の先にいるであろう人物の対応後、音羽インユウの許に戻り、彼女にそっと呼びかける。


音羽インユウ様。武官の爽刀ソウダオが参りましたわ。なにか音羽インユウ様に用事があるみたいで……。こちらにお通ししてもよろしいですか?」


 音羽インユウの昏い双眸に、柔い光が宿り始めた。ゆっくりと李明リミンを認識してから音羽インユウはその問いについて頷いた。

 李明リミンはその答えを見届けると再び戸に向かい、そして訪ね人である爽刀ソウダオを部屋の中へと招き入れた。


「おはようございます、音羽インユウ様。爽刀ソウダオでございます」


 爽刀ソウダオは休む音羽インユウのそばに寄り静かに腰を落とし、頭を低く垂れ官服の袖を掲げた。


「お元気そうでなによりです。凰の森で発見したときは意識が揺らいでおられましたから、心配していたんですよ。いやー、よかったよかった」

「毛ほども心配の色が感じられないのだけど」

「思ってはいるさ、見えないだけで」


 爽刀ソウダオがああ言えば、李明リミンがこう言う。これが音羽インユウがいつも夢見る、温かい光景かたちだった。

 当人たちがどう思っているかはわからないが、少なくとも音羽インユウは二人はとても仲が良いと思っていた。まるで夫婦めおとのようだ。


(わたしと、鳳凰様よりも、ずっと)


 その言葉を吞み込んで、音羽は笑顔を彼らに向けた。


「そういえば、爽刀ソウダオ。あなた剣舞祭に出場していたのではなくて?」

「俺の出番はもう少し後! 鳳凰王から、音羽インユウの様子を見てこいと言われてね。休憩がてら伺いに」

「そう、だったの」


 鳳凰に気を遣わせてしまったことに申し訳なさを感じる。罪悪感からまたうつむいてしまった音羽インユウの頭を爽刀ソウダオが優しく触れた。突然のことに音羽インユウは目を見開いて爽刀ソウダオを見つめる。


爽刀ソウダオ?」

「気にすんな、王も、きっとこう言う」

「ちょっと爽刀ソウダオ! 無礼よ!」

「少しくらいいいじゃねえか。小さいころからの仲だろう。なあ音羽インユウ?」

「うん」

音羽インユウ様まで! もう、甘すぎますわ!」


 二人は彼女を〈姫巫女〉としての音羽インユウではなく、ただの音羽インユウとして接してくれる。彼女にとってはかぞくも同然の存在だった。



 李明リミンはもともと、音羽インユウと同じ〈姫巫女〉候補の女性だった。結局彼女が選ばれることはなかったが、それでもこの凰城に残りたいと家に戻ることを辞めて女官になった、いわゆる変わり者だった。なんの因果か運命か、今は彼女がなるかもしれなかった〈姫巫女〉の音羽インユウの側近として毎日働き、彼女の心身ともに付き添っている。

 爽刀ソウダオは武家の名家に生まれた三男坊でありながら、武術大会で名を馳せ次期当主候補とまで言われていたが、いつか鳳凰にその腕を買われ〈雲雀〉に入隊した、こちらも変わり者であった。現在は〈雲雀〉の第一部隊にて副隊長を務めており、また音羽インユウの護衛としても活躍していた。


 二人とも、なにも返すものがない自分によく尽くしてくれていると音羽インユウは思っていた。

 もっともその当事者である二人は、鳳凰の命令以外にも自分の意志で音羽インユウに仕えているのだが、彼女がそのことに気づくのはもう少し先の話である。



「……そういえば、わたしに用事ってなんだったの、爽刀ソウダオ?」

「え? あー……ただの口実ですよ」

「口実?」

「王に様子を見に行けと言われたのは本当。でもそれだけじゃあ中に入れてもらえないと思ってね」


 爽刀ソウダオの言葉に図星だった。こころの内を見透かされたような感覚に音羽インユウはなんだか恥ずかしくなった。

 きっと様子を見に来たとだけ伝えられていたら、放っておいてほしいと彼を突き返していたことだろう。うまい人だな、と音羽インユウは自分のこころに気づいた彼に負けた気がして、少しむっとした。


「……ずるいわ爽刀ソウダオは」

「そうですね。俺はずるい男です」


 それでも彼を嫌うことはできない。爽刀ソウダオは屈託のない笑顔を音羽インユウに見せる。つられて音羽インユウも笑った。こういうところがあるから彼は憎めないのだ。


 ふと、音羽インユウは気になったことを爽刀ソウダオに訊く。例の青年についてだ。


「ねえ爽刀ソウダオ……。昨日凰の森にわたしを探しに来たのは〈雲雀〉の方々? なにかお礼をしたいのだけど、わたしそのときのことあまり憶えていなくて」

「はい。捜索には俺の部隊が出ました。いつも森の湖に行っていることは知っていたので、その周辺を捜したところ、すぐに御身を見つけることができました。……いや、少し違うか。森の動物たちが俺たちのことをあなたの仲間だと理解したのか、道を誘導してくれましたからあなたを早く見つけることができたんですよ」

「……え。ほ、他にだ……なにもなかった……?」

「? ええ、音羽インユウ様と森の動物たちしかいなかったですよ?」


 音羽インユウを発見した当時、彼女以外にあの場所に人はいなかったと爽刀ソウダオは言った。

 彼の言葉に音羽インユウは無意識のうちに安堵の息を吐く。


「そう……。元気になって、あるべき場所に帰ることができたのね」

「良かったですね、音羽インユウ様」

「うん」


 熊が無事で安心したと思っている李明リミンがそばにきて、きゅっと音羽インユウの冷たくなっていた手を握った。

 李明リミンから伝わる体温に、音羽インユウはどこかで気が緩んでいくのを感じて、気がついたら自然と微笑んでいた。

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