孤狼の寵愛は女狐のみにあり〜新皇となった幼馴染は、どうやら私と離れると闇堕ちするらしい〜

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

 さい王宮に孤狼あり。


 孤狼、名を有竣ゆうしゅん


 先の春、永年の内乱を平定し、玉座に就けり。


 孤狼は賢帝なり。


 しかしながら女狐に狂う。



 女狐、名を春華しゅんか


 今の春、孤狼と同郷のよしみもって、王宮に上がれり。


 女狐は女妖なり。


 邪術を操り孤狼をろうす。



 六宮は寒として、一舎のみ春をむる。


 華帳、薫香、世の寵も。


 全ては女狐、春華の内。


 世界の全ては彼女のもの。



 嗚呼、憎らしや、うらめしや。


 嗚呼、うらやましや、ねたましや。




  *  *  *




 ──いやぁ、違う違う違うぅぅぅっ!! 違うんですぅぅぅっ!!


 宴席にてどこからともなく聞こえてくる流行歌を聞いてしまった『女狐』ことれん春華は、内心で顔を引きらせながら大絶叫していた。


 ──確かに! この状況を見ていたらっ!! そう歌いたくなるのも分かるよ? 分かるんだけどさっ!!


 同時に、ギクシャクとしか動かない首で本日の己の『椅子』を見上げた春華は、そこにあるが浮かべた表情を視界に収めた瞬間『ヒェッ』と小さく悲鳴を上げる。


 ──実は逆! 逆なんだってばっ!!


 本日の春華の『椅子』こと、『孤狼』おう有竣は、冕冠べんかんから垂れる飾りの向こうからひどく冷めた視線を広間に向けていた。


 有竣の胸板に頬を預け、膝の上に横向きで座している春華には、広間で宴に勤しんでいる臣下達からは見えない有竣の表情の変化が逐一見えてしまっている。


 ──『女狐』が『孤狼』をたぶらかして後宮に引き留めてるんじゃないのっ!! 後宮から出ていこうとしない『孤狼』を毎日毎日『女狐』が何とかなだめすかして政務に送り出してるんだってばぁっ!!


 今日の宴だって、春華が必死に説得しなければ、有竣は完璧に存在を無視して後宮に入りびたっていたはずだ。


『何でそんな面倒なトコにわざわざ顔出さなきゃいけないの? やりたいやつらが好き勝手にやっとけばいいじゃん。僕はそれよりも春華とのんびり庭の景色を眺めながら、春華と二人きりで、春華が淹れてくれたお茶を飲んでいたいんだけど』とゴネにゴネまくり、最後には『宴に出席するやつらの首を全員ねちゃえば、出席者がいなくなるわけだから宴もなくなるよね? あ、会場を燃やしてなくした方が手っ取り早いか』と己の剣を持ち出した有竣を誰が説得したと思っているのか。


 今ここに全員が無事に揃い、穏便に宴ができているのが誰の功績によるものなのか、春華はこの場でひとつ演説を打ちたい衝動に駆られている。


 ──そんな歌を宴席でわざわざ歌って遠回しに嫌味を言うくらいだったらさぁ! コイツの幼馴染離れにちょっと協力してくれてもいいじゃないのよぉっ!!


 春華は思わず飲み込みきれない溜め息を唇からこぼす。


 だが、それがどうにもいけなかった。


「春華?」


 耳で溜め息を聞いたのか、あるいは立派な装束に包まれていても密着していれば肌で分かってしまうものなのか。


 春華の溜め息を敏感に察知した有竣は、『皇帝』ではなく『幼馴染』としての声で春華の名前を呼んだ。


 誰にも聞き取れないくらい小さく落とされた声は、春華にしか聞こえていない。


 だが……いや、、春華はビクリと肩を跳ね上げた。


「どうしたの? 疲れちゃった?」


 心配そうな声音に、春華は反射的に顔を跳ね上げる。


 そして視線の先にある秀麗な顔に浮かんだ笑みに、本日二回目となる『ヒェッ』という悲鳴をこぼした。


「それとも、あのつまらない歌が聞こえちゃった?」


 声音はひどく柔らかでありながら、有竣の顔には殺意をはらんだ笑みが薄っすらと浮いていた。立派な冠に隠されたこめかみには青筋まで浮いている。


 ゆったりと肘掛けにあずけられた右手の指先が、何かを求めるかのようにワキワキと蠢いているのは、恐らく愛剣を求めてのものだ。これは恐らく、春華が膝の上にいて、下手に動くと春華が転がり落ちるから控えているだけで、本心で言えば今すぐ剣を抜きたくて抜きたくて仕方がないに違いない。


 その推測を裏付けるかのように、有竣は笑みを浮かべたまま、低く地を這うような声で続けた。


「ちょっと待っててね。今の歌を歌ってるやつら、全員今すぐ殺すから」

「ぜっ、全員……っ!?」

「この場にいるヤツらは僕が直々に首をねて、この場にいないヤツらには追捕の令を出しておくね」


 まるで『塩が切れてたから、買って補充しておくね』とでも言っているかのような風情で告げた有竣は、次の瞬間スッと笑みをかき消した。


 後に残ったのは、触れればこちらが斬れそうな、深くて冷たい殺意のみ。


「春華をけなす歌も、人も、全てこの世から消してやる」


 ──はい来ました、暴帝仕様の汪有竣っ!!


 他人がこんなことを言ってきた暁には『またまた〜』と笑って流してしまう春華だが、有竣の発言だけはそんな風に適当に聞き流すわけにはいかない。


 何せかつて一度、春華がその手のを軽く受け流してしまったからこそ今がある。


 片田舎で平凡に暮らしていたはずである有竣が内乱を平定して国を手中に収め、玉座を我が物にして笑顔で春華を迎えに来てしまった、などという、いまだに信じがたいが。


 ──ここで『またまた物騒な冗談ねぇ〜』なんて答えたら、この広間が血の海に沈むっ!!


 それも今すぐ、即刻だ。


「あ、あ、あーっ! そっ、そうだ有竣! 私、まだ茘枝ライチって食べたことないんじゃないかなぁーっ!?」


 視線を左右に泳がせた春華は、とっさに傍らの盆に盛られた果物に気付いて声を上げた。


 唐突な話題変更に加えてひっくり返った声、さらに棒読みな台詞セリフと違和感しかない発言だが、それでも有竣は律儀にパチパチと目をしばたたかせながら春華の話題に付き合ってくれる。


「茘枝? 食べたいの?」

「う、うん! そこの盆に、ちょうどよくあったりしないかなぁー……なんて思ったり?」

「おい」


 春華の発言を受けた有竣は、威厳と威圧が込められた『皇帝』としての声を上げた。その一言で意味を察した近習がサッと盆を取り上げ、有竣が差し伸べた指先へ盆を差し出す。


 有竣が盆ごと奪い取るように受け取ると、近習はササッと元の場所まで下がっていった。それを確かめてから盆の中へ指を差し入れた有竣は、茘枝を一粒取り上げると春華の手元へ運ぶ。


「これが茘枝だよ、春華」


 そう春華に語りかける声はすでに『幼馴染』のものに戻っているのだから、随分と器用なものである。


 ──これ、無自覚なんだよね、確か。


『いつか臣下に知られて足元すくわれるわよ』とも『そんなんだから私が誑かしてるとか言われるんじゃない!』とも思いつつ、春華は恥を忍んでもうひと押ししてみることにした。


 そう、全ては有竣を暴帝化させないため。世のため人のため、世界平和のために。


「た、食べさせてほしい、なぁー」


 羞恥に内心で『ミギャァァアアアアッ!!』と叫び声を上げながらも、春華は必死に上目遣いをしながら有竣に甘えてみた。春華のこの上目遣いと『お願い』に有竣が滅法弱いことは、すでに嫌になるほど学習済みである。


 その証拠に、有竣は先程までの殺意はどこに放り出してきたのかと問いたくなるほど表情を蕩けさせた。


「もちろん、いいよ。いくらでも食べさせてあげる」


 そう言いながらご機嫌で茘枝を剥き始めた有竣の意識からは、先程の流行歌のことも、関係者は全員処刑という極端な選択もスポンッと綺麗に抜け落ちてしまったらしい。鼻歌を歌いながら茘枝を剥いている有竣は、もはや周囲の有象無象の存在すら忘れてしまっているようだ。


 ──あああああ……皆様の視線が痛い……。これ、また絶対に『あの女狐が』とか『どこの馬の骨とも知れない田舎娘が美丈夫で有能な皇帝を誑かして独占してる』とか言われてるぅぅぅ……


「はい、春華。あーん」


『あとで梅梅侍女にお願いしてよく効く胃薬用意してもらおう』と心に決めながらも、春華は有竣がいい笑顔で差し出してくる茘枝を前に、引き攣った笑顔を浮かべたまま大人しく口を開くのだった。

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