第57話 講和会議 その二
無駄話をしないのは、ホテルの中でも同じであった。
最初に行うのが特使の部屋の電子洗浄であった。
国務省から随行してきた専門技師がホテルの部屋に仕掛けられた盗聴器の全てを一つ一つドローンで潰して行く。
一応一時間で終了はしたが、ホテル外部からの盗聴を防ぐのは困難である。
そこで、部屋の中に騒音発生器を備え、できるだけ盗聴の妨害はしているのだが、完ぺきではないことは過去の経験からわかっている。
特使が寝室で就寝したのは真夜中を過ぎており、スティーブたち随行員は更に遅くなった。
翌日午前中は、時差修正もあって会議は開催されない。
午後3時にホテル内の会議室で最初の講和会議が開催されたが、ほとんどが外交上の挨拶と現状の確認作業だけで実際の議論は行われない。
しかしながら、スティーブの存在はかなり目を惹いたようであった。
ハーデス語通訳でスティーブ程若い年齢の人類種族が通訳となった事例は初めての事であり、しかもハイファミリーと見間違うほどのハーデス語を話せるからである。
これまでの通訳は、准市民が話すハーデス語であった。
ハーデス人の外交使節団にとっては、スティーブが何故にハイファミリーのような話し方ができるのかが不思議であったのである。
ハイファミリーの言葉は、話し言葉の抑揚と若干のイントネーション、それに動詞変化が幾分異なる特殊な言語でもある。
ハイファミリーの話法は、一切、公表されておらず、わずかに声明などの際に当人の音声が流れるだけである。
その話し方は准市民ではできないはずであり、無論、カースト制度下級の者にできるはずもない。
それ故に、宰相補であるマドレーム・ヴォルガン大星男爵がバーレム・ハイファミリーの係累であることを見せつけるために、最初の挨拶でその話法を使って見せたのである。
それは一つには特使に対する無形の威圧でもあった。
通訳は、場合によってその訳がほとんどできない場合すらあるはずなのだ。
わざわざそのために現在ではほとんど使われていない古語をすら挨拶に盛り込んだのである。
しかしながら、共和連合特使に付いた男性通訳は、見事なまでに完璧なハイファミリーの話法で応じたのである。
特使が話したモーデス語をハイファミリーの話法に置き換えるのは、かなり難しい筈である。
しかもマドレームすら曖昧にしか覚えていない古語を混じえた話法は、古の皇帝が話しているのではないかと錯覚するほどであった。
その口上を聞いて一瞬唖然とした表情をマドレームは浮かべたのである。
ナターシャはいつものようにハーデス特使の挨拶の三分の一がわからないまま聞いていたが、スティーブの翻訳で初めて意味が通じた。
そうして当初考えていた挨拶をあっさり捨てて、モーデス古語を多用して挨拶を行ったのである。
その翻訳の半分ほどはナターシャにもわからなかった。
その後の現状確認は、通常のハーデス語で行われた。
最初の会議が終わって、ハーデス側主催の立席での歓迎パーティが行われた際にも、マドレームが確かめるようにハイファミリーの話法を駆使したが、スティーブはそれをナターシャに伝え、ナターシャの応答をマドレーヌに伝えた。
マドレーヌからは驚きの表情を見せながら尋ねた。
「そなたは、どこで、その話法を習ったのか?」
「恐れ入りますが、少々、お待ちください。」
そう言ってマドレーヌを待たせ、ナターシャに言った。
「私に対する個人的な質問の様です。
私の話法をどこで覚えたかと質問ですが、私に回答を任せて頂いて宜しいですか?」
ナターシャは頷いた。
如何に聞きなれない話法であっても、今の質問は何となくナターシャにもわかったからである。
「特使のお許しを得ましたので、貴いハイファミリーの一員であるマドレーヌ特使に申し上げます。
私の通訳の能力については我が家の家訓により、他言することを許されておりませぬ。
謹んでお詫び申し上げます。」
受け答えは完璧にハイファミリーの作法に則っていた。
家訓を楯に拒否されると、流石のマドレーヌもそれ以上の追及ができない。
古来、ハーデス人は家訓を大事にしているからであり、皇帝にさえ家訓を口実にその命令を拒否できる場合がある。
特に個人に属する秘密は、皇帝であろうとも強制することはできないとされているのである。
マドレーヌは、思わずウーンと唸ってしまった。
パーティが終わると、ナターシャは自分の部屋にスティーブを引きずり込んだ。
それからホロスクリーンをつけ、音量をかなり大きくしてから小声で言った。
「あの話法について教えてくれるかしら。
国務省の通訳は、いつもあの話法で半分ぐらいしかわからず曖昧に通訳しているの。
あなたのお蔭で意味が分かったけれど、どうして知っているのかしら。」
「あれは、ハーデスの貴族階級に伝わる話法です。
ハイファミリーと呼ばれる、皇帝一族の係累だけが話すことができる言葉です。
どうもハーデスの特使はこちらの通訳がそれを翻訳できないことをあざ笑うかのように見せつけ、
別にその話法が禁じられているわけではないのですが、文献も有りませんし、教育もハイファミリーの間でしかなされませんので、一般市民はそれを知らないために使えないだけなのです。
次官のご質問の答えは、先ほどマドレーヌ特使にもお伝えしたように、我が家の家訓に関わる話ですのでお話しできません。」
「家訓?
そんなもので相手は納得したの?」
「ハーデス人にとって家訓は何より
家訓を楯に、皇帝の命令すら拒否できる場合があります。」
「なんとまぁ、そんなことを良く知ってるわねぇ。
家訓を大事にしていることは知っていたけれど、皇帝の命令まで拒否できるなんて、そんな話初めて聞いたわ。」
スティーブはにこやかにほほ笑むだけだった。
「いずれにしろ、貴方が来てくれて大助かりよ。
明日以降もよろしくね。」
この一件で、スティーブはナターシャのお気に入りから一気に信頼できる男に昇格したのである。
翌日の会議はそれぞれが披露した現況分析を主題に話し合われた。
しかしながら、ハーデス側は一切妥協せず、全ては共和連合側の不法な侵攻により起因した紛争であると頑迷に主張した。
その日の会議終了1時間前になったので、スティーブがホログラム装置を駆使して、これまでの境界付近の紛争過程を、順次新しいものから3D星図を使って説明したのである。
その中には、ナターシャ次官ですら知らない事実がかなり含まれていた。
軍部は中央政府であろうと軍事機密を明かさない。
軍事機密に触れることのできるのは、共和連合政府の各省庁の長、それに軍事委員会に名を連ねている議員だけである。
ある意味でここまで情報を披歴することができるのは事前に統合参謀本部での調整が有ったからに他ならないのである。
詳細な画面や音声は彼我の動きを明確に星図の上で表していた。
ハーデス側はそれに対する反証を用意できず、ひたすら否定するだけに留まった。
ここでハーデスの侵攻という非を認めてしまうと、かなりの譲歩を認めなければならないから、ハーデス側も必死であった。
最後に、ナターシャとスティーブが小声で話し合って最後
傍目には、ナターシャから指示を受けているように見えるだろう。
スティーブが言ったのは、ハイファミリーが用いる話法の一つであり、同等の相手に服従を命ずる宣告である。
「我が方は、軍の機密に関わる情報を提示して、あなた方に釈明を求めている。
然るに、あなた方は根拠のない否定のみを繰り返しているにしか過ぎない。
我々はあなた方に講和会議をまとめる意思がないものと判断し、宣戦布告をもってこれに対抗する様本国に上申する用意がある。
明日夕刻までに貴方方から誠意ある回答を頂けない場合は、この講和会議を終了し、我々は本国に戻って報告することとしたい。」
ハーデス側は慌てた。
宰相からは少なくとも数カ月は、講和会議を引き延ばせと命じられているからである。
しかも現状維持ならばともかく、相手に正式に宣戦布告されて困るのはハーデス側であることを理解するぐらいの情報と知恵はマドレーヌにもあった。
少なくとも、帝国側は新たな作戦を発動できない状況に置かれていることを知っているからである。
対応に困ったマドレーヌは、バースト通信で対応を如何にするかハーデス主星に求めたのである。
彼らもまさか協議二日目でそのような話が出るとは信じられなかった。
今回の特使ナターシャ次官が名うての女傑であり、他の特使と異なってかなり強い姿勢で臨むのはこれまでの交渉結果からわかっていたが、ここまで強硬とは思わなかったのである。
その夜バースト通信が二つ、それぞれ反対の方角に向けて送信された。
一つは、ハーデス側代表団がハーデスに向けて送信したものであり、今一つは共和連合特使からモーデスと統合参謀本部に向けて送信されたものである。
その翌日からバルモア星系周辺は緊張した展開になった。
ハーデスが機動部隊2個艦隊を含む100隻余りの艦艇を最寄り宙域に終結させたのであるが、これに呼応するように共和連合側も新型装備の艦を中心に100隻の艦隊を共和連合側宙域に集結させたのである。
共和連合は、新型のセンサーにより相手艦隊の動きを十分把握していた。
一方のハーデス側艦隊は、直接に共和連合の動きを掴むことは難しかったが、バルモアに配置している工作員が民間船を装って適時に通報してくるので共和連合側の勢力展開も承知していた。
ハーデス側はこれまでの状況に鑑みて、必ずしも侵攻を意図してはいないが、共和連合への威嚇の意味合いで集結させたのである。
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