色のない夢は濡れた雑巾のように跡を引く

@kuwagatasann

夜の気配

恵は怪しく光る水槽を見ている


僕は恵の顔をなんとなく見ている。瞳に恵を見ている。


水草しかいない水槽を、ただただ見ているだけの時間は、周期的な緊張感のようなものを感じさせる。地球の自転に似て、散文的な意味もない。


恵とは3年を過ごした。

1年は友人として、2年は恋人として、そしてその関係ももう終わるだろう。


書くことに意味はない。

ただ、書かないといけないことがあるとすれば、泡の抜けたビールがこの世に生まれたのは、その冷えた美味いビールが、この世にあることを知っている人物がいるからである。


これも、そんなものに近い話。


一浪して入った大学は、世間的に見れば良い部類だが、僕の両親はさほど喜ばなかかった。

今にして思えば、放任主義の両親だからだろうと納得できるが、当時の僕にはその反応が、冷たく物足りなく見えていた。


だからと言って何か行動に出たわけではないが、予備校でも浪人組で仲のよい連中がいたので、合格が出てからしばらくは、夜までそいつらと遊んだ。


幸い大学は電車通学圏内であったので、僕は入学準備らしいものはなかった。ただ、予備校の連中は、ほとんどが下宿先を探したりと入学準備に時間を取られてつるむことは、ほとんどなくなった。


その時は、皆が未来に向かって動き出しているようで少し焦りのようなものを感じバイトをすることにした。


それも、自宅の周辺ではなく、大学の近くである。

今考えると、全く計画性も合理性もない。

ただ、親への反発心や大学への期待感や周りへの焦りなどがないまぜになってこのような行動をしたのだろうと思うが、当時の自分の心内が理解しきれない。


バイトはファミレスであったが、大学入学前はかなりシフトを入れて稼いだ。

初めてのバイトだったこともあり、それなりに楽しくやっていた。


実際に授業が始まると、自宅周辺でバイトしなかったことに後悔を感じ始めていた。


不定期なコマで、バイトのシフト時間まで、学校で時間を潰すようなこともしばしばあった。


友人もすぐに何人かできたが、バイトのシフトまで、付き合ってくれるような都合の良い人間はおらず、やがて図書館に入り浸るようになった。


そこで、恵と出会った。

彼女は大学図書のバイトをしていた。


所謂、文系女子ではなかった。

黒のタンクトップにホットパンツという出立ちで、カートに積まれた本を棚に戻していた。


ボブショート金髪で肌は白くはないが健康的な小麦色であった。胸は小ぶりであるが引き締まった体とバランスが良く、いかにも活動的な雰囲気を纏っていた。


僕はしばらく彼女の所作を目で追っていた。


「ちょっとごめんさい」と言いながらは、たくみにカートを操作し、狭い棚と学生の間をすり抜けていく。見えなくなってしまった。


カウンターを見るとさっきの彼女が座っていた。

普段は全く本を借りないが、彼女に話しかけたくて、本を一冊手に取った。


「あなた、良く見かけるね。 一年生?」

彼女が僕に話しかけてきた。

「え?すいません。初めて見たもので」


「そっか、そうだよね。いつもここいるけど、今日はかつらつけてないから」


そう言われた、確かにカウンターにはいつも黒髪の女性が座っていた。

完全に大学の職員かと思っていた。


「全く雰囲気が違いますよ」


「それにして随分難しい本読むのね。」


 ロジャー・ペンローズ

何も見ずに手に取った本であったが、どうしたものか


「いや、実はほとんど中身は見てない」僕は正直答えた


「そうゆう、出会いもあるかもね。」彼女は微笑んだ。右の頬にエクボができる。バランスは悪いがなんとなく彼女らしいように感じた。


「この本はそんなに難しいですか?」その時の僕は、どきりとして話方向を本にした。


「私は文系ってのもあるけど、Aiを扱った本みたい。途中で挫折したわ」


「へぇ AI」


「そう、Ai

AIがどうやって考えるのをやめられるか?みたいなのが話題だった。」


「チューリングテストですね」


「そう、もしかしてそっち方面の学科?」


「ええ、工学部です」


「ああ、でもね。それって人間もどうなのかな」

「人間も問題に対して、諦めてやめることなんてできるのかな?』


「それは、できると思いますよ。じゃなきゃロボットだ」僕はこの時、有意に建てた高揚感のようなものを感じていた。


「人間はどんな問題も、世代を超えて挑み続けているじゃない。」

確かに個人で見れば、途中でやめているように見えるけど、それって命が有限だから、種の継続にシフトしたってだけで、全体で見れば全く諦めてない。何百年前の数学の証明を最近証明したってのもあるし」


僕はこの時衝撃を受けた。そして恥ずかしかった。

「確かにそうかもしれません AIはその点命は無限、だから種の存続にシフトすることはない。」


「そうなのよ。そこまで読んで分からなくてやめた」


「いや、めちゃ読み込めてるじゃないですか」




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