トゥレントの魔法使い (旧題:トレントの魔法使い )
@Soumen50
第1部 トゥレントの魔法使い
魔法使いアーシャ
第1話
アーシャは大鍋を掻き回していた手を止め、薬のでき具合を確かめた。
柄杓を傾けると、ほとんど水に見える薬はたらたらと大鍋に垂れる。
「うん、上出来」
アーシャは満足そうに呟くと、火を止め、出来あがったばかりの薬を小さな瓶に移し始めた。
「アーシャ、いる?」
玄関の戸が開いて、覚えのある明るい声が聞こえた。
「今、薬作ってるの!急がないなら待ってて」
アーシャは大きな声で応え、薬の入った瓶を増やしていく。
10分もしないうちに小瓶は50本出来た。
それぞれに蓋をし、用意していたラベルを貼り付けて行く。
大鍋を流しに運ぶと、調薬室を出た。
そのまま台所に行くと訪問者がポットを手に取り、紅茶の入ったカップをアーシャの前に差し出した。
「お疲れ。紅茶飲むでしょう?」
もちろん彼女の前には、すでにカップがある。
アーシャのとっておきだったクッキーと一緒に。
あのクッキー、食器棚の奥の奥に隠してたのに。
アーシャはこっそり息を吐いた。
彼女としては、いつものようにアーシャを待っている間にお湯を沸かし、茶葉を選び食器棚を漁り、紅茶を淹れただけ。
別に意地悪した訳じゃない事は分かっている。
それでも。
これでは、どっちがこの家の持ち主だか分からない。
そう思ってしまう。
それ程に、彼女はこの家に馴染んでいた。
アーシャは椅子に座り、カップの紅茶を一口飲んでから、口を開いた。
「お待たせ。今日は早いわね、クレア。店で話せない事?」
「えぇ。ほら、昨日作ってもらった薬が良く効いたから、そのお礼を言いに、ね」
「そう。それは良かったわ。店には出してない特製なのよ」
クレアは嬉しそうに笑った。
「道理で、すっごい効き目。おかげで痛みに煩わされる事なく、パーシーとデートできたわ。とても素敵なデートだったの。やっぱり自分の事を好いてくれる男といるのは楽しいわ」
「あ~~それは……良かったわね」
デートの為に作ってくれと言ったの?
生理痛で仕事が出来ない、と泣きついてきたのは誰?
急な依頼だったけど、忙しかったけど、クレアには特別に調合した薬を渡したのに。
それを飲んで、デートに行った?
私が店で小娘相手に“ニキビ薬”を売ってる間に、でぇとぉ??
って、こうもぬけぬけ言うって事は、私に嘘吐いた事忘れてるわね。
アーシャはクレアに対してのもやもやをお腹の中に押し込めたまま、何とか笑った。
が、どうしても一言言わねば気が済まない。
それはもちろん親友として、であって、八つ当たりではない。
「だったらパーシーと結婚すれば?」
そうすれば、朝早くから不毛な事を聞く事も減るはずだ。
が、クレアは顔をしかめた。
「アーシャ、確かにパーシーは素敵な時間をくれたわ。でも、私、あの男の髪の色が好みじゃないの。赤毛よ?私のようにきれいなブロンドである必要はないけど……とにかく赤毛は嫌」
「………ぁ、そうなの………」
他にどう返事したらいいと言うのか?
アーシャは頬が引きつってるだろう事を認識しながらも、なんとか笑顔を作った。
髪の色なんて私の魔法でどうとでも変えられるのに、なんて言った日には、クレアはますます意固地になって、パーシーの気に入らない所を挙げるだろう。
そして言うのだ。
「ロイ以外の男なんて、ごみと一緒よ」
クレアがパーシーや他の男とデートするのだって、本当はロイを振り向かせたいがため。
他の誰でもなく、ロイから告白してもらおうとアプローチを重ねている。
「私ね、アーシャ。今から城に行くの。ロイに昨日のデートの事を報告しなくちゃいけないから」
「それなんだけど、クレア。その報告しなくてもいいと思うの。ロイも忙しい訳だし………」
「え~~だって、こんな事でもないとロイと話す事出来ないでしょう?私、どうしてもロイと結婚したいの。でもロイは私の事なんか眼中にないって感じで………なんとしても私を意識してもらわないと………恋する乙女心、アーシャにだって分かるでしょう?」
「………分からないわ。恋してないから」
「え~~っ!アーシャの嘘吐きぃ。私、知ってるんだから」
クレアは意地悪そうな目をした。
あ~~、余計な事言われる前に切りあげた方が良さそう。
アーシャは席を立った。
「用件がそれだけなら帰って。私、さっき作った薬を店に並べなくてはいけないの。他にも作らないといけないし、忙しいのよ」
クレアは息を吐いた。
「はいはい、帰りますよ。私だって忙しいんだから」
クレアはアーシャにせき立てられるように席を立ち、台所を出る。
アーシャも見送る為に席を立った。
「で……今朝は何の薬作ってたの?」
「“ニキビを消す薬”」
「あぁ、あれね。昔はお世話になったわねぇ。今のはあれでしょ?まずくないんでしょ?」
アーシャは頷いて、クレアの間違いを訂正する。
「もちろんよ。それから、あなたが魔法薬のお世話になっているのは、今も、でしょう?」
「その通り。これからもよろしくねっ!」
クレアはにっこり笑って、アーシャの手を握った。
全くもう。
「分かってるわ。早くロイの所に行って来なさいよ」
「はぁい。また来るわね」
クレアは手を振って、森へと出て行った。
その後ろ姿が消えるまで見送って、アーシャは息を吐いた。
きれいだし、グラマラスだし、愛想がいい。
加えて腕のいいお針子であるクレアは、遠く離れた町や村までその名を知られていた。
求婚者は引きも切らず、毎日のように手紙や花束をもらい、デートに誘われる。
彼女にドレスを作って欲しいという人は、宿屋のおかみさんから領主の姫様まで多種多様。
人生を謳歌している、と言っても過言じゃないと思う。
それに比べて私は………取り柄といえば魔法使いな事くらい。
おかげで誰も私の傍には寄って来ない。
力なき人にとって、力ある魔法使いは尊敬と畏怖の対象で、友達となるには敷居が高いらしい。
今では気軽に話してくれる人も増えたが、それでも何処かよそよそしい。
そんな私がデートに誘われる、なんて、夢のまた夢だ。
はぁ………
もっと普通に生まれたかった。
そうすれば幸せになれたかもしれないのに。
恋をして、結婚して、子どもを産んで。
もちろんそれが全てではないけれど、初めから“あなたが愛しい”と言われる事が奇跡に等しいような事はなかったはずだ。
誰かに告白される、という経験をこの先一生望めないなんて、ねぇ。
アーシャは台所に戻って、自分のカップに口を付けた。
紅茶はぬるくなっていて、香りも消えていた。
目が自然とクッキーに移る。
あ~~あ。
兄様のくれたクッキー、一人で食べようと思っていたのに。
今頃、兄様、何してるのかしら………
クッキーを頬張ると、バニラの香りがした。
美味しい。
その時、クレアの言った言葉が脳裏をかすめる。
『恋する乙女心、アーシャにだって分かるでしょ?』
うん、うん。
分かるわ、クレア。
私だって恋してるから………
もし、私を好きだって言ってくれたら、どんなに素敵な気分になるだろう。
アーシャはその場面を思い描こうとして、慌てて頭を振った。
不毛すぎる!
クレアのデート話を聞くより悲しくなるわ。
「落ち込みたくなければ考えない事よ、アーシャ」
アーシャは己に言い聞かせるように、わざと声に出した。
それから紅茶を飲み干すと、さっき作った薬を店頭に並べる準備を始めた。
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