第24話 突撃

 ピロロロロ、ピロロロロ――


「はい、藤倉です。って、先輩? どうかしたんですか!?」


 すぐに藤倉は電話に出た。

 俺の息が荒いのを聞いて驚いているようだ。

 走りながら電話しているので聞きづらいのかもしれない。


「はっ、はっ、すまん藤倉。先日振ったばかりなのに、はっ、はっ、頼みごとを」

「えっ、何かあったんですか先輩!?」

「珠美が連れ去られたんだ!」

「えええっ!」


 俺はこれまでの経緯を簡単に説明した。

 珠美が連れ去られ、俺は役所に向かっていると。


「分かりました。私も協力します。先輩は善意で珠美ちゃんを保護したと証言しますから」

「すまん、藤倉」

「何を言ってるんですか。私と先輩の仲ですよね」

「はっ、はっ、あ、ありがとう。感謝するよ」

「お礼は駅前喫茶のジャンボパフェですよ」

「ああ、好きなだけ食べてくれ」


 電話を終えてから、俺はもう一件の連絡先に電話した。事を起こす前に、やっておかなくてはならないからだ。



 ◆ ◇ ◆



 俺は高柳グループの入ったビルの前に居た。


「はぁ、はぁ、はぁ……しゃ、社長に迷惑はかけられないからな」


 すぐに正面玄関を入り、電話で指定されていた社長室に向かう。



 コンコンコン!


「犬飼です。失礼します」


 ノックをしてから重厚な造りのドアを開ける。


 ガチャ!


 社長室には、高柳社長の他に背が高く眼鏡をかけた壮年の男が居た。

 俺が絨毯の上を足を引きずりながら歩くと、二人は驚いた顔で俺を凝視する。


「犬飼君、どうしたんだね、その傷は?」


 ボロボロの俺を見て高柳社長が言った。


「高柳社長、今日はお詫びをする為に伺ったのですが」


 電話でも済ませられるはずだったが、恩のある高柳社長には直接伝えなければと思っていた。

 電話で伝えるのでは失礼だからだ。

 まあ、こんなボロボロの恰好で出向くのも失礼なのだが。


「も、申し訳ございません! 今回の入社ですが、辞退させてください! せっかく社長がチャンスをくださったのに、まことにすみませんでした!」


 深く頭を下げた俺に、高柳社長はゆっくりとした声で語りかけてきた。


「どうしたんだね? 何か事情があるのかい。我が社の待遇に不満がある……という訳ではなさそうだが」


 俺は事情を説明した。


「実は――――」


 珠美を保護した経緯。

 戸籍を作ってやろうとしたこと。

 もし入社が決まっている俺が問題を起こしたら、高柳グループに迷惑がかかることを。

 もちろん、珠美が転生したことは秘密にし、記憶喪失という話にしたが。


 黙って聞いていた高柳社長は、深く頷きながら重々しく口を開いた。


「つまり、その女性はキミにとって大切な人なんだね」

「はい」


 俺は高柳社長を真っ直ぐに見て言った。


「分かった。そうか、全てを投げうってでも大切な人を救いたいのか」

「はい、申し訳ございません」

「その女性とは、あの時、一緒に私を助けてくれた人だよね」

「は、はい」


 あの時とは、高柳社長が熱中症で倒れた時のことだろう。


「そうか、あの女性はキミと同じ命の恩人だ。私も無関係ではいられないね」

「えっ?」

「犬飼君、入社は辞退しなくても良いよ。私に任せてくれたまえ」


 そう言った高柳社長は、横に居る眼鏡の男性の方を見た。


佐山さやま君、キミが一緒に行って手伝ってやってくれ」

「はい、承知いたしました」


 佐山と呼ばれた男性が眼鏡を指でクイッと上げながら前に出る。


「その女性の後見人を貴方に変更するのと、珠美様の就籍許可を取得すればよろしいのですね」

「は、はい」


 いかにもデキる雰囲気を出す佐山さんに気圧されていると、横から高柳社長が説明してくれた。


「この男は私の顧問弁護士だよ。法律のことなら誰より詳しいはずだ。安心してくれたまえ。入社の辞退は保留しておくよ。いつでも戻ってきなさい。待ってるからね」


「高柳社長……」


「私はね、恩には恩に報いたいと思っているのだよ。とかく人の世は裏切りや悪意に囚われがちだ。しかし、キミや彼女のように、純粋に人助けをする人間も多い。そういう人たちを見捨てることはできないよ。私は命の恩人のキミに恩返しがしたいだけなんだ」


 高柳社長の話に胸が熱くなる。この、今から問題を起こしに行きそうな俺を、ずっと待ってると言ってくれたのだから。

 俺たちに力添えをしてくれると言っているのだから。


(有難い……有難いことだ。こんなクソな世の中で、恩には恩で報いてくれる誠実な人が居たなんて。この人の下でなら働きたい。俺は高柳社長と一緒に仕事をしたい)


「ありがとうございます」


 俺は深く深く心からお礼を言った。



 ◆ ◇ ◆



 佐山さんを連れた俺は、以前訪れた役所の前に到着した。

 そこにちょうどやって来た藤倉と合流する。


「藤倉、すまん。わざわざ来てもらって」

「いえ先輩、あの、そちらの方は?」


 藤倉の視線が、俺の横に立っている壮年の男に留まる。


「この人は知り合いの社長さんの顧問弁護士さんなんだ。今回手伝ってくれることになって」

「そ、そうなんですか」


 俺が紹介すると、佐山さんは眼鏡をクイッとさせながら挨拶をする。


「佐山です」

「あっ、ふ、藤倉です」


 お互いに挨拶をし、奇妙な三人組になった俺たちは、役所の自動ドアをくぐった。



 冷房の効いたフロアを歩き区民課のカウンターのところまで行くと、担当者だった女性が俺に気付いた。

 俺の顔を見るなり苦々しい表情になり、近付いてくる。


「犬飼様、何度来ても決定は変わりませんよ」


 あからさまに嫌な態度になった担当女性に、いきなり藤倉が噛み付いた。


「ちょっと! いきなり珠美ちゃんを連れ去るなんて酷いじゃないですか! それこそ貴方たち行政側が連れ去り事案でしょ!」


「貴女は誰ですか? どのようなご関係で?」


 藤倉の威勢にも全く動じない担当者が、冷静に聞き返した。


「私は犬飼先輩の後輩……と、友達です! それで珠美ちゃんも友達なの! 私も一緒に珠美ちゃんを保護してたんだから! 一緒に食事に行ったり、一緒にプールに行ったり。嘘だと思うなら本人に確認してください」


 藤倉の勢いが止まらない。あんなに大人しいタイプだと思っていたのに、実は意外と激しい性格だったようだ。

 味方にしたら心強いことこの上ない。


「藤倉の言ってる通りです。俺は如何わしい目的で珠美を連れ込んだんんじゃありません。彼女が戸籍を得て人間らしい生活ができるように思って! 早く珠美を返してください!」


 俺も声を上げ訴えた。


(珠美を何処の誰だか分からない後見人なんかに渡せるかよ! それこそ如何わしいやつだったらどうするんだ! あの時の珠美の顔が、コンビニ前で無理やり連れられたゴールデンレトリバーの顔と同じだったんだ! 今度こそ、今度こそ絶対に離さないぞ!)


 俺たちの訴えにも、担当者は顔色を変えない。何が有っても決定は覆らないとばかりに。


 その時、熱く訴える俺たちの横で、佐山さんの眼鏡がキラリと光った。


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