第22話 初恋
「ただいま」
「おかえりー」
自宅の玄関ドアを開けると、すぐに珠美が『おかえり』と言って出迎えてくれる。
主人の帰宅を出迎えるわんこみたいで嬉しい。
まあ、元わんこなのだが。
「タケル、今日は買い物がいっぱい」
「ああ、今夜は豪華なディナーだぞ」
「わふっ、何かあったの?」
「そうだぞ、お祝いだぞ」
再就職決定の話をすると、すぐに珠美は自分のことのように喜んでくれる。
「良かったねタケル! 会社決まったよ。きっとタケルが良い人だから、良い人と出会えたんだよ」
「そうだな。珠美の言う通りかもな」
俺が出会えた一番の幸運は珠美だと強く思った。
珠美と出会えたから、世の中はクソばかりじゃないと思えたんだ。
珠美と会えたから、待ってる人がいる喜びを知ったんだ。
珠美がいたから、大切な人を守りたいと思ったんだ。
珠美のおかげで、高柳社長とも会えたんだ。
全部、珠美がいたからなんだ。
「わふっ、おいしいね」
いつもと同じように、珠美は美味しそうに料理を頬張っている。
そんな珠美を見ていると、俺まで幸せな気持ちになるみたいだ。
「そうだ、そういえばコンビニで新刊を見かけたから買ってきたよ」
そう言って【幼馴染いちゃこら恋愛アンリミテッド】を珠美に渡した。
「わふっ! カイとアミの初めてのキスが気になる最新刊!」
珠美の口から『初めてのキス』という言葉が出てドキッとする。
「その漫画、恋愛系だよな。面白いか?」
「うん、すっごく面白いよ」
珠美は俺に少女漫画のストーリーを教えてくれた。
「カイとアミはね、幼い頃からずっと好き同士でね。でもお互いに伝えられないままで高校生になってね。カイに仲の良い女友達ミサキができてから、アミの心が動き出すの」
ビックリした。あの純粋無垢な珠美が、こんなに恋愛について熱く語るなんて。
「第5巻のラストで、アミがカイに幼い頃からの想いを打ち明けるの。それで、お互いの顔と顔が近付いて、キスになりそうなところだったの」
どうやら第5巻のラストはキス一歩手前で終わっていたらしい。それでずっとコミックスを抱えてソワソワしていたのか。
熱く語っていた珠美だが、急にしおらしくなって
「タケル……ごめん」
「ん? どうしたんだ?」
「キス……大切なことだったのに、タマミ知らなくて」
どうやら珠美は、俺と出会った頃に顔をペロペロしたのを気にしているようだ。
「ははっ、あれはキスじゃないから大丈夫だよ」
「キスは大好きな人とするんだよね」
「そうだな」
さっきから珠美の様子がおかしい。上目遣いでチラチラと俺を見ている。
「タケルは……キスしたことあるの?」
「えっ! そ、それは……無いけど」
「無いんだ」
(おい、珠美さん、それは一体どういう意味なんだ!? 気になるじゃないか!)
やっぱり珠美がモジモジしている。そんな態度だと俺までキスを意識してしまう。
「ううっ♡ キスかぁ♡ 好きな人と……」
珠美が潤んだ瞳で俺を見つめる。
「た、珠美も異性として好きな人ができたらな」
「うん、タマミの好きな人は、ずっと変わらないよ」
「珠美……」
「タケル……」
ローテーブル越しに俺と珠美の顔が近付いてゆく。まるでキスをするかのように。
ピロロロロ、ピロロロロ――
「わっ!」
「わふっ!」
突然、スマホの着信音が鳴り響き、俺と珠美が同時にビクッとなった。
「あっ、で、電話だ。誰だろ?」
「わふっ、この唐揚げ美味しいよ」
お互いに顔を真っ赤にしながら、俺はスマホを取り、珠美は唐揚げを食べ始めた。
(あ、危っねぇええええ! 珠美とキスをするところだったぞ。まだ手を出さないって決めてたのに。最近の珠美が急に大人っぽくなったからだよな)
心の動揺を隠すように表面上だけ落ち着いた素振りで電話に出た。
ピッ!
「もしもし……えっ、はい……いえ結構です」
ピッ!
「って、ただのセールスかよ!」
俺は大袈裟なリアクションで電話を切りスマホを置いた。ただの照れ隠しだ。
「ははは、スキル開発の為の自己啓発セミナーだってさ」
「わふっ! 異世界スキル!?」
「ちょっと違うな」
「鑑定スキルで成り上がりたい」
「だったら良いんだけどな」
珠美と異世界アニメで盛り上がる。最近は深夜アニメまで詳しいようだ。俺のオタク趣味が影響したのかもしれない。
「タマミ、ずっとずっとタケルと一緒にいたい」
「ああ、そうだな。俺も珠美と一緒にいたいぞ」
「わふっ♡ ずっと一緒」
「ずっと一緒だぞ」
簡素なルームライトに浮かぶ二つの影。スーパーで買ったチキン南蛮と本マグロとサーモンの寿司に鰻の蒲焼。少しだけ豪華な食事と珠美の笑顔。
この瞬間、この時間が永遠に続けば良いのに――
俺は、そう願った。
何ものにも代えがたい大切な人と大切な時、俺は心の底からそう願ったのだ。
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