短変病

手帳溶解

無貌の目

  あるローカル線の通るY駅からバスを二つ乗り換えて1時間半、更にそこから徒歩で30分歩いたところに、こじんまりとした山がある。この山の名前は特に定まっているわけではなく、この辺りの地域でもヱンミ山、八人山、ユギ山と呼び方が異なる。ここでは最も古く、最も呼ばれている名前である晩鐘山ばんしょうざんと呼ぶことにする。この山の麓には廃村があり、今でもその残骸は、衛星写真などでも見ることが出来る。晩鐘山の殆どは草木が生い茂っており、山の表面は深緑に覆いつくされているが、廃村の周りだけは剥げているのだ。かつてこの村には数十人の住民が暮らしており、周辺にある他の集落との交流も盛んであったが、ある時期に起こった飢饉から連絡が一切途絶えてしまい、気付いた時には人一人もいなくなっていたという。一部界隈ではこの村を襲った飢饉には霊的、オカルト的なものが絡んでいるとささやかれており、この晩鐘山はある種のサンクチュアリであると言われている。しかし実際に調査が行われたこと自体が少なく、この山が紹介されているのは、現在は発禁となっており、知る人ぞ知るいわくつきの雑誌、月刊アンビギュイティ2016年3月号22頁の「禁域 日本の山特集」の中だけである。ここには、晩鐘山の説明と、この山と麓の廃村の関係、そしてこの廃村で行われていたという因習について掲載されており、真偽は不明だが、大まかにそれが解説されている。


 その村には独自の文化があり、「縁見えんみの因習」という独自の信仰があった。それは人が作り出すことのできる「視線」という線によって、村人の、とりわけ子供の縁を固め、晩鐘山にいるという妖怪に攫われないようにするという儀式であり、具体的にはある時期に、数人ずつに分かれた村人のグループが一つの家屋に集まって互いを見つめ合うというものである。この見つめ合いは、その村に伝わる歌が終わるまで瞬きせずに続けられ、誰か一人でも途中で目を逸らしたり閉じたりすれば何回もやり直したという。なぜこれほどまでに彼らが縁を重視して、晩鐘山の妖怪を恐れたのか。それは、晩鐘山自体の伝承から由来している。


 かつて晩鐘山周辺一帯で大規模な百鬼夜行による大飢饉が発生した。この百鬼夜行を収める為日本各地からその手の者が集まり、これに立ち向かったという。その百鬼夜行中に起きた戦いの一つに、「晩鐘の戦い(晩鐘山の戦い)」というものがある。その日の夕方、当時名の無かったこの山で存在しないはずの鐘の音が響いたと同時にその山を周辺に妖怪の大群が現れた。麓の村は襲われ、子供や家畜は多くが喰い殺され、畑は荒され、村人らは次々と殺されていった。そこで、この村を救うために近くの集落から和尚と七人の弟子が出向いた。妖怪共が根城としている晩鐘山の頂を目指して彼ら八人は進むも、後から迫ってくる魑魅魍魎共をせき止める為に弟子が一人、また一人と道中で離れていった。ついに頂に上り、物の怪共の将軍と相まみえた時、和尚は一人だった。それから暫くして、妖怪共は忽然と姿をくらませて辺りに静寂が訪れると、弟子たちは真っ先に和尚の安否を確かめに山を登ったが、そこには和尚や、和尚がいたあらゆる痕跡が全く存在しなかったという。


 それからというもの、麓の村では子供の行方不明事件が増え、毎日この山から晩鐘が聞こえると訴える者が現れ始めた。村人らは、この山には未だ妖怪の長がどこかにおり、度々夜中に子供を襲うのだと考え、彼らは「縁見の因習」を始めるようになったのだという。しかし、それから長い月日が流れたある日、この村を二度目の飢饉が襲った。彼らは再び妖怪の長が百鬼夜行を起こそうとしているのだと考え、毎晩村の誰かが鐘が聞く度に、その者を中心として晩鐘の戦いを再現するようになった。つまり、鐘の音を聞いた者を含めた八人が山を登り、一人ずつ道中で離脱し、鐘の音を聞いた人物が最後の一人、和尚として山の頂に上るということ。すると何故か決まってその頂に上った人物は行方をくらますので、なおさら村人らは怯え、妖怪の長の存在を信じるようになる。晩鐘山と名付けたその山で儀式が行いやすくなるように登山道の一定の地点に門を設け、儀式の際はこの門を目印として弟子役が一人ずつ離れていくようにした。その為今でも残っているこの門は八人門と呼ばれる。それから「縁見の因習」にも彼らは力を入れるようになった。彼らは飢饉が終わるのを願い、他の集落との交流を絶ってただひたすらに祈り、眼を合わせ続けた。空腹や栄養不足によって弱っていた彼らは長時間目を開き続けることが難しく、どのグループも日中何度もこの儀式をやり直し続けていたという。しかし、晩鐘山の儀式によって人が毎日一人減り、他の七人も毎日山を登らなければならないという状況は、飢餓状態の人々の寿命を早めるだけでしかなかった。結局他の集落に逃亡して生き残った数名の住民を除いた全員が何らかの理由によって消え、まもなくその村は死んだ。それが、この晩鐘山と廃村の物語である。この物語は先述の雑誌に掲載されていた内容であり真偽は確かではない。また、読者に向けてこのようなアドバイスが書かれていた。


「もし晩鐘山に行くのなら、スマホやトランシーバーといった連絡手段は置いていってはならない。それらから発せられる「線」という縁が無ければ、貴方は連れてかれてしまうのだ。」


 バス停から木々の生い茂った山道をガードレールに沿って暫く歩くと、目の前に開けた空間が広がる。ここは晩鐘山入り口の駐車場であり、ここからでも十分に良い景色が堪能できるからと、ドライバーやバイク乗りがよくここでタバコを吸っていると聞いたことがあった。しかし最近はそもそもこんな寂れた山にあえて登ろうとする者は少なく、止めっぱなしであろう壊れた白い軽トラ以外に車は止まっていなかった。駐車場を突っ切って山の入り口に近づく。入り口には縄が張られており、「御用がある方は受付へ」と書かれてラミネート加工がなされたものがそこに貼り付けられているが、受付であろう小さなプレハブ小屋にはカーテンがかかっており、そこに人の気配は一切無かった。実際に聞いた話だと、ここで入場料代わりに無線機の有料貸し出しを行っていたのだというが、スマホを持っていない人など滅多にないこの現代においては不要と判断されたのだろう。完全に受付が放置されていることは、読めなくなるまで風化している「無線機貸出 1200円」と書かれた張り紙がそれを物語っていた。念の為声をかけて人がいないことを確認してから、山の入り口のロープを跨いで乗り越え、門をくぐる。私はそのまま、山の頂を目指して足を踏み出した。


 ぼんやり作られた登山道を歩み進めると、次第に辺りの鳥の鳴き声が聞こえてくる。昨日雨が降っていたせいか、木の揺れる爽やかな風の音に反して蒸し暑い空気が体を包む。地面には湿った緑色の落ち葉があり、足裏の感覚はそこまで良いものではない。上を見上げると、ずっと遠くにある広葉樹の天井の所々から青空が覗く。まだ本格的な夏は始まっていないからか、セミの鳴き声はせず、蝶やカナブンといった目立つ昆虫はおらず、ふわふわと漂う細かな虫が稀に光に照らされて見えるだけであった。それから段々と斜面が急になり、地面に埋め込まれた丸太で形成された階段が見えた。その階段を数段上った所で、急に開けた場所に出た。左手は切り立った断崖に木製の手すりが取り付けられており、ずっと遠くにあるY駅周辺の街並みや足元に広がる森林、晴れ渡った青空を展望することが出来る。ここは麓の駐車場から晩鐘山頂までの登山道を八つに隔てる最初の八人門の直前。この場所はこの地域の一部の方々からは八人広場と呼ばれている。地元の一部の物好き達が登るのはこの辺りまでである為、この広場には休憩する為の小屋や、土産物屋、屋台などが設置されている。ただし、この山に登山客は全く来ないのもあってか、どのプレハブ小屋も中は無人であり、休憩小屋にさえも鍵がかかっている。無論どこにも人はおらず、数年間放置され続けたのであろう懐かしいデザインのスナック菓子のゴミだけが休憩所の周りに転がっている。これから私は、このような閑散とした広場をあと七つ通ることになるのだ。このような場所で時間を浪費していては、下山を開始する頃に辺りは真っ暗になってしまう。例の晩鐘山の真実を知る為に登っている以上、肝心なその妖怪の長を確認できなければ意味がないのだ。私は太陽が青空の天辺に到っているのを確認して足を早めた。


 段々と登山道の景色はぼんやりと薄暗く変貌する。先ほどまで登っていた場所よりも高く太陽が近いはずであるにも関わらず、日が暮れ始めた時のように辺りに闇が現れ始めた。登山道の脇に見える木々の間はその先が全く望めず、ただ遠くから鳥の鳴き声が聞こえた。空を覆う広葉樹の密度は大きくなり、その葉の色は天鵞絨に近づく。所々に見える主のいない古い蜘蛛の巣は風でなびき、その度に濡れた古い風が土の香りを私の鼻孔に運ぶ。地面を覆う葉や枝も黒ずみ、泥を踏むような感覚と不快感を覚える。木漏れ日は数を減らし、確認できるハエや羽虫の量も少なくなった。そして、その微かな天井の隙間から見える青空が紺色に近づいているのを確認して私は急ぐことにした。足を早めてたどり着いた八人門の二番目、七人広場は先ほどの八人広場よりも何もなく、ただ広い空間があった。この登山道は山の外側を回る形で作られているため、この広場にも展望できる景色はあったが、展望する時間は無いことはその景色が示していた。七人門をくぐり、まっすぐ歩き続ける。腕時計の短い針は午後4時のほんの手前まで迫っていた。私は脇目もふらずにまっすぐ歩き続ける。滑りやすく湿気を帯びた落ち葉でコーティングされた登山道で何度か転倒しかけたが私はとにかく歩き、時には走ったりもした。広葉樹の天井の更に上、空高くに広がる青空はくすみはじめ、夏が近づいて日が伸びてきたとはいえ迫る夕暮れは早く、日が沈むまでそう時間はかからないことは明らかだった。晩鐘山の山道は、木々に覆われているのもあってもはや暗く、足元さえも黒くぼやけて見えなくなっていく。私は背負っていたリュックを左肩から降ろし、右肩に重さを感じながら左手でチャックを開いて中を弄ると、片手に収まらないほどの大きさのシンプルな赤い懐中電灯を取り出した。チャックを占めてリュックを再び背負いながら懐中電灯のスイッチを押すと、私のつま先は強い光に照らされた。床に散らばる湿った落ち葉がてらてらと輝く。私は懐中電灯を持ち直して前方に向けてから再び歩き出した。私が薄暮れの照らす六人広場にたどり着くころには、辺りの鳥の声は聞こえなくなっていた。六人広場から見えるずっと向こうの地平線からは茜色が覗き、Y駅周辺は街灯によってぼんやりと照らされている。黄昏もまだではあったが、うっすらと月を見ることが出来た。すこしだけ休憩を取ってリュックに入れていた簡単な食事を済ませると、私は六人門をくぐり、再び暗闇を歩き始めた。


 六人門を越えて少し歩いたところで突然、近くから鐘の音が聞こえた。空気を鈍く揺らし、私の心臓を震わせるその暮鐘は三度鳴った。腕時計を懐中電灯で照らすと、短針は丁度午後4時を指していた。近くに寺院は無く、Y駅周辺の市内放送でもない。まさしくこれはあの雑誌に書かれていた「晩鐘」に他ならなかった。予期してはいたが予想外であったその現象に、私は嬉しくなった。脚の痛みや肩の疲れが気にならなくなって、私は好奇心に駆られて走り出した。晩鐘山の妖怪、儀式、その真実が知りたかった。既に登山道は真っ暗で、懐中電灯の照らす狭い視界を頼りに私はまっすぐ走り続けた。昨日の雨のせいで蒸し暑く、喉の渇きを感じる。ここにきて風が無くなり木々の揺れる音は弱く、カエルか何かの鳴き声だけが辺りにこだましていた。登山道は急斜面になっていき、最初のころと比べて明確にカーブになり、狭くなっていた。獣道じみた脇道もいくつか散見されたが、それが続く先を少し覗き見るに留めて登山道を道なりに進んだ。八人門の間隔も狭まっているらしく、私が走ったのもあってか、思いのほか早く五人門が少し先に見えた。走っていた足を止め、息を整えるために膝に手をついて俯く。完全に呼吸が落ち着く前にリュックを床に置き、水を求めて両手で漁る。懐中電灯を掴んだままの右手でペットボトルを触って確認し、それから左手でペットボトルを引っ張り出した。キャップをひねって水を飲みながら空を見上げると、青空は真っ黒な広葉樹の影に覆われていた。それからリュックを持ち上げて歩き出そうとしたその瞬間、一瞬だけ静寂が訪れた。カエルの鳴き声も、木々の揺れる音も、湿った風も、自身の心臓の音さえも聞こえなくなった。私の目の前、木々の隙間を塗りつぶす深淵から、一対の目だけが私を見ていた。暗闇に浮かんだ瞳は真っ黒に沈んでおり、その目の奥には私だけがいた。そこに写る私の目もまっすぐ私を見つめてただ立ち尽くしていた。記憶の中から呼び起こされる晩鐘が私の脳内でなんども往復し、数百年の移り変わる景色の中で何人もの白骨死体が悲鳴を上げる。木々は不気味に揺らめいて生贄を山頂へ導き、登山道を歩く無数の村人は自身の喪失した眼球を求めて眼窩をほじくっている。私は目を逸らすべきだった。空は真っ赤に染まり、麓には魑魅魍魎が蠢いて森を蝕む。単純で抽象的な罵詈雑言が辺りに響き、遠くの方からは見知らぬ念仏が聞こえる。絶対に目を合わせてはならなかった。空気を揺らすほどに晩鐘山に満ちた呪詛は登山道を歩く目無し共の足を溶かし、腕を削り、頂上を見据えるその眼窩からは血、涙、泥、罪が混じったどす黒くぬらぬらとした液体が流れる。だめだ、だめだ、目を逸らせ。晩鐘山はその様相を赤く、黒く、変える。土や落ち葉で出来ていたはずの道からは人の腕、脚、頭蓋が飛び出し、それが死体の山であることを示す。鐘の音が響くたびに、私の視線はそれ以外に移らなくなる。カメラのピントのようにそれ以外はぼやけ、遠くへ行き、それだけが眼前に残る。ふと私は、晩鐘山の頂を見上げた。最初、駐車場で見た時よりもそれはずっと近くにあった。私は再び歩き始めた。


 私が五人門をくぐり、空が赤く染まる頃、天井から葉を叩く音がした。空を見上げると、生い茂る黒い枝葉は騒々しくなびいて、漆黒の隙間から漏れる黄昏から水滴が滴っていた。私は急いで雨衣を纏ってそのまま歩き続ける。道を覆う落ち葉は雨に濡れ、懐中電灯の光を反射する。木々が屋根となっている為雨衣を打つ水滴は少ないが、時々強い突風が吹くと前方から雨粒が飛んできた。その突風は頻度を増し、いつしか一つの連続した強風へと変貌する。森が揺れ、木々は枝を叩き合い、それから雨の勢いも強まった。夕暮れの空に濁った雲が立ち込めて、晩鐘山は完全に影に満ちた。懐中電灯は雨の直線的な軌道を照らし、木々の隙間から突き刺さす水滴と風が雨衣を打ちのめす。嵐のような天候の中で如何なる小動物の鳴き声も聞こえず、代わりに風に混じった悲鳴が聞こえる。私はこの悪天候の中で進むべきか悩んだが、妙な焦燥感に駆られてどうしようもなくなり、進むしかなかった。姿勢を低くしてまっすぐ先を見る。登山道は既に人一人分の幅しかなく、斜面は急だった。どろどろの地面に何回か足を滑らせるがそれでも頂を目指す。脇の木々にへばりつく肉塊が単純な音を語りかけ、私の脳の中でその意味を理解しようと反芻される。地面から時々伸びた手が私の脚を掴む気がして立ち止まらないように心がけた。空に広がる真っ赤な葉からはヘドロ状の腐った肉が降り注ぐ。背後からは何かが何百もの足音を鳴らして私に気配を感じさせながらゆっくりと迫り、下からは人間が出し得る限界の、悍ましい騒音が響いて死者の海を作る。木々の隙間から視線を感じるが、気にしないようにまっすぐ前だけを見つめて足を動かし続けた。辺りを悪臭が満たし、呻きが轟き、私の目を奪わんとする者共が木陰から機を伺っている中、私はついに四人門の前にたどり着いた。


 展望できる景色は八人広場のものよりもずっと高く、広いものであったはずだったが、見下ろしてはいけないと私の本能が警鐘を鳴らす。空に広がる赤は黄昏のものであるのか、それとは異なる何か陰鬱なるものから来る禁域のものであるのかもはや分からなくなっていた。私は背後から迫る大群の足音に急かされて、棒のようになった足を休める間もなく先を目指した。雨風は更に強く、私の雨衣のはためきが止むことは無く、向かい風に阻まれながら私は傾斜の急な狭い登山道を進む。この辺りまで来ると木々は麓の方よりも数を減らし、天井の隙間から道を照らす赤い光の量も増えた。周囲一帯から聞こえる森のさざめきや生き物の声は失われ、取って代わる在るべきでない人騒や古めかしい歌、念仏が辺りで広がった。ここから先の各門の間隔は短いものとなっていたが、私の背中に重くのしかかる疲労と言い知れぬ恐怖、脚を掴まえる泥と悲嘆、そして向かい風が私の進みを妨げており、思うように前へは進めなかった。進むなと私の肉体の全てが震えて叫び、山は揺れるのだ。しかし私はそれら全ての警告よりも、不安感で沈む私の心の中でただ一つ煌々と怪しく輝く知的好奇心と、頂にあると信じて疑わない晩鐘山の禁忌への探求心を満たすために本能に抗った。リュックに入っているペットボトルの水が波打ち、その重心を転がすのに合わせて私の体の右へ左へと傾いた。足先にもはや感覚は無く、ふくらはぎ全体に流れていた慢性的な痛みはその強さを増すばかりで、夏も近いというのに雨を飛来させる風は冷たく、無理にでも酸素を得ようとして勝手に肺が膨張すると喉の裏にまで凍り付くようなそれが刺さった。


 三人門の前にたどり着いた辺りから、疲れで私の意識は朦朧としていた。登山道はガタガタと曲がりくねった狭い道となっており、天井に枝葉の影はなく、脇に生えた木々は私よりもすこし背が高い程度のものだった。空は日も月も浮かんでおらず、赤く染まった深い暗雲に覆われていた。降り注ぐ赤色の液体は地面に打ち付けられ、小川のような小さな流れを形成しており、私の靴を後ろに押し流そうとしている。道は真っ赤な空に照らされており、懐中電灯はもはや意味をなさなかった。私は電源を消して懐中電灯をリュックにしまい、降り注ぐぼんやりとした光を頼りに進むことにした。そうして地面を一歩踏みしめた時、私は硬いものを踏んだ。そこには、頭蓋骨が埋まっていた。これまでの茫然たる視界に広がっていた無数の屍の山とは違い、それは間違いなくそこに実在していた。足に、それの感触があり、実体感に満ちている。本当は既に何度も見かけているのを本能的に見ないふりをしていたのかもしれない。それが朦朧とした白日夢であると信じることで、理解しがたい想定内であり予想外である禁域の冒涜的なる姿を享受することを避けていたのかもしれない。だが、今まで視界を侵食していた狂気的世界はついに私の他の知覚にまでその存在感を現し、眼窩からのぞく蝶形骨は私と目が合うと笑った。遠くからずっと聞こえていた群衆の悲鳴が耳鳴りのように強く感じられ、腐敗臭が冷たい風に乗って漂う。私は初めから疲れてなどいなかったのだ、全てを疲れから起こる幻覚であると定めて逃げていたのだと背後から私自身が語りかけ、地面を形成する死体の塊は腐り崩れ、そして脳内から、あるいはこの山の内側から晩鐘が鳴り響く。木々から覗く幾千もの顔の、節穴がただこちらを見つめていた。


 気付けば私は、晩鐘山の頂に立っていた。魑魅魍魎が眼下に迫り、それを超えて真っ赤な泥がせり上がり、足元より下、晩鐘山の全ては沈んでいた。眼球が崩れて、網膜が解ける。千切れた結び目から血が止まらない。遠くにいる誰かが、こちらを見ていた。空は一切の雲が無く、または全てが雲に覆われていた。それがかつてないほど赤く感じられるのは夕焼けの色か、あるいは私の水晶体の色か、もはや確かめるすべは無い。少し先にいる誰かが、こちらを見ていた。目が痛く涙が止まらなかったが、金縛りのように私の体は一切動かないままであり瞬きも、眼球を動かすことまでも許されなかった。私はまっすぐ前を見つめているが、焦点は合わず、こちらに迫ってくる人物が何者であるのか一切分からない。近くにいる誰かが、こちらを見ていた。私は自分から流れているものが涙ではなく、二本の白い糸であることに気が付いた。内側から眼球が溶けている、内側から眼球が解けているのだ。糸の先端が膝下までせりあがる赤い泥に沈んでいくのが感じられた。すぐそこで誰かが、こちらを見ていた。胸元までせりあがる赤いそれは、どろどろに崩れた人間の集合体だった。それから下に沈んだ私の四肢は動かないが、浮き上がる何かが手の甲に触れたことは知覚でき、それからすぐにその腐って溶けた生贄共の、幾つもの欠けた眼球が水面に浮かび上がった。そして刳り抜かれた瞳孔がこちらを見る。眼前で誰かが、私を見ていた。それが、私に手を伸ばして眼球から垂れる糸を掴もうとして、その瞬間にスマホが鳴った。


 晩鐘山は周囲にあるほとんどの山よりも背の低い、小さな山だ。その為晩鐘山の近くにある、最近登山家たちの間で人気の山に設置された電波塔の範囲内に入っており、こうしてスマホが連絡手段として機能する。スマホが着信音を発し、私の右ポケットを振動させるのと同時に、地面が崩れて私は赤い泥の中に足を滑らせる。その瞬間、私は晩鐘山を転げ落ちていた。辺りの景色がみるみると暗く、青く変化する。行かないでくれと誰かが言う。赤い沼はどろどろと何処かへ流れていき、あたかも初めから無かったかのように跡形も無く消滅した。私が先ほどまで立っていた肉塊のような岩が遠くへ離れていく。助けてくれと誰かが言う。下へ下へと転げていく私の体に金縛りは無く、目の痛みも涙も無い。目を見ろと誰かが言う。頂上から私を見下ろす誰かの体は急激に腐り、そのまま灰色の人骨となりその場に崩れ落ちる。見ろ、とそれが言う。私はそのまま暫く転げ落ち、視界が何回も展開され、点滅し、私は三人広場にいた。幸いにも転がってきた道中に尖った枝や幹、岩などは無く私は軽傷で起き上がった。私は服についた土を払いながら自分が落ちてきた方に目を向けたが、門を越えたすぐ先には晩鐘山の頂があった。私が三人広場であると思い込んでいたこの場所は二人広場だったのだ。思うに先ほどまで私が登っていたはずの場所は頂上よりさらに上、この世ではないどこか人が侵してはならない禁域であり、晩鐘を聞いた村人達が消えた先だったのだろう。私はスマホに来ていた友人からのメッセージ通知を眺めながらそう考えた。


 結局この話はブログの話題にも、友人との会話のネタにも使えなかった。縁というものは蜘蛛の糸と性質が似ている。例えそれが曖昧な情報でも、一度でも触れてしまえば我々の存在そのものにこびりついて取れなくなるのだ。もし縁を結びたくないのなら方法はただ一つ、関わらないことである。その存在と深く関われば関わるほどその糸は何本もの堅い束となり、いずれ引きずり込まれてしまうだろう。そしてそれは人ならざる者も例外でなく、むしろ妖怪や都市伝説、神といった噂、概念、信仰を媒介してその存在を確かなものにする者ならば、縁は彼らの生命線であるがゆえに一本であろうが確固たるものになるだろう。無論、この話も例外ではない。この日本語で形成された約九千字の文章はもはやある種のミーム汚染、呪いに近い。だから私はこれを誰かの為でなく、あくまでも私の為に書き残す。言わば自戒だ。 今もまだ、晩鐘山を見ている私への自戒なのだ。


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