胸ポケットのコウシくん

はいの あすか

第1話

 ケンくんにはお友だちがたくさんいます。先生が、1年生から2年生になるときにはクラスがえはありません、と言いました。だから、仲良しのお友だちともずっと一緒に遊ぶことができました。ケンくんは、ゲームをいっぱい持っているコウシくんのお家に行くのが特に好きです。なぜコウシくんがゲームをそんなにいっぱい持ってるかと言うと、6年生のお兄さんがいるのでした。お兄さんのゲームをお兄さんの帰ってくるまでの期限付きで遊んでいる時、ケンくんはお家では味わえない高揚感をとても楽しんでいました。コウシくんもケンくんに得意の技を見せることができて、教えることができて、すごく満足そうでした。なぜなら、コウシくんはケンくん以外の友だちと遊ぶことはほとんど無かったからです。コウシくんは、たいいくの時間にドッジボールをする時も、先生の気まぐれで教室いっぱいを使ってフルーツバスケットをする時も、楽しそうではありませんでした。すぐにゲームに負けて退場しては、少し離れたところから残りのゲームを観ているのでした。ケンくんは、コウシくんがわざと早く負けているのだと感じていました。だって、コウシくんのお家でやるゲームではコウシくんには誰にも勝てない、と思わせる強さがあったからです。それに隅っこからみんなを見ているコウシくんの表情は、本当はそうでないのに、頑張って楽しい表情をつくっているみたいでした。クラスでいちばん体が大きくておもしろいカゲイくんがみんなの真ん中で笑っている時は、特にそうでした。ある日、コウシくんとプールバックを蹴りながらコウシくんのお家に向かっている途中、ケンくんはそのことについて聞いてみました。

 

 コウシくんは、どうしてみんなと一緒に遊ばないの?

 

「え?なんのこと?」

 コウシくんは少し慌てたように見えました。ケンくんがお父さんにタバコの匂いがすると言った時のお父さんの反応と同じだ、と思いました。お母さんがタバコは嫌いだから吸わないで欲しいと言っているのを、ケンくんは知っていました。

 ケンくんはさらに聞きました。

 

 コウシくん、だって、クラスだとわざと負けてるでしょ?

 

「わざとってわけじゃないよ、おれの好きなゲームじゃないし弱いだけ」


 えー、フルーツバスケット、楽しいじゃん。男子も女子もみんなでできるしさ

 

 ケンくんはコウシくんが少し困っているのが珍しくて、もっと色々聞きたいと思ってしまいました。

 

「……それよりさ、今日どのゲームやろっか?」

 コウシくんは断ち切るように違う話を始めます。ケンくんは歩くスピードを緩めて、じーっとコウシくんを見ました。コウシくんが振り向くと、ケンくんは優しくない笑顔をしていました。コウシくんのお兄ちゃんが近所の野良犬をしなる枝でぶつ時の、興奮した顔を思い出しました。

 

 ねえ、コウシくんってさ、オレ以外と遊んだことあるの?

 

 ケンくんの侮った気分が混じる問いに、コウシくんは黙ってしまいました。コウシくんのおでこには汗が流れ出てきました。それが暑い日なたにいるせいなのか、他の理由のせいなのか、街路樹の日陰にいるケンくんには分かりませんでした。でも、コウシくんが返した言葉を、ケンくんは忘れることができませんでした。

 

「みんなと遊んだことないからって、なに?

 あんなの、バカがやる遊びじゃん」

 

 コウシくんがそんなに粋がった言葉を使ったことはそれまでありませんでした。ところが、言葉とは反対に、コウシくんは物寂しそうに下を向いていました。ケンくんは自分がひどいことを言ってしまったことに気付きました。心臓が打つ音が早くなり、頭から足下に向かって血が抜けていく感じがしました。そのあと喋らなくなったコウシくんについて行って、いつものようにゲームをしてはみましたが、少しもワクワクしませんでした。コウシくんは学校でそうするみたいに無理やり笑って、いつもなら言わない冗談を言ったりしました。

 

 ケンくんは夜、お母さんの隣で眠りそうになりながら、明日は絶対コウシくんに謝ろう、と思いました。謝る時のセリフもしっかり決めました。

 しかし、次の日コウシくんは学校に来ませんでした。それも、ただ学校を休んでいるという訳ではなさそうでした。ケンくんは、何か変だ、という感じがしました。担任の先生はコウシくんがお休みしてることを何も言いません。それに、コウシくんの座っていた席には、毎日新品みたいに尖ったえんぴつを持ってきているキクヤマさんが座っていました。プリントを後ろに回すときに大変だから、ひとつずつ前の席につめたのかな、とケンくんは考えました。でも、何か変、なのは同じでした。

 2時間目はたいいくでした。その日は雨が降っていたのでプールは中止で、体育館で別の運動をすることになりました。みんなで体育座りで整列すると、先生が何をしたいかみんなに問いかけました。

「サッカー!」「体育館じゃ危ないからダメー、やっちゃいけないって職員会議で言われてる」

「じゃあ、ドッジボール!」「ああ、そうだね。他にドッジボールやりたいひとー?」

 クラスのほとんど全員が手を挙げました。ケンくんも手を挙げようとしました。その時、

 

 あんなの、バカがやる遊びじゃん

 

 コウシくんの声がしました。ケンくんは挙げかけた手をそっと下ろしました。そして、ドッジボールがしたかったのに、何だかしたくないような気もして、ばらばらな気持ちが混然としていました。今のは何だったのだろう、頭の中でコウシくんの言葉を思い出したのではなく、まるで耳元で話しているようにはっきりと聞こえました。コウシくんは今日お休みのはずなのに。それに他の友だちにその声は聞こえていないみたいでした。

 ケンくんも普通に好きだったドッジボールが、どうやら今日は楽しみに思えませんでした。『バカがやる』ドッジボールをしてる自分を、もしどこかからコウシくんが見ていたらどうしよう。スレスレでボールを避けてはしゃいでいる自分を、コウシくんはどう思うのかな。みんながドッジボールの準備をしている間も、ケンくんは周りを見回していました。さっきの声は現実に響いていたように感じたので、やっぱりどこかにコウシくんがいるんじゃないかと思ったのです。でも、体育館のどこにもコウシくんは見当たりません。モヤモヤした気持ちは消えずに、目の前でドッジボールが始まっても遠くのことのようでした。ケンくんはすぐにボールを当てられて外野に回りました。全然悔しくなかったけど、一応、悔しそうに笑う顔をしました。そうするとまたコウシくんに見られている気がして、反応を気にした後ろめたさが残りました。ケンくんは体育館の端っこのほうで、足元に伸びている白線に視線を落としました。目で白線をたどっていって、垂直に引かれた黄色の線とぶつかって、丸い青線とぶつかって、遠くの方でまた黄色の線とぶつかって、やがてまた足元に戻ってきました。その時ケンくんは体育着の胸元のポケットにゴミが入っているのに気付きました。あれ?体育着に胸ポケットなんて付いていたっけ?指で広げて、中身を見ました。入っていたのはゴミじゃなくて、形はそのままに小さいサイズになった人間でした。その人間はコウシくんでした。

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