第34話 フシノゲイムと剣道家
懐中時計を確かめて、男は車から降りた。
地下駐車場から一般病棟を横切って特別棟へ。警備員に一礼し、エレベーターに乗る。押すべきフロアボタンは一つきりしか知らない。他階層に何があるのかも見ない。エチケットを遵守して到着を待つ。
静かに扉が開いて、男は上品なフロアへと足を踏み入れた。
「ご到着をお待ちしておりました」
女性コンシェルジュが待機していた。その所作は怜悧な風貌も相まって極めて流麗である。
「指定の時刻まで、ラウンジで待たせてもらっていいでしょうか」
「もちろんでございます。また、すぐにお部屋の方へご案内することも可能です。あちら様は常にいらっしゃいますから」
「そうですか。では病室の方へお願いします」
広い廊下を行く。整えられた空間ならではの静謐が、今日という日に限っては緊張を強いてくるから、男はついと壁の絵画へ目をやった。普段なら考えられない雑な鑑賞法だ。額の光沢に反射した己の目……老いて覇気もない、疲れたそれと目が合っただけである。
「ドラゴンフルーツをご存じですか? 正式にはピタヤという名前ですが」
男は目を瞬いた。話しかけられることを想定していなかったからだ。
「南国の果物であるということだけは……」
「わかりやすく美味しいわけではありませんが、豊富な栄養素を含有しており、健康食品としても注目されています」
コンシェルジュがチラリと振り返り「しばしばお出ししていたのです」と微笑んだ。
「彼の人となりを知る内に、とてもよく似合うと思ったもので」
「……ドラゴンフルーツが、ですか?」
「はい。その花言葉は、一夜のみながらも白い大輪を咲き誇らせることから『永遠の星』。また、炎のような果実の形状から『燃える心』。どうです? 凛として物静かに、しかし内には熱く闘志を燃やすヒーローに相応しいと思いませんか?」
うまく共感できなかったから、男は「はぁ」と気の抜けた返事をしてしまった。詩的な感受性の乏しさを申し訳なく思う。
「後ほどお出ししましょう。スペシャルスムージーを考案してございますので」
「ありがとう、ございます……?」
どうにも困惑させられて、気が付けば病室の前へまで来ていた。姿勢を正す間に扉は開かれた。
招き入れられての数歩の間にも電子音とポンプ音が聞こえる。部屋を埋め尽くす多種多様の電子機器と医療機器……それらからは配線が複雑に伸びて、ベッドの上の人間をこの世につなぎとめている。
見つめ続けていないと消えてしまいそうな儚さに、胸が鋭く痛む。
男の、たった一人の息子である。
『やあ、少しは眠れたかい?』
サイドテーブルの上の画面端末から、漫画風の絵で描かれた少女が話しかけてきた。一礼で応ずる。
「お陰様で多少は」
『そんな顔色で言われてもねえ……すでにして重きを背負うたこの上は、肉体まで引きずるもんじゃないよ? とはいえ不健康に腐蝕された空虚にこそ意識は現存するものさ』
「シオラン、ですか」
『……や、すまないね。わたしも落ち込んでいるみたいだ』
少女は漫画の大仰さで肩をすくめ首を振った。
『彼の容体だけれど、先日の予想の通りだった。命がこちらにない。あちらに渡ってしまったきりだ。引き戻す試みは全て失敗に終わった……戻るための筋道も銀糸も運命ですらも、ことごとく切断されているからだ』
超常を語る少女の正体を、男は奇縁から多少知りえていた。
知る人ぞ知る二つの名の数々……魔女、悪魔、吸血鬼、魔神、AI大妖怪、サイバーテロリスト、最新兵器踊らせてみたの人……今はインターネット上のアイドル「ジュマ・ラ・ヤノス」として知られているようだが、その実際は世界に並ぶものなき情報技術者である。嘘か真か、すでに肉体は存在しないのだとか。
男は彼女に勧められ、彼女の制作したゲームをプレイしている。ゲームの名をイモータルレギオンという。
「何故、と問うてもよろしいか」
『彼が天才だからさ』
「……ゲームの、ということですか?」
『先天的にはそうだね。あれはもうゲーム星人だよ。軍才も凄まじい。彼の作成した戦闘計画書を見たら仰天すると思う。でも、それらは記録を残す類の優秀さでしかない。歴史を動かすのは、いつだって後天的な天才なんだ……』
画面の中の吐息がどうしてか部屋の空気をそよがせた。
『……人類はしばしば大問題に出くわす。穴に例えようか。開いていたら皆が困る穴さ。小さな穴なら皆気づく。埋めようとする者も多いだろう。でも大きすぎる穴は、それが穴であると気づきにくいし、気づいたとしても素通りする』
できない理由を探すのは簡単だからね、と少女は苦笑した。
『ところが、見て見ぬふりをできない人間が現れるのさ』
一転、ニヤリと笑んだ。手の上にいくつもの顔写真を示しはじめる。白黒のものも多い。
『ある弁護士はバスに乗って大穴に気づいた。ある少女は汽車で、ある牧師は教会で、やはり大穴に気づいた。そして埋め戻そうと奮闘努力した……それは歴史の流れを変える戦いだ。劣勢にして困難極まる戦い……彼ら彼女らには先天的な才能なんて必要ない。だって勝つために必要な力を必ず身に着ける。学び、考え、苦しみ、もだえて、大穴を埋めるまで決して諦めない。その意志こそが世界の運命を変える。ゆえに真の天才は後天的で……生涯を捧げ尽くす』
どちらともなくベッドへ目を向けた。一定の間隔を刻み、ポンプが呼吸している。
『正直に告白するよ。わたしのつもりだった。今回はわたしが後天的天才たらんとしたんだ。だからイモータルレギオンを計画し、その実行力として彼を選んだ。手伝ってもらうためにさ。歴史上の天才たちだって協力者がいてこその偉業だったからね』
大勢の味方を引き連れてラスボスに立ち向かうんだよ、と嬉しそうに、どこか懐かしそうに微笑む。
『ところが、彼もまた気づいたんだね。わたしと同じ大穴にさ。そして、自分の全てを捧げてでも穴を埋めると決心して……必要な力を手に入れて……こうなっちゃった。帰還する運命を断ち切って、かの地の戦争に燃え尽きようとしている』
わかる話とわからない話とが五分と五分だった。それでも伝わってくる真心があったから、男は問うた。
「どうすれば、息子を救命できますか」
『こちらから引っ張れないのなら、あちらから押し出すまでさ。断たれた運命を新たに押し付ける勢いでね。ただ、そのためには彼の命に直接触れなければならない』
呼び出された意味を察し、男は頷いた。
「私の役割は、あなたを送り届けることですね?」
『その通り! 死地の中の死地を駆けているであろう彼のところまで、わたしを護衛してほしい』
画面いっぱいに顔を表示して、少女はニヤリと笑む。
『聖剣の虎……はやめてもらうから、剣DO氏と呼ぶよ。君なら容易いことだろ?』
「……ただの情けない男です、私なぞは」
男はこれまでコンピューターゲームなどしたことがなかった。自動車以外の機械全般が苦手だった。何につけ不器用なのだ。わかるものだけを相手に生きてきた。わからないものに思い煩うよりも道場で剣を振った。剣を振っている時だけは息を吸えた。
そんな生き方をしたがために妻が去った。去られてなお一層に頑迷になり、息子との関わり方を見失った。
『自虐大会をしても仕方ないどころか、危険度が増すよ。あちらへは負の思念が流れ込みやすくなっているし……捨てられた恨みつらみが積り重なって、同類を引き込む力すら発揮している。捨てられ者たちを引き寄せているんだ』
「あの子も……そうなのでしょうか」
『……あるいは。でも、抱きしめたいんだろ? 許されないとしても、せめて償いたいんだろ?』
目をつむり、ゆっくりと、首を縦に振る。
理不尽に傷つくことばかりの人生だったが、ふと振り返った時、自らもまた理不尽に傷つけていることを知った。我が子を捨てていた。金銭だけを渡し、子が親に愛されるという当たり前の権利を剥奪していた。
今、死にかけている息子を見ても、親として悲しむ権利などあろうはずもなかった。
それでも、見過ごすくらいならば八つ裂きにされる方が楽だと確信している。
「ヴォーチュオリオーリティデヴァイスは、いずこに」
『英語の発音すんごいよねホント……隣の部屋に用意してあるよ。もう行けるのかい?』
「弁護士に遺書を預けてきました」
『上等だ! でも行ったきりってことないからね? 行き来は割と自由自在だし』
部屋を出る前に、ベッドに眠る息子の姿を目に焼き付けた。
救うためならば、神ですら斬り捨てるつもりであった。
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