掬われない女

西野 夏葉

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 子供の頃、よく水族館に連れて行ってもらった。


 学校の社会科見学でも行ったでしょ……と両親に言われても、あたしはどうしても行きたいとダダをこねて、たまの休日で終始眠たそうな父親に手を引かれて館内をまわった。まわりの子たちはきらびやかな熱帯魚とかイルカ、アザラシみたいなわかりやすい生き物の水槽にばかりへばりついていたけれど、あたしは普段から食べている魚だったり、クラゲとかイソギンチャクとか、そういう地味な水槽に至るまでしっかりと目に焼き付けるように見つめていたらしい。

 大人になってから「この子たちとずっと一緒にいられるから、将来は人魚になりたい」と小学生の頃の作文に書いていたと親に聞かされ、どうしてそんな純粋だった子どもが今、こんなふうにドブの中を這いずり回っているんだろうか……と、自分が歩んできた道を振り返って睨みつけた。


 

 ある意味で、あたしは大海原の中をゆく存在だ。童話の中の人魚姫は想いを寄せていた王子を殺せず、最終的に海へ身を投げて泡となってしまったけれど、その後は風の精霊に生まれ変わり、人々を幸せにする旅へ出たのだ。それなのに、あたしはかつて好きだった相手のことを殺すどころか傷つけることもできず、いっそ泡になって消えてしまいたい気持ちを抑えながら、ただダラダラと生きている。


 あたしが好きだった男は平易な言い方をするならばクズで、それっぽく言うなら「放っておけない人」だった。仕事は長続きしないし、家事もからっきしで、本当にあたしがいないとだめなんだから……って言いたくなってしまうような。そんな男の数少ない評価できる点は整った外見と、簡単に人をたらし込めてしまう天性で、まんまとそれに丸め込まれたあたしはせっせと働き、男が遊ぶ金や食べるもの、雨風しのげる家まで確保してきた。


 男にあっけなく振られたのはつい最近で、あたしよりも出るとこが出ていて凹んでいるところが凹んでいる、上等な燭台のような女を掴んだことによるものだった。そのせいで心がぽっきり折れた今も、男を養うためにしていた仕事を惰性で続けている。情けなさに、もはや微笑みすら浮かばない。


 人魚姫にはなれない。他人を喜ばせれば自分の幸せへの道が短くなる……なんて言われたって、あたしは自分さえよければいい。相手に期待なんかしない。委ねたりしない。裏切られたとき苦しいから。そんなことばかり繰り返す、永遠に続くとも知れない消化試合のような人生。それはどれだけ目を凝らしても水平線しか見えない、果てなく広がる紺碧の海のように思える。


 その中を美しく泳ぐわけではなく、ただ海流に押されながら漂っているあたしはきっともう、人魚じゃない。水死体に等しい。今や、本当に死んでいないというだけであって、水をかくために指先を動かすことすら、もう億劫でしかなかった。

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