外してよ、桜色のシュシュ。

@sukopet

第1話 大嫌いなあいつ

 初めからゴールは決まっている。遠回りするか一直線に向かうか。それだけの違いだ。どんな選択をしたって、いつかはそこにたどり着く。運命というのはそういうものだ。






 通学路。私の10メートル先を一人ぽっちで歩く学ラン姿のあいつ。


 昨日と同じ光景だ。どうしてこうも登校時間がかぶるのか。昔からこうだ。もう嫌になる。


 一丁前にポケットに手を突っ込んで、どうせすかした顔でいるに違いない。


 あいつは私の大好きなさくちゃんを裏切った。嘘じゃない。さくちゃんが残した言葉をないがしろにした。


 だから私は、あいつのことが大嫌いだ。本当だ。


「芽依! おはよ!」


 あいつに牙をむきながら歩いていると、背後から強く肩を叩かれる。聞きなれた声の持ち主は隣の席の円香。最近よく話すけど、この子の趣味は私の射程とかけ離れている。まあ普通の高校生ならこんな感じか。私はちょっと普通と違うのかも。


「昨日の恋リア見た? 最後、ついに結ばれちゃったねぇ。それでさ、次回は修羅場になりそうだなって思う。でも私なら振っちゃうかな。拓海くんとは友達がいいもん。芽依なら誰がいい?」


 すごく早口。始め「恋リア」という単語が聞こえた時点で私の情報収集システムは停止し、その後の言葉は呪文のように聞こえてくるだけだ。


「さあ。私、そんな番組見ないから」


 口を開けば「誰が好きとか。私はこいつがタイプだ」と弾丸トーク。円香はそんな子だ。でも嫌いじゃない。


 ……おっと。いいところにビール缶が落ちているではないか。これは神のお告げなのかもしれないと思った。私はそれを取って、大きく振りかぶる。野球はやったことないけど、運動神経には自信があるんだ。


 投げた缶は意外と直線の軌道を描いて、あいつの後頭部にヒットし、カランと音を立てて通学路を転がっていった。


 あいつは無表情でこっちを見てきた。目が合ったから、舌を出してやった。ざまあみろ。


「そうそう。これだけは言える。あいつとは絶対付き合わない」


 私はあいつに聞こえないくらいの声で円香に宣言した。なんであんなやつが私の幼馴染で、なんであんなやつのことをさくちゃんは好きになったんだ。


「えーおもしろくないなあ。じゃあ芽依のタイプってどんな人なの?」


「ウサイン・ボルトみたいに足が速い人かな……」


「ハードル高い! そりゃ現れないわ!」 


 するとポケットに手を突っ込んでいるあいつは、何も言わず地面にある缶を左足で蹴った。


「あへ!? だ、誰だ!!」


 あいつが蹴った缶はさらに前にいる近本くんの左肩に当たった。


「ナイスシュート!」


 近本くんに向かってあいつは煽るように言った。ついでにガッツポーズも決めて。


 私たちはその様子をただ見ていた。これが高校生のやることか。いや、私が言えた口ではないってか。


「お、おい飛鳥! そんなところで運動神経を発揮してんじゃねえよ!」


「いやー。ホントは頭を狙ったんだけどなぁ。残念無念、また来週っと」


「今日で終われ! 来週はやるな!」


 そんな近本くんは野球部の声出しエースらしい。そういう噂だ。近本くんとあいつは同じクラス。私は違うクラス。


 そして私の記憶が正しければ、憎きあいつの利き足は右足だ。


 確かにあいつは運動神経がいい。それは幼馴染の私が一番知っているはず。でもあいつは本気を出さない。本気を出せばきっと、あいつは……。


 私は若宮飛鳥のそんなところが大嫌いだ。世界で一番、大っ嫌いだ。






 季節は春。2年生になって1週間が経った頃。まだまだクラスに一体感が生まれていない頃。


 授業の内容は右から左へ流れていく。だってこんなこと学んだって将来役立つわけないからだ。それより頭が痛いんですけど。芽依の奴、割と本気で投げてきたんだな。それに蹴った感触だとまだ中身入ってたし。やっぱり芽依が咲良の妹だなんてどう考えてもおかしい。咲良は嘆いているはずだ。私の教育が悪かったって。


 そんなダルイ午前の授業が終わって、俺と近本が向き合って昼ご飯を食べているところ、急に廊下が騒がしくなる。


 席から見ていると、どんどん生徒が集まってくるではないか。みんな窓から中庭を見ているようで不思議に思ったが、俺はそれよりも鮭の骨を取る方が楽しい。


「ちょっと見てくるぜ」


「はいよー行ってらー」


 近本は席を立ち、廊下に出ていった。しかし10秒経たないうちに戻ってきて、青ざめた顔で俺に言った。


「やばいって、告白だ。学年一のイケメン、高岡くんが!」


「なるほど。誰に?」


「緑町芽依にだよ!」


「ああ、芽依か。ならいいや」


 やっぱり鮭の骨を取る方が楽しい。そもそも告白とかどうでもいいし、それが芽依のことならなおさら。


 それでも近本は強く訴えかけてくる。さすがは声出しエース。声の圧が桁違い。


「いやなんでだよ! 幼馴染だろうがよ!」


「だって興味ないし」


「どうするんだよ、OKしたら」


「何言ってんの? 芽依なら断るよ。もし芽依がOKしたら、このまま鮭食べる。そしたら骨が心臓に刺さって俺は死ぬと」


「で、でも相手は学年一のイケメンだぞ」


 そう言い残して近本はもう一度教室を飛び出し、廊下の人混みに消えていった。


「あいつのどこが可愛いんだ? どいつもこいつも。お前の目は節穴かって」


 これで何回目だろ、芽依が告白されるのは。軽く10回は超えるのか。いい加減、みんなも学べよ。高岡くん……だったっけ。残念無念。好きになった相手が悪かったですね。


 芽依の心は凍り付いているんだ。多分あの日から。そして溶かしてあげられるのは、多分……。いや、間違いなく。


 ふと過去の記憶をたどっていると、廊下がため息に包まれていった。群衆は解散し、近本も戻ってきた。


「お前の正解だった。もうお前が付き合えよ。幼馴染なんだから」


「それは世界線が100回変わっても無理だな」


「つまんねえの。もっと青春謳歌しようぜ」


「まあ、お前ほど謳歌してるやつはいねえな。野球部で声出しエースだっけ?」


「う、うるせえ! 声出しだって大事なんだからな!」


 近本との会話は正直どうでもよくて、俺は鮭の骨を一つ残らず取りたい。こういったところがA型の弊害なんだろう。






 申し訳ない気持ちはある。でも嘘ついて付き合っても幸せにはなれないし、幸せにできない。結局、きっぱりとごめんなさいすることが最善策なんだ。


 でも、もうそろそろやめてほしい。特に今日。学年一のイケメンと言われる人の告白を断ったわけだから、女子たちの目の敵になりそうで怖い。そもそも私のどこが魅力的なのか。誰か教えてほしい。原因が分かればそれを止めるだけだし。


 そんな考え事をしている帰り道。今日は部活は休み。久しぶりの早帰りだ。せっかくだし、遠回りして帰ろっかな。


 私が向かうのは河川敷。ここはたまに行きたくなる場所。さくちゃんとの思い出の場所。あと、一応あいつとの思い出の場所。


 余計な思い出があるけど、染みついた思い出は消せないから厄介だ。


 そして私の前方から、厄介な存在が歩いてくる。


「……げ。また会った」


 飛鳥のやつ、何考えてるんだろ? あいつの心は読めない、昔から。


 仕方ない。このまま歩くとあいつとすれ違うけど、たまにはいいか。一応、幼馴染だし。


「……また告白された」


 すれ違って、一歩、二歩進んだところで私は足を止めて言った。


「知ってる。相手は有名人だからな」


「私が他人に告白されるの、嫌じゃないの?」


「じゃあ逆に聞くけど、俺が嫌って言ったら、芽依は嬉しいのか?」


「……バーカ。飛鳥は本当にバカなんだ」


 違う。本当にバカなのは私だ。こんなことを聞いている私こそが一番の厄介者。


「んじゃ、また明日ね。陸上部で待ってるから」


「……そんなに期待すんなって」


 そんな短い会話を交わして、私たちはそれぞれの道を進む。私はママが待つ家へ。飛鳥は私の知らない場所へ。


 やっぱり私は若宮飛鳥が大嫌いだ。でも――


「……飛鳥!」


「……ん?」


「待ってるから。ずっと」


 私の声は少しだけ震えていた。彼は一度ため息をついて「夏までには」と言い放って、私に背を向けた。


 私はその言葉を受けて、しばらく固まっていた。「夏までには」と、確かに彼はそう言った。


 夏はさくちゃんにとって一番大切な季節。さくちゃんにとって大切な季節だから、私にとっても大切な季節。


 右手には満開の桜の木々。左手には川のせせらぎ。この河川敷は、私たち三人にとって第二の故郷だ。

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