第8話 とある魔法少女のキャンペーン

「……あのさ」


 ――不審者警戒活動実施中!(魔法少女管理機構 キミも、人々に希望と勇気を与える魔法少女になってみんなの笑顔を守ろう!)


 自らが手にしたのぼりに記載されたそんな文言を見ながら、結菜はげんなりとした調子で溜め息を吐く。


 場所は、閑静な住宅街にある小さな公園だ。

 ホギャアホギャアと、どこからか赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。


「なんなの、これ?」


 結菜が問いかける先は、自身の肩に乗っているミルクである。


「魔法少女のイメージアップキャンペーンだミル」


 自信ありげに頷くミルク。


「派手に魔物と戦うだけじゃなく、こうして身近で地道な活動もやってます! ……と、狡く善性をアピールしようという人事課考案の新施策ミル。一応、最近この辺りで不審者が出てるのは本当みたいだしミルね」


「人事課っていうか、ミルクが考えたんでしょこれ……」


 現在人事課に所属する平妖精はミルク一名のみであるため、自明の理であった。


「まぁ、ていうかさ。このキャンペーンに効果があるのはともかくとして、やるのはいいんだけどさぁ……」


 額に手を当て、再び結菜は溜め息を吐く。


「人選ミスって言葉、知ってる?」


「チッチッチ……甘いミルね、結菜」


 フッ……とミルクはニヒルな笑みを浮かべた。


「今の魔法少女管理機構に、人選などという概念は存在しないミル! なぜなら、選ぶ程に人がいないミルからね!」


「あっそ……」


 結菜が、三度嘆息したのとほぼ同時。


「キャァァァァァァァァ! 不審者よぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」


 そんな、絹を裂くような女性の悲鳴が響いた。


「あぁ……」


 さもありなん、という目で結菜が声の方へと目を向ける。


 ちなみに、現在結菜はいつもの魔法少女コスチュームだ。

 魔法少女管理機構のキャンペーンを遂行中なのだから、当然である。


 そんな結菜の視線の先。


「不審者ですって!? どこでしょう!?」


 和夫が、険しい顔つきで周囲を見回している。


 ちなみに、現在和夫はいつもの魔法少女コスチュームだ。

 魔法少女管理機構のキャンペーンを遂行中なのだから、当然である。


「不審者ぁぁぁぁぁぁぁぁ! 不審者よぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 赤ちゃん――服装からして、女の子であろう――を腕に抱いて悲鳴を上げる奥さんの視線は、完全に和夫へと固定されている。


 まさしくさもありなん、という光景であった。


「これ、おっさんだけは選んじゃいけないやつでしょ……最悪、なんでアタシだけにしなかったのさ……」


「新人研修期間中、新人魔法少女と教官役の魔法少女は格別の危険がない限り必ずセットで活動する決まりミルからね」


「お役所仕事!」


 結菜が頭を抱える。


「まぁまぁ結菜、あれを見てみるミル」


 そんな結菜の頬をポムポムと叩いた後、ミルクは和夫たちの方を手で指した。


「さっきまで泣いていたあの子が泣き止んでいるミル。まさしく泣く子も黙るってやつミルよ」


 どうやら、ミルクが指しているのは奥さんの腕に抱かれた赤ちゃんらしい。

 先程までホギャアホギャアと泣き叫んでいた赤ちゃんは、黙って見開いた目で和夫をギャン見している。


「………………いやだから何!?」


 一瞬「確かにそうだな」などと納得しかけた結菜が、我に返って突っ込みを入れた。


「魔法少女が泣く子を黙らせてどうすんの!? ていうかあれ、赤ちゃんに見せちゃ駄目なやつでしょ!?」


 叫びながら、駆ける。

 そして、和夫を隠すように両手を広げてズササッと奥さんとの間に割り込んだ。


 尤も、その体格差ゆえまったく隠せてはいなかったが。


 赤ちゃんはチラリと結菜に目を向けただけで、再び和夫をギャン見する作業に戻った。


「あら、あなた……魔法少女?」


 一方の奥さんは、結菜を見て目を瞬かせる。


「そ、そうでーす。魔法少女でーす」


 顔の両側にピースサインを添えて、結菜はニッコリと笑った。

 完全なる営業スマイルである。


 尤も、その頬はピクピクと震え気味になっていたが。


「た、大変なのよ魔法少女! 不審者! 不審者がいるの! ほら、あなたの後ろ! やっつけてちょうだい!」


 結菜の背後を指差しながら金切り声を上げる奥さんに、結菜は頬のヒクつき具合を加速させる。


 和夫をやっつけるわけにもいかない……というか、そもそも魔法を魔物以外に行使することは魔法少女大原則によって禁じられている。

 たとえその相手が本物の不審者であったとしても、だ。


 尤も、結菜にとっては魔法を使わずとも不審者を御することくらいは容易いのだが。

 しかし、果たしてそれは魔法少女のイメージアップに繋がるのか。


 色々と余計な考えが頭の中を巡り、結菜の頬のヒクヒク具合は今や最高潮に達しようとしていた。


「どうしたの……!? ほら、不審者が後ろに……!」


 いつまで経っても後ろを振り向こうとしない結菜に、奥さんが眉根を寄せる。


「ま、まさか……!」


 しかしやがて、その表情が恐れ慄いたものへと変化していった。


 かと思えば、赤ちゃんをギュッと抱え直して走り去って行く。


「いやぁぁぁぁぁぁぁ!? 魔法少女が不審者と共謀しているわぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 そんな叫びを、ドップラー効果を伴って残しながら。


 なお彼女の腕の中で、赤ちゃんは最後まで和夫をギャン見したままであった。


「……ミルクさ。このキャンペーンの結果って、どう報告すんの?」


 その背中を見送りながら、半笑いで結菜が尋ねる。


「将来の魔法少女候補の興味を強く惹くことに成功。その母親に対しても、魔法少女の印象を強烈に残した……ってとこミルかね」


「そっか……大人って汚いね……」


「そういうもんミル」


 どこか遠い目となる結菜に、ミルクがしれっと言ってのけた。


「先輩」


 微妙な空気が漂う中、和夫が話しかけてくる。


「どうやら不審者がいるようですので、先輩は先に帰られた方が……」


 その表情は真剣そのもので、油断なく辺りを見回している。


 毒気を抜かれた気がして、ほぅと結菜は息を吐いた。


「あのね、その不審者を警戒するキャンペーンをやってんでしょうが。魔法少女たるアタシが帰ってどうすんのさ」


 笑って言って、結菜はトンと和夫の胸に拳を当てる。


「はは、そういえばそうでしたね」


 和夫が、少し表情を和らげた。


「……ま、帰りたいのは山々だけどね」


 こちらは表情を曇らせ、結菜は肩をすくめる。


「つーかさー、出撃要請とかないわけ? したら流石にそっちの方優先でしょ?」


「そんなもんがあったら、こんな無駄な時間を過ごしているわけがないミル」


「それアンタが言っちゃ駄目でしょ……つーか、無駄ってわかってるなら端っからやらせないで欲しいんだけど……」


「とはいえ、こういう広報活動も予算に直結するミルからね。とりあえず実績だけは作っとかないといけないミル」


「世知辛い……そして、それを聞くとますますこんなことやってないで出撃したい……」


 やる気なさげに、結菜が溜め息を吐いた。


「最近は、出撃があってもレベル三以下の雑魚ばっかだしさー。それも訓練のためにおっさんに任せっきりで、アタシ全然戦ってないし」


「まぁまぁ先輩、平和なのはいいことじゃないですか」


 やや苦笑気味ながら、和夫がそう取りなす。


「そうだけどさー。やっぱ強敵との実戦じゃないと実力磨かれないっしょ」


 不満げに唇を尖らせる結菜。


「先輩は、もう十分に力を付けていらっしゃるのでは?」


「……まだまだ、こんなんじゃ駄目なんだ」


 ふっと、結菜の顔から表情が抜け落ちる。


「アタシは、東雲しののめ佳奈かなを超えないといけないんだから」


 ピクリと和夫が僅かに頬を動かしたのは、伝説の魔法少女の名に反応したのか。

 あるいは、結菜の口調が夢や目標を語るにしては随分と仄暗い響きを伴っていたからか。


 東雲佳奈。


 魔法少女という概念がこの世に生まれてから現在に至るまで、彼女に並ぶ魔法少女は一人たりとて存在しないとされる、世代を越えた絶対エースの名である。

 また、魔法少女史上で唯一第一階位の《箒》を所持することを許された存在でもある。


 十年前の『大厄災』で彼女を失ったことは、魔法少女界最大の損失と言われていた。


「んおっ」


 ふと、そんな声と共にミルクがヒゲを揺らす。


「結菜、お待ちかねの出撃要請ミルよ」


 両目に六芒星を浮かび上がらせ、ミルクはニッと笑った。


「しかも、単体で厄災レベル六だミル」


「へぇ」


 結菜も、好戦的な笑みで口元を歪ませる。


「久々の大物じゃん。おっさん、いくよ!」


「はい、先輩!」


 それぞれ、手に《箒》を出現させる結菜と和夫。


 先程表情に滲んでいた暗い色は、もう微塵も残ってはいない。


 結菜にも……そして、和夫にも。

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