第5話 とあるおっさんの魔法
「ミルクさんもいらっしゃるんですね」
「そりゃそうミルよ。ボクは、和夫付きのマスコット妖精ミルからね。新人の間は、教官役の魔法少女の他にマスコット妖精も専属で付いてサポートする決まりなのミルよ」
「そうなんですか。しかしミルクさんのことはてっきり内勤というか、人事の方かと思っていたのですが」
「それも合ってるミルよ。近年の職員不足で、今やウチの職員に兼任のない奴なんてほぼいないミル」
「大変ですね」
「もう慣れたミルよ」
《アモン》に跨る和夫とその肩に乗っているミルクのそんな会話を聞くともなしに聞きながら、結菜はチラリと和夫の方を見た。
やはり何度見てもキツかったので、すぐに目線を外したが。
(とりあえず《フライ》は安定してる、か……)
現在、一同は雲の上。
《箒》を飛翔させる魔法である《フライ》によって空を飛んでいた。
第七十二階位――最も難易度の低い魔法――の一つではあるが、最初はその制御にアワアワしてすっ転ぶのが新人魔法少女のある種の通過儀礼のようなものだ。
にも拘らず最初から自分と同程度の安定性で飛んで見せている和夫の姿を、結菜は少なからず意外に思っていた。
「さて、そろそろ現場ミル。下降を始めるミルよ」
そんなミルクの言葉に、結菜も思考を切り替える。
「了解、下降開始」
答えた結菜と、それに合わせる形で和夫も《箒》の穂先を下方に向けて傾ける。
しばらくすると、地上から人々の叫び声が聞こえ始めた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ! 魔物だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「食われる! クソッ、食われちまう!」
「もうダメだぁ……おしまいだぁ……」
阿鼻叫喚の中、やがて空から近づいてくる結菜たちの姿に気付く者も現れる。
「あれはなんだ……?」
「鳥か……? 飛行機か……?」
「いや……」
人々の顔に、希望が差した。
『魔法少女だ!』
口々に、明るい声を上げる。
だがしかし、結菜と和夫がスタッと降り立つ段に至ると。
『いや魔法少女じゃねぇ!? おっさんだ!?』
一同、口を揃えてそう叫んだ。
一応傍らにはまさしく魔法少女然とした結菜もいるのだが、どうやら和夫のインパクトにより皆様の視界には入っていないらしい。
「キッツ……」
「これはキツい……」
「ていうか、新たな魔物なんじゃ……?」
ある意味、先程以上の阿鼻叫喚っぷりである。
「(ちょっとミルク! これ、おっさんに幻視魔法掛かってないんじゃないの!?)」
頬に汗を垂らしながら、結菜は小声でミルクに突っかかった。
本来、魔法少女はそのコスチュームに施された幻視魔法によって顔丸出しでも周りにその正体を悟られないはずなのだ。
にも拘らず、今の人々の反応はどう見ても和夫がおっさんであることに気付いているものだった。
「(ちゃんと効いてるミルよ? ただ、幻視魔法はあくまで個人の特定を避けるだけミルからね。和夫がおっさんであるという事実までは隠れないミル)」
「(なんて融通の効かない!)」
「(魔法は使用者の望むように効果を発揮するのではなく、あくまで付与された役割通りに働くだけミルからね)」
「(だったら、おっさんがおっさんに見えなくなる魔法はないわけ!? 出来れば、他の魔法少女にもそう見えるやつで!)」
「(それについては現在、魔法課が新規魔法研究のための予算を求める稟議書を……)」
「(下りない予算のやつはもういいっての!)」
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 食われたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
結菜とミルクのヒソヒソ話は、男性の悲痛な叫びによって遮られた。
「魔物が、魔物が俺の……」
声の方に目を向けると、男性が青い顔で震えているのが見える。
「俺の、せっかく狩った苺を食ってやがるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
男性の指差す方へと更に視線を動かすと、苺の盛られた籠に取り付く白いボールのようなものが目に入ってきた。
大きさは、直径三十センチ程度。
三センチ程の口らしき穴がある以外は、突起もないのっぺりとした形状である。
これが魔物だ。
どこから、どこに、なぜ、いつ現れるのか一切不明。
わかっているのは《魔門》と呼ばれる異界に通じている(と考えられている)穴から現れるということと、今のところ観測されている魔物は全てその体躯が白一色で構成されているということくらいだ。
彼ら(男女の別が存在するのかも謎であるが)の行動原理も不明で、概ねその魔力量に比例して凶暴さが増すという傾向しかわかっていない。
尤も。
そこにいる魔物は口をあんぐりと開け、苺に噛みつき、モグモグとゆっくり咀嚼して飲み込む。
そんな動作を、ひたすら繰り返しているだけだ。
厄災レベルニともなれば、大抵はこの程度の脅威なのである。
レベル一に至っては、ただひたすらに日向でボーッとしているだけの個体も過去には存在したのだとか。
「ミルク、結界は?」
被害が軽微であることに小さく安堵の息を吐いた後、結菜はミルクに対して尋ねた。
「もう張ってるミルよ」
自慢げにヒゲをヒクヒク動かしながら、ミルクがそう答える。
マスコット妖精との名を冠してはいるが、ミルクたち妖精はただ可愛いだけのシンボルというわけではない。
種々の魔法によって魔法少女をサポートする役割を負っているのだ。
その最たるものが、戦いの被害を周囲に及ばないようにする結界魔法なのである。
「そ」
短く言って、結菜は和夫の方に向き直る。
「おっさん」
そして、そう呼びかけた。
しかし、返事はない。
和夫は、じっと魔物の方を見つめている。
「おっさん?」
「あ、はい! なんでしょう先輩!」
再度呼びかけると、若干慌てた様子で振り返った。
「なに? 緊張してんの?」
「はは、そうですね……これほど間近に見るのは初めてなものですから」
そう言う和夫ではあるが、その顔に浮かぶ微笑みからは緊張感は伺えない。
(……?)
一瞬訝しむものの、結菜はすぐに思考を切り替えた。
「そんなんで、アタシの後輩としてやってけんのかなぁ?」
意識して、嗜虐的な笑みを浮かべる。
「ちょっとした試験としてさ……アレ、一人でやってみてよ」
アレ、と魔物を指差した。
同時に、和夫の顔から僅かに視線をズラしてミルクを見る。
ミルクは素知らぬ顔で、静観を貫く様子。
出撃前の「お好きにどうぞ」の姿勢は変わらないようだ。
「おっさんの力をアタシに見せて……出来る?」
「はい、大丈夫だと思います。マニュアルは一通り読みましたから」
「あっそ」
和夫の返答に、結菜は小さく鼻を鳴らす。
魔法少女は、《箒》に登録された《魔印》と呼ばれる構成要素を組み合わせて魔法陣を描くことで魔法を発動する。
三つの簡単な《魔印》を組み合わせるだけで使用可能な《フライ》とは違って、攻撃魔法となれば最低でも数百もの《魔印》で魔法陣を構成しなければならない。
マニュアルには確かに《魔印》や魔法陣の種類とその使用例が記載されているが、それを実際に形成するためには独特の勘やコツのようなものが必要となる。
つまり、結菜のこの指示は無茶振り……あるいは、新人イビリと言っても差し支えないものであった。
「では……」
しかし和夫は、臆する様子もなく一歩踏み出し《アモン》の宝玉を魔物に向けた。
「いきます」
和夫がそう宣言すると同時、宝玉から宙へと《魔印》が次々飛び出していく。
(適当に出してるってわけじゃない……か)
それが意味のある羅列であることは、結菜の目には明らかだった。
(速……ってか、でかっ!? 嘘でしょ……!? 新人がこのレベルの魔法陣を構築するっての……!?)
それは、結菜であれば苦もなく構成出来る規模の魔法陣ではある。
しかし逆に言えば、当代のエース魔法少女と称される結菜レベルでなければ構築するのに苦労するだろう規模の魔法陣であった。
それを、和夫は迷う様子すらなく着々と構築していく。
(第七階位……!?)
構築途中で、結菜はその魔法陣が何の魔法を発動させるものなのかを理解した。
第七階位魔法、《スター☆トレント》。
確かに、和夫の《アモン》の階位からすれば使えない魔法ではない。
が、しかし。
魔法は上階位になる程に複雑な魔法陣を正確に構築する必要があるし、《箒》も上階位になる程に制御が難しくなる。
それなりに経験を積んだ魔法少女でさえ、上階位の《箒》を支給された直後にその階位の魔法を扱うことは難しいのだ。
それどころかその出力に振り回され、今まで扱えていた階位の魔法陣でさえまともに描けなくなることも少なくない。
にも拘らず、これが初の実戦であるはずの和夫は瞬く間に高位の《箒》で高位の魔法陣を完成させてしまった。
例えるならば、初めて触るパズルゲームの難関ステージを、それもハードモードで、いきなりノーミスクリアしたようなものである。
「《スター☆トレント》っ」
最後に和夫がそう口にすると同時に、魔法陣からポポポポポンっと拳大の黄色い星が次々飛び出した。
百ではきかない数のそれらが、放物線を描きながら全て魔物に吸い付き。
ドガァァァァァァァァァァァン!
爆発、四散。
そのファンシーな見た目からは想像も出来ないような規模の大爆発であった。
黄色の煙が晴れた後、魔物の姿は跡形も残っていない。
一方で、付近一帯を吹き飛ばさんばかりの爆発規模だったにも拘らず、周囲への被害は何一つとして存在していない。
これは、魔法が発動した瞬間僅かに半透明になって見えた結界魔法のおかげである。
ミルクがドヤ顔を形作っているが、結菜は一切無視。
結菜の視線は今、一点……魔物が取り付いていた苺の籠に注がれていた。
苺にも籠にも、傷一つ付いていない。
これに関しては、結界の効果ではなかった。
結界の役割はあくまでその周囲を守ることであり、結界内の事象にまでは介在しない。
であればなぜ苺も籠も無事だったのかといえば、和夫がそのように指定して魔法陣を構築したからに他ならないだろう。
しかし生物ならばともかく、苺相手にそこまでの気遣いを見せる魔法少女は滅多にいない。
別段食べ物に対する意識に欠けているというわけではなく、単純にそこまで手を回せる力量を持つ者が稀なのだ。
制御する要素が多ければ多い程、細かく制御しようとすればする程、魔法陣はより複雑になっていく。
殲滅対象の程近くにある苺を護らんとすれば、相当に緻密な制御が必要となるだろう。
先の例で言えば、難関ステージにハードモードで挑んだ上に、本来クリアに必要のないボーナスポイントまで尽く取り切ったようなものである。
一瞬、辺りに静寂の後が訪れた。
結菜としては絶句していた形であるが、観衆からすれば魔物の行く末を確認するのに必要な間だったのだろう。
すぐに、歓声が上がり始めた。
「ありがとう! 魔法少女? のおっさん!」
「ありがとう! 魔法少女ではないだろうおっさん!」
「ありがとう! 魔法少女でないことだけは確かなおっさん!」
人々が、口々に和夫へと感謝の言葉を叫ぶ。
「それでは御機嫌よう、皆さん」
彼ら彼女らにウインクを返すと、和夫は《アモン》に跨がり飛び立った。
同時に、人々が一斉に吐き気を堪えるように口元を押さえる。
「っ!」
そこから遅れること、数瞬。
結菜も、慌てて和夫を追って飛び立ったのであった。
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