あり得ない越境
タナトスの巫女及び戦士達が全滅した。
その一報は、これまで辛うじて平静を保っていたルアル文明上層部に大きな衝撃を与えた。あらゆるものを死なせる、そして未だ原理不明の能力……ルアル文明が持つ『切り札』が、まさか互角どころか一方的に葬られるとは考えられなかったが故に。
現在は残るタナトス族三百億人が能力を発動させ、六十人の巫女と二百人の王族も能力を使っているらしいが……観測結果が正しければ、侵入生物は活動の低下すら確認されていない。どうやらタナトスの能力に対し、完全な耐性を持っているらしい。
この結果はタナトス族も混乱させた。彼等は自分達の力が及ばない、それどころか互角の存在とすら対峙した経験が一切ない。負けた経験などなく、負けた後の対応など考えた事さえない。
つまるところ初めての敗北で、どうすればいいか分からなかったのだ。幼い子供だけでなく、大の大人さえも。未経験の精神負担に全タナトスが見舞われ、社会不安による治安悪化や精神的病が多発している。
ここで能力の強大さが仇となった。死を振り撒くものだから、ルアル文明から派遣された支援者などが星に近寄れないのだ。本来は害意がなければ対象とならない筈だが、どうやらほんの一部の市民が錯乱し、結果無差別な能力になりつつあるという。
タナトスは『最弱』の市民であっても、その能力はルアル文明を丸ごと、一瞬で滅ぼせる。そんな力が無差別に撒き散らされれば、何時かルアル文明を滅ぼしかねない。現状は巫女や王族の能力が自動発動し、タナトスに害を与える者を抹殺する事で安定しているが……これでは恐怖政治と変わらない。治安はますます悪化している。そもそも何百人もいる巫女と王族の全員が、果たして何時まで正気でいられるか。
タナトス達は完全に機能不全に陥った。最早ルアル文明には時間稼ぎしか打てる手がない。しかしダークマター爆弾に惹かれない個体が誕生し、誘導も上手くいかなくなった。まともに機能しているのは空間伸長ぐらいだが、飛行速度が速過ぎて脱出されてしまう。隔離措置は次々と失敗し、被害範囲の拡大が止まらない。
強いて良い知らせを挙げるなら、侵入生物達の成長・繁殖数は世代を重ねるほど低下している事だろう。
ある程度予想されていたが、侵入生物達(厳密にはその祖先)にとってルアル文明の宇宙はエネルギーが足りないらしい。侵入生物からすれば此処は痩せた環境であり、餓死を避けるためには身体機能を退化させるのが一番合理的なのだろう。そして現状一番エネルギーを使うのが、成長速度と繁殖数と思われる。
お陰でタナトス族の敗北、そして侵入生物緊急対策本部が出来てから既に三日も経っているが、侵入生物に食い尽くされた銀河は八つで留まっている。一千六百万以上の文明宇宙の集まりであるルアル文明の全てが滅びるまで、時間的猶予はまだ相当あると言えよう。
……どれだけ時間が確保出来ても、攻撃が効かない以上一般人の避難しか出来ないのだが。それにいくら繁殖速度が落ちたとはいえ、個体数は指数関数的に増加し続けているのだ。数が増えればより広範囲に拡散し、被害を増やしていく。時間はあると言ったが、しかし数ヶ月ものんびりはしていられない。
「いよいよ、手が尽きてきましたね」
「……ですね」
そして次の対抗策を考えなければならない、対策研究部のダーテルフスとユミルは、互いに弱音を吐くほど悩んでいた。
二人は緊急対策本部にある研究室で、仲良く机に突っ伏している。理由は侵入生物に対してなんの対策も思い付かないから。要するに行き詰まっている。こんな事をしている場合ではないと、頭では分かっているのだが……分かっているだけで解決策が浮かぶなら、ルアル文明は今頃侵入生物を駆逐しているだろう。
こんな頭ではろくな案が浮かばない。なので気持ちの切り替えをしたかったのだが、されど先程聞かされた情報――――タナトスの敗北が頭にこびり付く。
あれ以上の作戦が、今のルアル文明に出来るのだろうか?
「正直、タナトス達が出れば事態は解決すると考えていました。まさかあの能力に耐性があるなんて……」
「想定外を常に考えるようにしてますけど、これは流石にキツイです……もう、どんな能力にも耐性があるんじゃないでしょうか」
「現状唯一効果を出したのは、マテリアルディメンション弾による肉体の損壊のみ。それもバラバラにした身体が再生してますから、ほぼ意味はないですし」
「何か、少しでも効果のある攻撃の報告さえあれば、考えようもあるのに……」
現在も侵入生物に対する攻撃は行われている。タナトスの力は通じなかったが、他の攻撃も無効とは限らない。
限らないが、しかし今のところ明確な成果はなし。
多元重力波動砲も、虚数領域弾も、インフレーションスピアも。ルアル文明が誇るあらゆる兵器が通用せず。またタナトスのように『能力』が使える種族も参戦したが、強制催眠も敗北誘導も運命操作も、何一つ効果がなかった。『なんでも出来る』と言われる究極魔法などの類に至っては、タナトスの能力と同じくこれっぽっちも効かない有り様。
強い、なんて言葉では納得出来ない理不尽さ。なんらかのテクノロジーならまだしも、それが一種の生命体となれば尚更だ。
「……今更ですけど、アイツらって元々いた世界じゃどんな立場なんでしょうか。まさか何処かの文明が作り上げた生物兵器の傍に、偶々ゲートを開けちゃったとか……」
「いえ、恐らく野生生物でしょう。あの爆発的な繁殖力と、単純過ぎる行動原理、何より瞬く間に進化する性質からして、兵器としてコントロールが出来るとは思えません。性能の高さに比べて、安全管理のレベルが低過ぎます」
「確かにあんなのを運用出来るとは思いませんけど。でもアレが野生動物って、どんなとんでも世界なんですか……」
「少なくとも、ルアル文明が調査に入っても瞬く間に食われるでしょうね。しかもあの繁殖力と成長速度です。恐らく侵入生物達の祖先は、生態系の最下層にいた種かと思われます」
「あんなのを日常的に喰うのとか、もう我々じゃどうにもならない化け物じゃないですかぁ」
口では絶望に染まったようにぼやくユミル。しかし彼女も分かっている。
もしも奴等の捕食者がルアル文明に来ていたなら、恐らくとうにこちらが勝っていたであろうと。
発達初期の文明がよく抱く誤認の一つに、生態系の頂点ほど『優秀』だとする思想がある。これは結局のところ「だから自分達は優秀だ」と言いたいだけの、知的生命体の傲慢な願望に過ぎない。
実際には生態系の立ち位置による優劣なんて存在しない。どの生物種も、優れた生存能力によりその立場を勝ち取った存在だ。強いて言うなら生き延び、子孫を残した個体こそが優秀であり、ならば今生きている全ての生物が優秀である。
しかしそれを分かった上で言うなら……捕食者、それも高位であればあるほど、絶滅しやすい。何故なら生きていくのに多くの資源が必要だからだ。単純に食糧面だけで考えても、植物は水と光と二酸化炭素があれば育つが、草食動物はそれら植物がたくさん生える環境が必要であり、肉食動物などその草食動物が何十何百といなければ飢えてしまう。環境が悪化し、植物の数が大きく減れば、そこで肉食獣は絶滅する。反面乱獲で肉食獣や草食動物が滅びても、植物は問題なく生き残る。
仮に、侵入生物達の天敵がルアル文明に侵入したとしても……恐らく繁殖前に餓死しただろう。生態系最下層の生物がリアル文明に来たのは、不運な出来事と言うしかない。
「うぅ……新情報も毎日どんどん出てくるし、把握するだけでいっぱいいっぱいですよ……」
「……そうですね。一度状況、つまりあの生物について整理しましょう」
ダーテルフスは(靄のような身体なので厳密には姿勢など分からないが)椅子から立ち上がる。
彼が向かったのは、部屋に置かれたホワイトボード。思考読み取り式のそれは、彼がペンを持たずともすらすらと文字を起こす。
ユミルが顔を上げてホワイトボードに目を向けてみれば、一つの文が書かれていた。
『①侵入生物は別宇宙の生物である』
「基本中の基本、彼等の起源です。彼等がこの宇宙に来たのが意図的か、事故かは分かりませんが」
「この時点で止められれば良かったのですが……」
「原種の時には、プランク秒未満の時間単位で動き回っていたと思われます。管理AIの認識速度を上回る速さでは対応など取りようもありませんよ」
開き直っているようにも聞こえる、ダーテルフスの物言い。しかし実際、時間の最小単位の間に成長・繁殖をされては、対処なんて理論的にしようがない。
出来なかった事をあれこれ考えるのは非生産的だ。そもそもこの話は過ぎ去った事である。全てが終わって対策を練る時なら兎も角、今それを考えても意味はないだろう。
それよりも今、正に猛威を振るっている集団の駆除方法を考えるべきだ。
とはいえそれが極めて困難だからこそ、こうして困っている。理由はユミルにも分かっているが、ダーテルフスはわざわざホワイトボードに文字を浮かび上がらせた。
『②侵入生物はあらゆるエネルギーを吸収する』
「我々が用いたあらゆるエネルギーを、あの生物は吸収しています。少なくともこちらが仕掛けた攻撃を積極的に回避した例は、ギガスが打ち込んだ無限の力だけです。恐らく元の宇宙では、なんらかのエネルギーを吸収して繁殖する生態を持っていたのでしょう」
「そう言えばアイツら、闇雲に突撃してくるだけですよね」
「エネルギーを吸収出来るのですから、それが最適の行動でしょう。物理攻撃であれば粉砕出来ますが、破片から再生するため意味がありません。しかも真空のエネルギーさえも餌にする……我々でも聞いた事がありません」
「普通なら、そんな生物が存続する訳ありませんもんね」
真空のエネルギーは宇宙の
つまり普通ならば真空のエネルギーを食う生物は、自らの宇宙の理を破壊し、それによる環境崩壊で滅びている筈なのだ。しかし侵入生物がそうなっていないのは――――
『③量子ゆらぎを操る力を持つ』ためである。
「あの生物は空間で沸き立つ仮想粒子を自在に操り、それにより周囲の物理法則を改変しています。自ら宇宙の創造を行える以上、物理法則の源をいくら喰い尽くしても構わない訳です」
「最近の観測データから明らかになりましたね。まさかクリエイションエネルギーを搭載している生物がいるなんてって、観測班の人達凄い驚いていましたよ」
クリエイションエネルギーとは、ルアル文明で主に使われているエネルギー生産技術の一つだ。
空間の『揺らぎ』こと量子ゆらぎは、宇宙の誕生であるインフレーションを引き起こした現象である。この理論を応用し、何もない空間に小さな宇宙を生成。生み出された宇宙を燃料にし、莫大なエネルギーを得る。小さいとはいえ放置すれば一つの宇宙になる存在だ。一回でも生成を行えば、ルアル文明に参加する文明宇宙一つが消費するエネルギーの『一時間分』になる。何より一番の利点は、稼働に莫大なエネルギーを使うものの、無から有を生み出せる点だろう。
高度なテクノロジーを使うには、莫大なエネルギーが必要だ。しかし普通のエネルギー生産方法は、エネルギー保存則に縛られているため有限である。当然、たった一時間で宇宙一つを食い潰すようなエネルギー消費は自滅しかもたらさない。ルアル文明が数多の文明を凌駕する技術を維持出来るのも、無限のエネルギーを生み出すクリエイションエネルギー技術のお陰と言っても過言ではない。
侵入生物はこの超技術と同じ性質を持つ。
だからこそ侵入生物は、ルアル文明の戦闘艦に匹敵する力を難なく発揮するのだ。この事実が判明したのは昨日の事であるが、情報が知れ渡った時、研究所が大きくざわめいたのをユミルは記憶している。
しかしこの性質の本当の問題は、ただ強大な力を生み出す事ではない。あらゆるエネルギーを吸収する能力と組み合わせた時、最悪の力へと発展する事だ。
「真空のエネルギーを餌にして、量子ゆらぎで物理法則を改変する。この二つの性質が合わさった結果は、正に最悪です」
量子ゆらぎの力で宇宙の物理法則を作り出す。
宇宙の真空のエネルギーを喰らい、物理法則を破壊する。
これは創造と破壊、二つの性質を侵入生物は持ち合わせている事を意味していた。二つの力を合わせれば、不都合な物理法則を破壊し、都合の良い物理法則に書き換える事など造作もない。
即ち、世界を思うがままに創り直すという事。
世界を創り直すというのは、単に世界が変性するという事ではない。自分の力を妨げる物理法則を食えば、思うがままに力を振るえる。そして自分の性質では防げない攻撃も、物理法則を変えてしまえば発動すらしなくなる。あらゆる強敵を一方的に、反撃も防御も許さず喰い潰せるのだ。
真空のエネルギーを消費している事から、物理法則の改変自体は出現当初から想定していた。だがこうも積極的かつ『自分勝手』な性質なのは想定外。
これではどんな存在だろうと戦いにすらならない。
「一体だけなら最悪放置も一つの手でしたし、ルアル文明の新たな『奥の手』として管理する事も考えられたでしょうが、そうもいかない要因がこの二つ」
『④繁殖能力が極めて高い』
『⑤急速に進化する』
ホワイトボードに浮かび上がった文字を見て、ユミルはこくりと頷く。
これまで挙げてきた、侵入生物の驚異的能力の数々。だがその全てが霞んで見えるほど、この二つの性質の厄介さは段違いだ。いや、この二つの性質があるからこそ、他の性質が致命的問題にまで発展している。
ギガスが繰り出した無限の力は、最初期には問題なく通じ、侵入生物の数を減らしていた。しかし侵入生物はその攻撃中に世代交代を行い、そして耐性を進化させている。無限の力を克服された事でギガスは対抗策を失い、為す術もなく敗北した。
つまり例え効果のある作戦を見付けても、侵入生物はごく短時間で克服してしまうという事だ。
ギガスの無限への耐性ならばルアル文明でも理解の範疇(莫大なコストは掛かるがルアル文明も対策は持ち合わせている。でなければ無限を扱うギガスの建造など出来ない)なのだが、タナトスの能力にも耐えるとなれば、侵入生物が持つポテンシャルはルアル文明の知見が及ばない領域と言えよう。ルアル文明が繰り出す全ての対策に、侵入生物はなんらかの抵抗性を獲得する可能性が高い。
観測により侵入生物が起こす進化のメカニズムは、一般的な生物と同じものだと判明している。即ち、様々な要因でランダムな変異が起こり、その中でより多くの子孫を残した個体が繁栄する生存競争の基本原則だ。
ルアル文明ではこのような進化を『一般進化』と呼ぶ。一部の宇宙生物が行う『獲得進化』――――自分が願った形へと進化する方式に比べると進化速度が遅いのが弱点だが、ランダム故に誰にも予測出来ない変化を起こす事もあるのが利点だ。侵入生物の増殖速度を鑑みれば、進化が遅いという欠点も、知的生命体目線では欠点として機能していない。
また獲得進化をする生物には進化の方向性を誘導し、長所から生じた短所 ― 例えば高い身体能力は大きなエネルギー消費を伴う ― を突くという戦法が有効なのだが、一般進化は方向性が予測不能なためこの手は通じない。最悪、想定の斜め上のとんでも能力を身に着け、誘導どころか手に負えない存在に至る可能性もある。
「……私が考えた案の一つに、なんでもかんでも攻撃して、奴等の身体能力を無害な水準まで抑え込むってのがあったんですけどね。タナトスほど強力ではなくとも、能力者はルアル文明にいくらでもいますから、与えられる耐性はまだまだありますし」
「生物進化の原則から考えれば、耐性を持つほど、エネルギーを多く使いますからね。故に繁殖力が抑えられ、被害の拡大速度は落ちる……ですがこの方法は、短期的には兎も角、長期的には好ましくありません」
ルアル文明の環境に適応し、身体能力が大きく落ちた今の侵入生物でも、三日で銀河を八つ食い尽くすほどの繁殖力だ。しかも無限への耐性を獲得し、そこから更に退化してもこの水準である。
他の『チンケ』な能力の耐性を付けさせても、恐らく侵入生物の繁殖力は殆ど変化しないだろう。最悪、様々な耐性を組み合わせて、より効率的な耐性を獲得し、繁殖力を取り戻すかも知れない。或いはちゃんと使えば極めて有効だった能力が、弱い力から慣らしてしまい、まるで予防接種のように無力化されてしまう可能性もある。
そして一番の問題は、想像の付かない形質に発展するかも知れない事。
生物の形質というのは、一つの目的で留まるものではない。例えば鳥の羽毛は飛行に使われるが、その起源は保温や異性へのアピール目的だったと言われている。また脊椎動物の骨は、元々は貴重な物質を備蓄するための『倉庫』であり、それが偶々大きな身体を支えるのに役立ったと言われている。
数多くの耐性を持たせる事は、侵入生物に新たな『手札』を与えるのと同義。一時の安寧と引き換えに取り返しの付かない力を与えてしまうリスクを無視するのは、些か生き物を嘗め過ぎだろう。
「……総合的に考えるに、侵入生物を完全に駆逐する方法は以下の条件を満たさねばなりません」
ダーテルフスが言うや、ホワイトボードにまた文字が浮かび上がる。
『自己進化の時間を与えない短期殺傷能力』
『短期間で集団を死滅させる影響範囲の広さ』
ギガスの力は、侵入生物を短期的には殺せていた。しかしその影響範囲は拳の周り、或いは機体の近くのみ。銀河中心部を満たす侵入生物を駆逐するには時間が掛かり、故に集団が進化する時間を与えた。
つまりギガスは片方の要素を満たさなかったがために敗北したのだ。タナトスの能力は集団全てに及んでいたが、最初から耐性があったため通じず。ある意味こちらも片方の要素を満たしていない。
ユミル達が考えるべきは、二つの性質を兼ね備えた妙手。
……情報を整理し、ハッキリ見えたからこそユミルは思う。そんな都合の良い手があるなら最初から使っているわ、と。大体ギガスもタナトスも、ルアル文明が誇る三大切り札のうち二つなのだ。それを上回る策がどうして頭を抱える程度で出るのか。
あと一つの切り札ならば或いはなんとかなるかも知れないが、アレの使用はルアル文明でも制御出来ない。タナトス達と違い、こちらのお願いを聞いてくれる『人間味』がないからだ。いざとなれば動いてくれるにしても、頼りにするには不安定過ぎる。
結局、正攻法で挑むしかない。
「うーん、いっそクランチボムでも使うべきでしょうか」
「物騒な事言いますね……」
ユミルの口から出てきたのは、宇宙の膨張方向を反転・収縮させて終わらせる、通称『終焉爆弾』と呼ばれる兵器クランチボム。それに頼りたくなるぐらい、なんの案も浮かばない。
いや、効果があるならユミルもダーテルフスも迷わずそれを提案している。仮に宇宙を一つ閉じたとしても、ルアル文明からすれば大した痛手ではない。避難した住民は一千万以上ある文明宇宙のどれかに移住しても良いし、或いはクリエイションエネルギー技術を応用して新たに創造した宇宙に移り住む事も可能だ。新宇宙に対して『情報コピー』を行えば、クランチボムで消滅した宇宙を再構築する事も容易い。ルアル文明にとって宇宙の終わりなど、その程度のものに過ぎないのである。
しかし侵入生物は強く逞しい。宇宙の収縮による超高密度環境を耐え抜く可能性はある。もしそうなれば、そこに残るのは宇宙終焉を生き延びた脅威の生命体だ。一体どんな能力を持ち合わせているか、分かったものじゃない。それに侵入生物は量子ゆらぎの力、即ち宇宙創生の力を持つ。クランチボムの性質と真逆の力は、耐性として働く可能性が高い。そのため現状、侵入生物にクランチボムは通じないと考えられていた。
加えてクランチボムは宇宙を一点に集める都合、狭い範囲に全宇宙のエネルギーが集結する。もしもこれを糧に侵入生物が増殖したなら……
嫌な絵面が脳裏に浮かぶ。しかし、それでもまだマシではないかとユミルは思う。
「……でも、もしも奴等が他の宇宙に渡ったなら……」
今し方ユミルの口から漏れ出た、最悪の可能性と比べれば。
侵入生物に生身でゲートを行き来する能力があるのは、こうしてルアル文明に侵入した事実から間違いない。
つまりゲートさえ開けば、奴等はルアル文明の施したセキュリティを突破して宇宙を自在に行き来出来る。現時点で侵入生物がゲートを開いた、という観測記録はない。恐らく自力でゲートを開く能力はないと思われる。しかし無限の力にも適応した存在だ。自力でゲートを開くような進化をしないなど、どうして言えるのか。
「いいえ、恐らく彼等は自力でゲートを開けません。今後も出来ないでしょう」
そう考えていたユミルなのだが、ダーテルフスの意見は逆だった。
まさかの楽観論、と一瞬思ってしまう。だが創始種族に限ってそれはないと、すぐにユミルは考えを改めた。彼等は悲観的ではないが、根拠なく楽観視もしない。
「どうしてですか?」
「量子ゆらぎの観測データ、それと真空のエネルギーの変化量から、侵入生物の支配域における基準物理法則が判明しましてね」
「え? あ、もう結果が出たのですか?」
ルアル文明は真空のエネルギーを用い、全ての文明宇宙の物理法則が使えるよう、宇宙自体を改造している。
言い換えれば、どのように真空のエネルギーを使えばある種の物理法則が発現するのか、彼等は論理的に把握しているのだ。観測した空間の真空のエネルギーから逆算すれば、その空間における物理法則の内訳を知るなど造作もない。
侵入生物は物理法則を自在に改変しているが、そこに一定の『ルール』があると確認されていた。あくまで自分の力を活かすため(或いは身体を構成する元素を作るため)の改変らしく、安定した状態ならば解析も行える。解析出来れば使用している物理法則が分かり、対策に役立つかも知れない。
この解析結果がついに出たらしい。昨日時点では相当掛かりそうだと聞いていたので、ユミルは少し驚きを覚えた。
「先程メッセージで連絡が来ました。ベーィムの奴が担当だったので煽ってみたのですが、存外上手くいきましたね」
「……先輩、ほんとベーィムさんと仲良しですよね」
「まさか。確かに仕事は出来ますが知的生命体的に尊敬出来る部分は……いえ、今は良いでしょう。ともあれ支配域で発現している物理法則の一覧を確認しましたが、どうやらゲート開通に必要な物理法則を一つも持ち合わせていないのです」
「一つも? え、一つもですか?」
「はい。普通ならば少なくとも三つはあるものなのですが。隠し持っている可能性がないとは言いませんが、知性のなさからそれは考え難いでしょう」
ある宇宙から他の宇宙に繋がるためには、幾つかの特別な物理法則が必要だ。それも一つだけでは足りず、最小の組み合わせでも四つ必要とされている。また数だけあっても駄目で、特定の組み合わせがなければ機能しない。
もしも法則が足りなければ、その宇宙ではどれだけ文明が進歩しても他宇宙に渡る事は出来ない。真空のエネルギーによる物理法則の操作技術を獲得すれば話は違うが、この技術は極めて高度なもの。単独の宇宙文明で獲得するのは極めて困難だ。
もしかするとルアル文明が把握していない、特殊な法則の組み合わせがあるかも知れないが……そうした法則が一つもないのなら、組み合わせ以前の問題である。
侵入生物はルアル文明でさえ解明出来ていない、タナトスの能力にも耐えた。しかし今度の壁は、理論上突破不可能と証明された壁だ。
訳が分からないものを訳の分からない理屈で突破される事はあっても、知ってるものを知らない方法で破られる事はあり得ない。
「不安になる気持ちは分かります。ですが、だからこそ科学は確かな事を積み重ねていかねばなりません」
「……そうですね。私達の武器は科学。ここを蔑ろにしては、いけませんよね」
「その通りです。奴等が宇宙を渡れないのは明白な以上、最悪でもこの宇宙が滅びるだけ。落ち着いて対策を考えるのです。例えば奴等が作り上げた空間。恐らく侵入生物の祖先が生息していた世界の法則だと思われますが、だからこそ簡単には変更出来ない筈……」
早速作戦を考え始めるダーテルフス。頼もしい先輩に続き、ユミルも対策を考えようとした。
しかしその思考を邪魔するように、電子音が鳴り響く。
音に驚き、思わずユミルは手を伸ばす。考える前に取った自分の行動で、その音が自分の通信端末から鳴っているのだと気付く。果たして何処から飛んできたメッセージなのかと、ユミルは邪魔者を確かめようとする。
邪魔者の正体はすぐに分かった。
侵入生物緊急対策本部だ。どうやら緊急連絡が送られてきたらしい。犯人が分かったのは良いが、しかし対策本部からの連絡が「本日はお日柄もよく」で済むような話題の筈がない。
ユミルはメッセージに目を通す。書かれている内容はごくシンプルなもの。余程急いで送ってきたようで、必要最小限の情報しか載っていない。だからこそ、情報は正しくユミルにも理解出来た。
そしてユミルは思い知らされる。自分達が如何に驕っていたのかを。
「……先輩、現れたそうです。別宇宙に、侵入生物が」
奴等は何時だって、こちらの想定を易々と乗り越えてくるのに――――
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