日々を綴れ、カルペディエム。

翠色 悠陽

【願いの行き着く先は】

その海はいくつもの色を持っていた。

青だけでも数種類あり、青、藍、紺、水色、群青、青藍…青だけでなく赤も白も黄色も緑も、いくつもの色を持っていた。

その海は沢山の人々に愛されていた。

見るものを魅了する美しい風景、波のさざめく音、潮風の匂い。それら全てが、空気が、人々の心に深く刻み込まれた。

そしてその海にはとある伝承があった。

なんでも、手紙を書いて入れた硝子の小瓶をその海に流せばどんな願いも叶うという。

嘘か誠か、それは実行した人にしか分からない。

しかし私は、その伝承に一縷の願いを込めて手紙を書くのだった。


私の妹は生まれつき体が弱かった。足が上手く動かせず、一人で歩くことすらままならない。しかし妹はいつも私の前では笑顔で、元気を繕っていた。

「本当に好きだねぇ、この場所。こんなに何度も来て、飽きないの?」

ある日妹をその海の見える防波堤に連れてきた私は、何度もここに来たいとせがんでいた妹にそう言った。

「好きよ。だってこんなに綺麗なんだもの。

それにね、私がこの景色を見たいって言う時、必ずお姉ちゃんが連れて来てくれる。そりゃあだって、私の足がこんなだからね。

…この景色は、必ず誰かと一緒に見られるの。

それって凄く贅沢なことじゃない?こんなに素敵な景色を、私の大好きな人と共有する事が出来るなんて。」

妹はそう言ってからからと嬉しそうに笑うのだった。



手紙を書き終えた私は、その手紙を小さな硝子の瓶に入れ、キツく栓をした。そしてそのまま海へ向かう。妹の好きな海。願いが叶うとされている海。いつもは車椅子を引いている為、防波堤の所までしか行けないが、今回は私一人。構わず貝殻と砂で歩きにくい波打ち際まで歩く。

…私は長女で、あの子より先に産まれた時に、きっとあの子が貰う筈だった物まで母のお腹の中で全て奪って生まれてしまったんだ。だからせめて、あの子の願いだけは叶えてあげたい。あの子の望むものは与えてあげたい。

あの子がこれから自分の足で自由に歩けるように…。

明日に迫った手術の成功を願って、私は硝子の小瓶を静かに海に流した。


それから数ヶ月後、私と妹はその海に来ていた。

「久しぶりにここに来れて嬉しい。やっぱり何度見ても綺麗だね。」

妹はにこやかに笑う。私も彼女の笑顔につられて笑った。

「ほら、お姉ちゃん、こっち。」

妹が私の手をひいて進み出す。

「すごい、砂浜ってこんな感触なんだ。ふかふかしてて歩きにくいけれど、もし私が転けそうになっても、お姉ちゃんが引っ張ってくれるから安心ね。」

素足をさらけ出して楽しそうに砂浜を歩く妹の姿に、思わず涙腺が緩みそうになる。けれど、ぐっと堪えて

「勿論よ。だってあなたのお姉ちゃんだもの。」

なんて言って笑った。

自分の足で歩けるようになった妹は、今まで出来なかった事を取り戻すように、これから沢山の事を経験するのだろう。沢山の素敵な場所を、自分の足で訪れるようになるのだろう。

彼女が前に言っていた、素敵な景色を、これからも幾度となく彼女の大好きな人と共有する事が出来るのだろう。

「ありがとう。」

ぽつりと小さく放った私の言葉は、潮風に乗って海の向こうに吸い込まれていった。

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