13、BOY MEETS GIRL
「コヘン! 煙出てる!」
料理研究部の部長に大声で言われ、コヘンはハッと意識を戻した。
「焦げちゃったわ……」
「コヘンにしては珍しいわね、黒焦げにするなんて」
黒焦げの物体もといクッキーだった物を眺めコヘンは肩を落とす。部長である上級生の女子生徒はお菓子作りに関して部の誰よりも上手く作れるコヘンがミスするなんてと驚いた。
「ちょっと考え事をしてまして……」
「悩み事? 話聞こうか?」
「いえ、大したことではないので……」
ある悩み事のせいでボーっとしていてクッキーを焦がしたコヘンを部長は心配する。しかしコヘンは相談が出来なかった。元々人に相談されることの多い彼女だが、人に相談するのは苦手なのだ。
(もう婚約者が決まってしまうわ……。両親が勝手に決めたことだけど、娘の私は何も言う権利がない……)
コヘンは失敗作を手にし、渡り廊下を歩く。すると顔くらいの大きなボールが飛んできた。最近流行りのボールに当たると負けという逃げることに特化したゲームである。そのボールがコヘンの手にあたり、そのせいでクッキーが粉々になってしまった。
「大丈夫かぁ?! ごめんな! 怪我はないか?!」
目の前に逞しい筋肉質の大男が現れ、コヘンは驚く。その大男がレッヒェルン・シュヴェールトだと分かるには時間はかからなかった。黙ってれば端正な顔立ちの硬派であり、しかも豪商の息子のレッヒェルンは女子からも人気があり、クラスの女生徒も彼を好いてる子が沢山居たからだ。
元々恋愛には疎く好きな人はいなかったが、両親から勝手に婚約者を決められ、少なからず誰かと想い合いたいという憧れを持っている彼女は腑に落ちなかったのだ。優しく穏やかな両親だが、昔ながらの考えの女は男に黙ってついていけという考えを持っていて、コヘンなりに足掻きたかった。
「大丈夫です。元々失敗作ですし、この後自分一人で残飯処理をしようとしていたので、粉々になってもいいのです」
コヘンはボールを投げ飛ばしたレッヒェルンに笑いながら言う。
「なぁ、ならそれ食っていいか? 腹減っててよぉ」
レッヒェルンにクッキーを求められ、コヘンはくすくすと笑った。
「美味しくなくていいならどうぞ」
粉々になってるクッキーを食べたレッヒェルンは顔を明るくする。
「うまー! こんな美味いクッキー食べたことねぇ!」
レッヒェルンはコヘンのクッキーを手放しで褒めた。生徒会書記のレッヒェルンが豪商の息子だということは知っていたコヘンは舌が肥えてるはずの人にそう言われ、笑みがこぼれる。
「ふふふ、冗談がお上手ですね」
「本当だってば! 俺言っちゃなんだけど、普段から良いもの食べてるからかなり舌肥えてると思うんだよなぁ。プロレベルだよ!」
そこまで褒められたことがないコヘンは嬉しくなり、誰にも言ったことのない夢を話し出してしまった。
「本当は洋菓子店を開きたいんです。でも私は貴族令嬢です。それに婚約者が決まりそうで……その人に嫁ぎ支える未来しかないので、叶わぬ夢ですが……」
そう悲しそうに吐露したコヘンを見て、レッヒェルンは口を開く。
「叶わぬ夢か……つらいよな。俺の知り合いも叶わないと思う夢のために、運命に抗おうとしてる奴がいてさぁ。でもよ! 叶わない夢って決めつけるのは早いんじゃないか?! ギリギリまで粘れよ! 自分の運命は自分で切り開くんだぜ! 無理だと決めたらそれまでなんだよ! かっこ悪いかもしれないけど、泥臭く足掻け!」
レッヒェルンに励まされ、コヘンはなにか吹っ切れたような顔になった。
「そうですね……ありがとうございます。何とか夢を叶える道はないか、模索してみます」
そしてレッヒェルンに笑顔で感謝を述べる。
「その婚約者に事業として店を持ちたいって言うのはどうだ? 複数収入があるのに越したことはないだろ」
レッヒェルンもついお節介を焼き、アドバイスをしてしまった。
「あまり女が出しゃばることを嫌う性格の人なんです……」
コヘンの明るくなった顔がまた暗くなる。
「はぁ? 何それ古くせぇ。女だって働いてキャリアを詰んだ方が後に役立つことが多いのに。家に閉じ込めておくとか、良い男がやることじゃあねぇな。俺だったら女房が事業を起こすの大賛成だぜ! 働いて金を稼ぐのは楽しいからな! それに金はあればあるだけいい。これはただ単純に己の財を積みたいとかじゃねぇ。金があればそれだけ選択肢が、未来が増えるんだ。まあ、金に溺れるのは頂けないから、稼ぐのは自分のキャパに合わせた額までだけどなぁ」
レッヒェルンはニカッと屈託のない笑顔をコヘンへ向けた。
「夢、諦めんなよ。だって、お菓子作り好きなんだろ? 好きじゃなきゃ、こんな美味いもんにならねぇよ。お前の店出来たら、一番に買いに行ってやるよ! なんだってお前の菓子のファンだからなぁ! ……俺も夢があって、それを叶えるまでは死なねぇって思ってるぜぇ」
レッヒェルンはへへへと鼻の下を擦ってみせる。
「ありがとうございます……ファン……嬉しいです」
コヘンは目を伏せながら照れた。
「ああ、大ファンだぜ! また良かったらお前の菓子食べさせてくれるかぁ?」
「はい、もちろん喜んで。今度は焦げてないので、きっと今のより美味しいですよ」
くすくすと笑ったコヘンはレッヒェルンと別れ、廊下を歩く。そして、立ち止まり目を瞑った。
脳裏にはレッヒェルンと洋菓子店で一緒に働く姿が浮かんだ。レッヒェルンと励まし合いながら、店を切り盛りしたいと思った時、彼女の顔が赤くなるほど蒸気する。自分はなんて想像をしてたのかと頭を振るが、レッヒェルンの屈託ない笑顔が脳裏から離れなかった。
婚約者が決まるのに、レッヒェルンを好きになってしまった自分が恥ずかしく、コヘンは静かに涙を流す。
そして、涙を拭いプリンツェッスィンやシュティッケライたちが待つところへ向かったのだ。
◇
シュティッケライは放課後、本を借りに学園の図書室へ足を運んだ。
教科の中では歴史が好きなシュティッケライは歴史に潜む背景を考察するのが好きである。色んな人の人生を垣間見ることができる歴史は彼女にとって先人から学ぶ、間違った道を踏まないよう気付かせてくれる存在で、大変な人生を進むための教訓を教えてくれる存在でもあり、ロマンをも感じていた。
本を何冊か借りたシュティッケライは前から歩いてきた男子生徒とぶつかってしまう。
「すみません!」
「いえ、私こそ前を見てませんでした」
その男子生徒はヴァールの親友のビブリオテークであった。二人が持っていた本たちは床に散らばり、慌ててシュティッケライとビブリオテークはそれらを拾う。
シュティッケライは失礼しますと言い、その場を去っていった。
「これは……?」
彼の手元には一冊多く本があり、その本はシュティッケライが借りた本だった。
ビブリオテークは翌日図書室へ落とした本を探しに来た彼女へ声をかける。
「この本面白いですよね」
ビブリオテークがそう言いシュティッケライに本を渡した。
マイナーな作者の本なのに読んでる人いるのかと彼女は驚く。
「この本読んでる人に初めて会いました」
「奇遇ですね。私もですよ」
その日からシュティッケライはビブリオテークを目で追うようになった。
よく図書室を利用する彼は、政治経済と歴史の本をよく読んでいて、いつもは真面目な本を読むのに時々漫画も読むというおちゃめな所があることを知る。シュティッケライはそんなビブリオテークを可愛いと思うようになった。
容姿は生徒会六学年四人のうちでは平凡と見えるが、知的なところや寡黙なところに好感を持てるし、それに勉強してる時間が半端なく多かったのだ。
一日観察しても、始業前に図書室で予習し、放課後復習をする。そして合間の息抜きに本を読む。いつ休んでるのか謎に思うほど、勉強をしてるのだ。正しく彼こそ勤勉家と言えるであろう。
シュティッケライはついもっと彼のことが知りたくて、声をかけるようになった。最初はお礼と挨拶だったが毎回挨拶をするようになり、段々と日常会話もするようになったのだ。
天気の話や食堂の好きなメニューなど、長い話はしなかったが、確実に距離が近くなっていく。
段々と身の上話をするようになり、ヴァールとプリンツェッスィンという共通の知り合いの話から話が広がり、家のことや将来のことを少しづつ話すようにまでになった。
「自分は何も得意なものがないんです。あっても刺繍くらいで……」
シュティッケライ特有の自虐しながらへへへと笑みをこぼす。
「そうですか? あなたは記憶力がいいですよね。一度覚えたことを忘れないでしょう?」
ビブリオテークに意外なところを突かれ、シュティッケライは驚いた。まさか自分の長所をここで発見するとは思ってなく、そして自分のことをちゃんと見ていてくれたビブリオテークに感謝と愛しさが込み上げる。
「え……はい。確かにそれはそうですが……」
「それは得意なものではないでしょうか? 記憶力が高いのはどの分野においてもとても有利に働きますよ。可能性に秘めてます。今はまだ一年生です。ゆっくり将来のことを考えても大丈夫なんじゃないですか?」
「そうですね。ありがとうございます。あ! 今度……よかったら私の刺繍見て貰えますか? ツェスィーからは、プロになれるって褒めてもらえるほどの腕前なので」
シュティッケライが照れながらビブリオテークに話した。
「ほう。この国の王女様のお墨付きですか。それは楽しみですね」
ビブリオテークも興味津々になる。そしてシュティッケライは彼に尋ねる。
「ビブリオテーク先輩は、将来は何になりたいのですか? 先輩なら、なんの職業でもなれそうですが」
それは素朴な疑問からだった。この人なら何の職業にもなれるとシュティッケライは本当に思っていたので聞きたくなったのだ。
「私ですか? 私は……ヴァールが困らないよう、宰相を目指してます。優しいあの人が、もし人の上に立つことになったら、心を鬼にしなくちゃいけないことが起きるでしょう。あの人の事だ、きっと出来ないでしょうね。なので、私が変わりに心を鬼にするんです。私が嫌われ、嫌がられる役をします。それが大切な親友を守ることになるのなら、喜んでその役を望みますよ」
ビブリオテークは遠くの方を見ながら語る。その目には彼の決意を感じとれた。
「先輩……。素敵ですね。私は応援してます。そしてこの国の人が、世界の人が皆先輩を悪とみなしても、私は先輩のことそうは見ませんから。安心して嫌われてください」
シュティッケライはビブリオテークに笑顔を向ける。
「ふふ、あなたは面白いですね。安心して嫌われる、ですか。それもいいですね。一人が分かってくれるなら、耐えられると思います」
ビブリオテークはくくくと面白可笑しそうに笑った。普段笑わないビブリオテークの笑顔を見て、シュティッケライは完全に恋に落ちてしまう。寡黙で努力家で不器用な彼が好きだと心から思ったのだ。
それから何故かシュティッケライは週に一度、ビブリオテークに勉強を見てもらうようになった。
飲み込みが早く成績も上の方のシュティッケライが、家庭教師みたいなことをされる必要はなかったのだが、どちらから言い出したか分からないその特別授業は毎週のように行われるようになったのだ。
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