それが命の恩人に対する態度ですか
「何なのだ! 貴官の指揮は?」
〈ブリュンヒルデ〉から移乗したマルガリア皇女は俺を罵倒する。
「
「小官には交戦許可は与えられていません。殿下の護衛が小官と〈ロスバッハ〉の任務です」
「妾が撃ち殺されてもよかったというのか?」
「小官の独断で王国との戦争を始めるわけにはいきません」
「妾の命より命令が大事か?」
「帝国の命運の方が大事であります」
ゴホンとヴァネッサが咳払いをする。
「殿下、王国の駆逐艦が本気なら、〈ブリュンヒルデ〉は第一射で撃沈していました」
「なっ!」
「王国は帝国が引き金を引いたという事実を作りたいのです」
「……では婚約破棄もそのためだというのか?」
「そう考えても矛盾はありませんが、そこまではわかりません。私たちは一介の軍艦乗りの軍人ですから」
「だ、だが先に引き金を引いたのは王国ではないか!」
「不審船に対する警告射撃ということで済ませるつもりだったのでしょう。〈ロスバッハ〉には当てないようにしていましたし、領海の外には出てきませんでした」
「そんな屁理屈が国際社会で通用するものか!」
「おそらく国内向けのプロパガンダでしょう。つい先日、王国では政変があったばかりですし」
ヴァネッサにそう言われて、皇女はようやく静かになった。しかしヴァネッサのアドリブ力は凄い。ついさっきまで王国の政変なんて知らなかったくせに。
俺は〈ブリュンヒルデ〉の船長に問いかけた。
「船長、〈ブリュンヒルデ〉の航行に問題はありませんか?」
政府専用船(実質的には皇族専用船)の〈ブリュンヒルデ〉は帝国海軍の所属で、船長は俺より年齢も階級も上の軍人だ。だが〈ロスバッハ〉艦内なので艦長という俺の地位に敬意を払ってくれた。
「被弾していませんし問題ありません」
「本艦の重力エンジンを使って重力カタパルトで〈ブリュンヒルデ〉を本国に向けて打ち出すのは可能ですか?」
「得られる速度次第ですな。問題となるのは減速が間に合うかどうかですが、燃料は十分残っているのでまず問題ないでしょう。それより重力カタパルトを使う恩恵が十分にあるのかが問題でしょう」
「双方の航海長同士で検討させた方が良さそうですね」
「ぜひそうすべきですな」
俺たちは部下の航海長たちに指示を出した。
航海長たちがコンソールを見ながら検討を始めた傍らで、皇女殿下は艦橋の中を見回していた。
「この艦の乗組員はずいぶん若いのう。そなたは何歳じゃ?」
「二十八です」
「階級は?」
「大尉です」
「巡洋艦の艦長は大佐を充てるのが通常じゃな。艦長の年齢は任命時は五十歳前後が普通じゃ」
「ずいぶんお詳しいですね」
「妾は帝国海軍元帥じゃぞ」
マルガリア殿下は十八とは思えないぺたんこな胸を反らして威張った。
「存じております」
皇室の統帥権を確立するため、皇族は帝国軍の将官の階級を得ている。マルガリア皇女の場合は帝国海軍元帥だが、もちろん形式的なものだ。
「なぜこの艦の乗組員は若いのだ?」
今乗っている人間で一番若いのは皇女本人なのだが。
「……人事局にお問い合わせください」
「つまらんやつじゃ。ところで妾の部屋はどこじゃ?」
俺は氷点下の視線を殿下に向けるが、肝心の殿下は気づかない。見かねたのか、船長が発言した。
「〈ブリュンヒルデ〉より〈ロスバッハ〉に乗艦された方が、殿下は安全でしょう」
年齢も階級も上の人間に正論を言われたら、従うしかない。
「ヘルネ副長、君の部屋に殿下を案内してくれ」
「私のですか!?」
「乗員で個室が与えられているのは自分と君だけだ。男と相部屋というわけにはいかない」
ヴァネッサは嫌そうな表情を隠さなかったが、それはマルガリア殿下も同じだったようだ。
「この生意気な巨乳女と同室じゃと!」
ヴァネッサのは平均以上だが『巨』というほどではないと思う。どうやら殿下はコンプレックスを抱えているようだ。
「本艦は御召艦ではありません。ご不満なら営倉をご用意するしかありません」
「……妾は寛大じゃ」
ヴァネッサを自分の替わりに営倉に入れろと言わないだけマシか。
「殿下、ご案内します」
ヴァネッサはそう言い殿下の案内を始めたが、俺の方を一瞬振り向き、舌を出して見せた。
艦橋に戻ってきたヴァネッサは機嫌が悪かった。
「副長、勤務時間ではないのだから休みたまえ」
軍艦の乗員は通常は三交代制だ。だが艦長と副長は合計二人しかいないので二交代制だ。責任は重く勤務はきつい。割に合わない職務だ。
「皇女殿下のお相手は休まりません。さっさとカタパルトで打ち出してください」
「航海長に検討させたが、大して日程の短縮にならないから止めることになった」
「全く短縮しないよりマシだと思いますが」
「カタパルトで打ち出したら護衛艦のやり繰りがつかない。それならこのまま〈ロスバッハ〉で護衛した方が良いということになった」
重力カタパルトを使えば〈ブリュンヒルデ〉を加速することはできるが、〈ロスバッハ〉は逆に減速する。後から追いかけても〈ロスバッハ〉が〈ブリュンヒルデ〉に追いつくことはできなくなる。
「俺じゃなくて艦隊司令部の判断だ。文句ならマンシュタイン長官に言ってくれ」
非軍用船の〈ブリュンヒルデ〉は速度と燃費のバランスがとれた経済速度しか出せない。なので燃費を無視した戦闘速度が出せる〈ロスバッハ〉で〈ブリュンヒルデ〉を曳航した状態で航行を続けている。どこかで燃料補給を受けなければならないが、それは艦隊司令部が考えて決めることで、〈ロスバッハ〉の指揮権しか持たない艦長の俺が今考えても仕方がない。
「私の労働環境の文句は誰に言えばよいのですか?」
「王国軍に言ってくれ。殿下のお相手は気が休まらないとは思うが、艦橋にいる方がマシなのか?」
「殿下は王国のプロパガンダ放送を観て荒れるんです。『妾は悪役令嬢か!』って叫ぶんです」
「『悪役令嬢』?」
「王国で流行っている
「なんだ、そりゃ? 王国はいつから王家がお飾りの民主国家になったんだ? 王子が平民と恋愛結婚できるわけがないし、悪いのは婚約をないがしろにした王子の方じゃないか。王侯貴族のことを何も知らない自由恋愛至上主義の平民の妄想か?」
「たぶんそうじゃないですか。殿下も同じことを言ってましたから」
「平民はともかく、王太子まで便乗するとは……王国は何を考えているんだ?」
「最新の流行は『白い結婚』だそうです。結婚式の後の初夜で、新郎が『おまえを愛することはない!』と新婦に言い放って夫婦の務めを放棄するのだとか」
「……ひょっとして『真実の愛』の相手の愛人とだけ励むというストーリーなのか?」
「殿下によるとそうらしいです。『白い結婚よりはマシじゃった』と言ってました」
ブーブー言っているが、ヴァネッサはちゃんと殿下とコミュニケーションがとれているようだ。
「世継ぎを作るのも王侯貴族の大切な務めなんだが、嫡子をボイコットして庶子だけなんて許されるわけないだろう」
「艦長は貴族ですから、さすがに詳しいですね」
「爵位しか財産がない貧乏貴族だがな」
帝国海軍は実力主義だ。人事に爵位は全く考慮されない。自分が貴族であることを公表していない軍人も少なくない。
「それに家は弟が継ぐことになっているから、弟が継いだら俺は平民落ちだ」
「なぜ艦長が継がないんです?」
「継いだら軍を退役しないといけない。俺の家の家計は俺の給料で支えているんだ」
『搾取子とは、そなたも存外苦労しているようだのう』
コンソールから呼びかけられて、俺はびっくりした。情報共有のため、艦長席のコンソールと副長の個室のコンソールの間にはチャンネルが設けられていることを、遅まきながら思い出した。
「盗み聞きとは、殿下も良い趣味をお持ちのようで」
『きちんとコンソールにロックを掛けていない方が悪いとは思わんか』
「道義的には同意できませんが、軍務的には仰るとおりです」
ヴァネッサの方を見ると、テヘペロをしていた。それが許されるのは
『条件をつけるのかえ』
「殿下がご自身を善悪の区別がつかない子供だとお認めになるのなら、全面的に同意いたします」
『そなたのようにズケズケと物言う者は初めてじゃ』
「
『それも諫言のつもりか? 考えておこう』
おや、意外と素直なところもあるようだ。
『そう言えば、そなたの名前をまだ聞いてなかったの』
「オスカー・フォン・ハウゼンです」
『ハウゼン? 建国の十二家のハウゼン伯爵家か?』
気づかれたか。ハウゼンという姓は珍しくないんだがな。
「そうであります」
「名門じゃないですか!」
ヴァネッサが驚きの声をあげる。
『なんじゃ、知らなかったのか』
「軍内では爵位の話はしないのが普通ですから」
『そう言えば帝国海軍は実力主義じゃったの』
家門で階級を得ているのは殿下だけです。
「名門だったのは昔の話です。今は財産もなく、貴族としての見栄を張ることもできません」
『金、金、金の御時世とは、世知辛いのう』
帝国で一番の金持ち一家の一員には言われたくないです。
『もう一度訊くが、なぜそなたが艦長を務めているのだ? さすがに妾でもおかしいと気づくぞ。本当に人事局に問い合わせてもよいのだぞ』
自分についている護衛の質が気になるのは当然か。俺は観念して答えた。
〈ロスバッハ〉は建造されてから三十年近く経っている。軍艦としては老嬢だ。何度か近代化改修を受けているが、老朽化の進行に伴い改修費用が高くなってきて、遂に艦を新造した方が安上がりになってしまった。そのため解体処分にするか練習艦に転用するかが検討されていた。
そんな〈ロスバッハ〉の運命が変わったきっかけは、クルーガー重工業による新型重力エンジンの開発だった。新型エンジンの
事故により全乗組員の命が失われたが、〈ロスバッハ〉は無傷だった。新型エンジンは特定の条件下で人体のみに有害な放射線のようなもの(物理学には詳しくないので俺には理解できなかった)を放射するらしい。そうならないようにエンジンは制御されていたはずだが、制御プログラムに
プログラムは
『酷い話じゃのう』
初めて殿下が共感できる言葉を言ってくれた。
『そのような欠陥品に妾を乗せるとは!』
うん、ちょっと前の自分を叱ってやりたい。
「〈ブリュンヒルデ〉と
そう言ったらコンソールの画面の中の殿下は「ぐぬぬ」という台詞が聞こえてきそうな顔をした。王国の駆逐艦に追い回され撃たれた経験がトラウマになっているのかもしれない。少し酷な質問だったかもしれない。
だが現実は無情だ。王国は殿下に配慮などしない。
「王国軍の艦隊を捕捉、本艦へのランデヴー軌道を取っています!」
俺は船務長に怒鳴り返す。
「詳細を確認しろ!」
そしてヴァネッサに指示を出す。
「総員第一級戦闘配備、艦内に状況報せ」
ヴァネッサは指示通り艦内に状況をアナウンスする。その間に船務長から王国艦隊の情報がコンソールに送られてくる。
「単縦陣で十隻、先頭艦はキング・ゴードン級戦艦か」
編成から見て王国宇宙軍の第一戦隊か第二戦隊だ。確か第一戦隊は定期整備のため、ほとんどの艦がドッグ入りしているはずだ。
「王国宇宙軍の第二戦隊と思われます。交戦可能距離まであと三百分」
船務長が俺の推測を裏付けてくれた。
俺は殿下に呼びかける。
「殿下、〈ブリュンヒルデ〉に移乗するのなら、今が最後のチャンスです。万一の事態になったら本艦は戦闘機動をとるため、〈ブリュンヒルデ〉の曳航を続けられなくなります」
万一と言ったが、ほぼ確実にそうなるだろう。プロパガンダ放送でさんざん殿下を悪役令嬢に仕立て上げたのだ。まずは殿下の身柄引き渡しを要求し、拒んだらそれを口実に開戦するつもりだろう。
婚約破棄宣言があったときから、こうなることは艦隊司令部も予想していた。開戦を前提として帝国艦隊も動いていた。だが我々の増援に駆けつけられる友軍の艦はいない。宇宙はあまりにも広いのだ。
本当は〈ブリュンヒルデ〉を早々に放棄して戦闘機動で本国に逃げ込むのが最善だったのだが、宮内省と財務省が反対した。皇族専用船の〈ブリュンヒルデ〉は宮内省が所有する備品であり、帝国海軍が管理と運用を委託されているという形になっている。指揮系統の問題があるので帝国海軍の所属になっているが、所有権は宮内省のままという歪な体制が仇になった。また〈ブリュンヒルデ〉はコルベット艦程度の大きさしかないが、皇族が乗るのに相応しい船にするため軽巡洋艦並みの予算が注ぎ込まれている。財務省が反対した理由はこれだ。
ひょっとしたら王国宇宙軍はやって来ないかもしれないという宮内省と財務省の甘い見通しのツケを払わされるのは現場だ。俺たち軍人はまだいい。気の毒なのは殿下だ。
『そなたから気の毒と言われるとは思わなんだ』
コンソールにそう言われて、俺は戸惑った。
「途中から考えが口から漏れてましたよ」
ヴァネッサが横から教えてくれた。
『そなたの見立てでは、どちらに乗っていた方が助かる確率が高いかの?』
「五分五分ですな」
正確に言えば、どっちに乗っていても、ほぼ助からない。相手が巡洋艦と駆逐艦のみの少数艦隊だったら助かる可能性はあったんだが、〈ブリュンヒルデ〉を曳航していたから戦艦に追いつかれてしまった。
『では妾はこのまま〈ロスバッハ〉に座乗する。第二戦隊ということは、敵の旗艦は〈プリンス・ブライアン〉なのじゃろう。どうせなら旗艦が沈むところを見届けたい』
「名前がブライアンでも、王太子が座乗しているわけではありませんよ」
旗艦を沈められる可能性はほとんどないが、それを口にしてわざわざ士気を下げる必要はない。
『わかっておるわい。悪役令嬢としての、せめてもの意地じゃ』
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