第二章 少女の護衛

第一話

 優維人は高校生活における二回目の一学期終業式に参加していた。

 壇上では校長が夏休みの心得を生徒達に言い聞かせている。

「いいですか、皆さん。様々な悪い誘惑があっても、絶対に誘いに乗ってはいけません。特にルシファーやエンジェルドロップには関わってはダメです。君たちの人生に多大な悪影響を与えるでしょう」

 長期休みに入ると、未成年の犯罪が増加する傾向にある。特に昨今多いのが割りの良いバイトだと思っていたら、実は闇バイトで犯罪の片棒を担がされた、というもの。犯罪行為を企んでいる大人がルシファーに計画立案を頼み、ルシファーが未成年を捨ての駒とする計画を提案。そして、目先の金額に目が眩んだ未成年がまんまと利用された挙句、警察に逮捕されるのだ。

 だから学校側は生徒から逮捕者が出ないよう、必死に注意を呼びかける。

「では、次は生徒指導の先生のお話です」

 校長はそう言い残し交代。生徒指導の教師も、校長と同じ内容の話を繰り返す。

 教師の話が終わると、終業式は解散。生徒達は自分の教室に戻っていく。優維人が教室に戻った後も、ホームルームで担任の女性教師から先ほど同じ話を聞かされた。

 ホールルーム終了後、優維人が教室を後にしようと席を立つと、クラスメイトの男子生徒から声をかけられる。

「なあ、黒崎。これから昼飯を兼ねたカラオケに行くんだけど、お前も来ねえ? 他校の女子も来るちょっとした合コンみたいなもんだけど」

「ごめん、ちょっと用事があるんだ。仕事のことで」

 そう優維人が断ると、クラスメイトはなんとも言えない表情を浮かべる。

「あー、例のか。……だけど、お前あまり無理すんなよ。いくら学校が認めてくれるといってもさあ。クラスメイトがいなくなるの、俺が嫌だからな」

「わかってる。じゃあ」

「ああ、またな。二学期、絶対学校に来いよ!」

 心配してくれるなんて、いい奴だな。

 そう思いながら、優維人は教室を出る。学校を出た後、十五分ほど歩いて目的地へと到着。苗木警察署と書かれた門をくぐり、署の中へ。そのまま受付へと向かう。

「CRAの黒崎です。対応事件の報告に来ました」

 応対した受付の若い女性警官に「CRA証明カードを提示してください」と言われ、優維人は財布から一枚のカードを取り出した。このカードはCRA証明カード。その名の通り、その人物がCRAだと証明するためのカードだ。CRAの仕事をしている間は、このカードの所持が義務付けられている。もし携帯を忘れた場合は、CRAとしての活動が一時的に禁止されるなど、かなり厳しい罰則がある。

「はい。ありがとうございます。昨日検挙した女性へのストーカー事件ですね。では、こちらの書類に必要事項をご記入してください」

 書類を受け取った優維人は近くにあった椅子に座り、空欄を埋めていく。

 CRAに仕事を依頼してくる人間は二種類。警察と民間人だ。依頼を成功させると、依頼してきた人物から依頼料をもらう。

 そして、どちらが仕事を回してきたかに関係なく、CRAは事件を解決した場合、その事件の報告書を警察に提出しなければいけない。

 これは法律で義務付けられていることであり、優維人も素直に従う。だが、今だに手書きというのは気に入らない。今時確定申告もネットで出来るというのに、何故この作業はアナログなのだろう。書類作成もオンライン上でできるようにしてほしい。そうすればわざわざ警察署に来なくて済む。

 記入が終わると、優維人は書類を受付に提出。

「確認しますので、少々お待ちください」

 警察が書類を精査している間、優維人は椅子に座って待つことに。ぼーと待っていると、とあるポスターが目に入った。それは警察が作成したもので、可愛いらしいキャラクターが「犯罪に手を出さないで!」と呼びかけている。

「……呼びかけでなくなれば、苦労はしないよ」

 優維人は小さく呟いた。

 優維人がCRAになってから一年以上経つ。その間にルシファーとエンジェルドロップのせいで日本の治安がどれだけ悪化したのか、嫌というほど思い知らされた。

 十歳以下の女児をターゲットにしていた強姦魔。老人を殺害して家の金品を奪った中学生強盗グループ。養子を組んでは保険金のために十数人を殺害した中年夫婦。これら優維人が関わった事件以外にも、毎日毎日嫌な事件が日本中で起きている。

 だが、日本はまだマシな方。海外では人身売買組織がを調達するため、集落を襲って消滅させたという事件もある。

 ある著名な犯罪学者はこう言った。

 人々の心の奥底にはどす黒い欲望が隠れており、普段は倫理観や社会の目、その人物の能力、犯行が露呈した際のリスクなどが枷となっている。その枷を外し、犯行を可能とする力を与えてしまったのがルシファーとエンジェルドロップであると。

 優維人はこの二つを世に放った人間を常々ぶん殴りたいと思っている。よくも犯罪を助長させやがって、犯罪の犠牲者を増やしやがってと。

 だが、それは無理だ。何故なら相手がわからないから。

 ルシファーとエンジェルドロップの開発者は同一人物だと考えられているが、現在も正体不明。各国が莫大な懸賞金を掛け必死に探しているのも関わらず、情報が一切出てこないのだ。開発者はミスターゴッドと呼ばれているが、勝手に世間がつけた名前だ。本当に何一つわからないのだ。

 あんた、何がしたいんだよ。身勝手な欲望で傷つく人を見て楽しいのかよ。

 優維人が元凶に恨み節を抱いていると、「黒崎さん、黒崎優維人さーん」と受付から優維人を呼ぶ声。優維人は「はい」と応え、受付に向かう。

「書類の方、確認しました。問題ありません。これ、書類のコピーです。CRAの方は、警察に提出した書類のコピーを三年間保管する義務があります。無くさないようにお願いします」

 優維人が書類のコピーを受け取り、帰ろうとした時だ。

「黒崎ぃ!」

 雷鳴のような声が響き、署内にいた警察官や市民が思わずすくみ上がる。一方の優維人はまたかと思いながら、ゆっくりと振り向く。

 そこにいたのは一人の中年男性。身長百八十センチを悠に超える、クマのような巨体。髪をオールバックにしており、顔には濃いサングラスをかけている。

 この人物の名前は、熊谷くまがい 時臣ときおみ。苗木警察署に所属する刑事であるのだが、その風体からよくヤクザと間違われる。

「こんにちは、熊谷さん」

「こんにちは、じゃねーよ!」

 熊谷は優維人に顔をずいと近づける。

「お前、やりすぎなんだよ!」

「やりすぎとは?」

「昨日お前が捕まえたストーカーだ! お前、あいつを捕まえる際、何度も殴ったり蹴ったりしたそうだな。お前のことがすっかりトラウマになって、取り調べできる精神状態じゃねえんだよ」

「あの、お言葉ですけど、相手はエンジェルドロップを服用したんですよ。しかも被害女性、一般人も近くにいた。相手が動けなくなるほどのダメージを与える必要があったんです」

「だからって、もう少しやりようってものがあるだろ?」

「……犯罪者相手に手加減をしろということですか?」

 優維人は熊谷のことを睨みつける。熊谷も負けじと睨みつける。

「そういう意味じゃねえ。俺達警察、CRAの仕事の役目は市民を犯罪から守ること。そして、犯罪者に生きて罪を償わせることだ。俺達に犯罪者を裁く権利はない。ましてや暴力で痛めつけることなんてもっての外だ。お前のようにな!」

 一触即発の張り詰めた空気が二人の間に流れる。周りは恐れ慄きながら優維人達の様子を伺っており、署の中は鎮まり返っている。

「まあまあまあ!」

 やけに明るい声で、一人の若い精悍な顔立ちの男性が優維人と熊谷の間に入ってきた。

「熊谷さんも優維人君もその辺で! 皆二人にビビっちゃってるから!」

 男性の名前は奥山慎一。苗木署に所属する刑事で、まだ二十代半ばと刑事の中ではかなりの若手。刑事課ではムードメーカー的な存在であり、熊谷の相棒でもある。

「ふん!」

 熊谷は鼻を鳴らし、ずかずかと刑事課の部屋に戻って行った。奥山は熊谷を見送った後、優維人に向き直る。

「やあ、優維人君。昨日の事件の対応、ご苦労様。怪我とかはない?」

「大丈夫です」

「それなら良かった」

 奥山は優維人の肩を優しく叩く。

 CRAの仕事を行う中で、警察官と面識を持つようになる。優維人もこの苗木署の警察官達とは顔見知りであり、当たりの強い熊谷を除いては良好な関係だ。特に年齢の近い奥山とは仲が良く、弟のように可愛がってもらっている。

 奥山は「ただし」と付け加える。

「優維人君もあまりやりすぎないように。CRAはある程度の実力行使が認められているけど、それにも限度がある。度が過ぎると、今度は君が犯罪者となる。君が嫌っている犯罪者にね。俺は過剰防衛や暴行で君を逮捕したくない」

「……気をつけます」

「うん、わかったならオッケー!」

「それでは失礼します」

 優維人は奥山に挨拶した後、苗木署を出た。

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