番外編④ 虎のなわばり(アレックス視点)

⭐︎アレックス視点

 「またたびの夜に」のあと





 

 ライオーヌ王太子の生誕祭で魔術を披露して貰った、特別休暇も明けてしまった。

 目の前の花瓶に生けてある愛しい妻の尻尾に似ている、いや、妻の尻尾のほうが100倍も愛らしいラグラスを見て、ため息を吐く。


 朝まで触れ合っていたのに、すでにソフィアが不足している。ソフィアの癒しのたれ耳に触れたい。嗅ぎたい。キスしたい。

 ライオーヌ王太子の生誕祭で魔術を披露した後のソフィアは、本当に可愛すぎた。魔術披露の条件を1週間の特別休暇ではなく1ヶ月にすればよかったと思う。


 またたびを使った夜、蕩けるソフィアが可愛くて愛おしくて、食べても食べても食べたくて、結局ソフィアを一度もベッドから下ろせないままだった。

 ソフィアがまたたびを入手したプッサン商会に、妻と楽しめるまたたびと回復薬も手配した。また休みの日にゆっくり使おう。


 早くソフィアに会えるよう、山になっている書類を半分ほどさばいたところで王太子のライオーヌがやって来た。


「その顔は、特別休暇は楽しめたようだな」

「おかげさまで」

「宴の途中で帰るなんて、アレックスは薄情なやつだな」

「妻の願いを全て叶えてやりたいのは、夫として当然だ。頼まれていた魔術は披露したから十分だろう」


 ライオーヌとは、同じ歳で幼い頃から遊び相手として過ごしてきた。自分の執務室を抜け出して、息抜きに魔術塔にやってきたライオーヌに改まった口調で話す理由はない。


「定時までに終わらせるから、早く戻れ」


 ライオーヌと話す時間だけ、ソフィアと過ごす時間が減る。しっしっと片手を振って帰るように促すが、ライオーヌはニヤニヤして机の隅に腰かけた。


「はあ、本当に昔からアレックスは、たれみみ女神に一途だな」

「変な呼び名をつけるな。いや、待て。名前を呼ぶな。想像するな、ソフィアが減る」

「いやいや、減らないだろう?」

「確実に減る」

「はあ、本当にアレックスはブレないな。そういえば、昔、たれみみ女神を泣かせた奴を王都から追い出したよな」


 呆れたように溜息を吐くライオーヌをじろりと睨む。


「愛しい婚約者だったソフィアのたれみみを、垂れているから聞こえないなんて言うから、ティーグレ公爵家として正当な抗議しただけだ」

「うん、まあ、確かにな」


 侯爵家のきつね獣人如きがソフィアを虐めて、泣かせるなどあり得ない。あれからソフィアのたれみみをブラッシングすることも、甘やかすために膝の上に乗せることも、婚約者なら当たり前のことだとソフィアに刷り込ませることができたのはよかった。

 

「アレックスがたれみみ女神を追いかけてポミエス学園にまで行ったのは、流石に驚いたな」


 にやにやした顔のライオーヌに、思いきり眉を寄せる。


「ポミエス学園の魔術教師が決まらなければ、王宮魔術師が派遣されることに決まっている。決まりに従っただけだ」

「たれみみ女神の在籍していた年だけ、示し合わせたように求人が来なかったな」

「不思議だが仕方ない」


 まだ帰らないライオーヌに溜息をこぼす。敢えて空気を読まないライオーヌを無視して、書類を次々と選り分けた。ソフィアの話をすればする程、会いたさが加速する。


 元々ソフィアは、ティーグレ公爵邸からラプワール学園に通う予定だった。ソフィアの父上のコリーニョ伯爵から懇願されて全寮制のポミエス学園に決まった。ソフィアを安心して通わせるため、学園長と相談して教師の採用基準を変更した結果、魔術教師の条件を満たす者は現れず、魔術教師をすることになっただけだ。

 先生と生徒という関係は、蕾がゆっくりほころぶように大人になっていくソフィアを隣で見守ることができた。


「はあ、早くソフィアに会いたい」

「おいおい、俺のこと見えてる?」

「見えていない。帰れ」


 目の前でひらひら片手を振るライオーヌを無視する。


 今日は帰ったらアラビアンなソフィアに癒してもらおう。そう決めたら俄然やる気が湧いてくる。

 ポミエス学園時代のソフィアのクラスは、学園祭の度に想像の斜め上をいくカフェを予定していた。メイド喫茶、しのびカフェ、アラビアンカフェの発案者が同じ者だったことに驚いたが、ティーグレ領の商会に引き抜いておいた。耳かきカフェ、舞妓喫茶、マーメイドカフェなどソフィアの魅力を次々と引き出すことに成功している。


「俺のこと無視するの、アレックスくらいだぞ? まあ、いいや。生誕祭の魔術が好評だったから伝えておこうと思ってきたんだけど――って、聞こえてないか」

 

 

 気づいたらライオーヌがいなくなっていて、二枚の観劇チケットと走り書きしたメモが置かれていた。


『うさぎをずっと閉じ込めておくと、スタンピングされるぞ? 来年の新作魔術も期待しておくな! ライオーヌ』


 観劇チケットをじっくり吟味して、つぶやく。


「『たれ耳女神は、偉大な魔術師様のお気に入り』、か。ソフィアが喜びそうだな」


 上着を羽織り、観劇チケットを仕舞うと定時の鐘が鳴った。

 特別休暇をライオーヌから取得する算段と、劇の責任者に連絡をするのは、明日にしよう。

 愛しの妻の待つ家に帰ることより、大切なことなど何ひとつないのだから。






 おしまい


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