第11話 聖女

 

 夏休みが終わるとポミエス学園に転入生ーー虎獣人のアンナ・サブラージ侯爵令嬢が魔術科の3年生に転入してきた。


 白虎獣人のアンナ様は、魔力量がとても高いのでアレックス様の担当する特別クラスにいる。

 とても珍しい白虎を見た人は幸せになれると言われ、古くから神聖な生き物として崇められてきた。アンナ様は誰もが見惚れるような美人なので聖女みたいだとポミエス学園で噂されている。


「失礼します」


 魔術の授業前に職員室を訪れるとアレックス様が椅子から立ち上がり、わたしに笑いながら向かってきた。


「ソフィア嬢、お待たせしました」


 いつものように2人で廊下を歩いていく。窓から見える中庭は陽射しが降り注いで鮮やかな緑に輝いている。


「ソフィア嬢と学園を一緒に歩くのも、あと少しですね」

「はい……。アレックス先生の魔術の授業が楽しみだったのでさみしいです……」


 いつも座学の授業が終わったあとに、きらきら光る魔術を見せてくれるアレックス先生の魔術の授業をわたしたちのクラスはすごく楽しみにしていた。


 意識してしまった途端にすごく寂しい気持ちになってきて、たれ耳がぺたんとさがってしまう。アレックス様と結婚するのはすごくすごく楽しみなのに、ポミエス学園のアレックス先生にはもう会えないと思うと、丸い尻尾もぷるぷる震えて思わずアレックス様の洋服の裾を掴んで見つめてしまった。


「先生、さみしいです……」


 洋服を掴んだ手に大きなあたたかな手が重なって、ふわりとアレックス様の甘い匂いが鼻を掠めたすぐ後にわたしの唇にやさしいキスが落ちる。


「――っ!」

「ソフィア嬢、あずまの国では、うさぎはさみしいと死んでしまうそうですよ」


 あずまの国の秘技であるウインクを見惚れるように華麗に決めるアレックス様に体温が上がってしまい、さみしい気持ちはぴょんとどこかへ跳ねて行った。



 ◇◇◇



 薬師科にある自然豊かなカフェテリアのテラス席から見えるコスモスの花が風にゆらゆら揺れている。


「薬師科のフォレストカフェはすごく落ちつくね」

「野菜が新鮮で美味しいわよね」


 夏休み前に騎士科の食堂に行ってからエミリーとクロエに誘われて、日替わりで色々なカフェテリアや食堂に足を運ぶようになっていた。

 最近すっかり足が遠のいてしまったメルヘンチックなカフェテリアは、ライアン王子とアンナ様をよく見かけると噂になっている。


「ライアン王子のひと目惚れみたいよ」

「そうなんだ! 王子が騎士の誓いをささげたい相手が聖女のようなアンナ様なんてロマンス小説みたいだね……」


 ライアン王子は、メルヘンチックなカフェテリアに足繁く通っている時にアンナ様を見かけて恋に落ちたらしい。

 目をつむって美形な王子と美人と評判の聖女を想像するとすごく絵になるなあとうっとりしながらランチを食べ終えた。



 縞模様の尻尾がカレンダーでごきげんにゆれる日は、魔術の授業前に職員室を訪れる。


「…………っ!」


 はじめてアンナ様を見かけて、そのあまりの美しさに言葉を失った。聖女さまのようなアンナ様に見惚れていたら目の前に端正で凛々しくて格好いいアレックス様がいつの間にか立っていて同じように見惚れてしまう。


「ソフィア嬢、教室に行きましょう」

「あっ、は、はい……っ」


 いつものように廊下を歩いていても学園祭が近づいているポミエス学園の雰囲気もごきげんにゆれている。廊下を歩きながらアレックス様が口をひらく。


「ソフィア嬢は最後の学園祭ですね。今年はどんなカフェをする予定なんですか?」

「最後のカフェは、アラビアンカフェをするつもりです」

「アラビアンカフェーー今年はあずまの国がテーマではないんですね」


 少し驚いたような表情のアレックス様に階段の踊り場で、わたしは曖昧にうなずく。


「砂漠の国に伝わる願いごとを叶えるランプと、そのランプの精霊をモチーフにしたカフェをひらこうと思っています」

「それは、面白そうですね。ランプの精霊は男性でしたねーー接客は男子生徒がするのかな?」


 にっこり笑みを浮かべたアレックス様に首を横に振った。


「砂漠の国のランプの精霊は男性なのですが、あずまの国のランプの精霊はくしゃみをすると男性の精霊が現れ、あくびをすると女性の精霊が現れるのを参考にして全員で接客をする予定です」

「なるほど……。ソフィア嬢のクラスは、あずまの国が好きですね。今年も呪文はあるのかな?」


 アレックス様の言葉にもう一度、横に首を振る。


「今年は各テーブルにランプを置いて、お客様が注文する時にランプをこすってランプの精霊を呼び出してもらいます。そこで呼ばれたら必ず言う言葉は決まっています」

「そうなんだね。なんて言うのかな?」


 縞模様の尻尾の先をゆらゆら揺らしたアレックス様に見つめられ視線を彷徨わせてしまう。


「えっと、そ、それは、本番まで秘密です……!」


 両手でぎゅうっと口を覆う。

 わたしにぐっと近づいたアレックス様がたれ耳をぺろりとあげて、低音でたれ耳を震わせる。


「ソフィー、仲のいい婚約者は隠しごとをしてはいけないと決まっているよ」

「ええっ、そ、そうなの……? あっ、でも……絶対に秘密だよってみんなと約束してるから――…」


 わたしの言葉にアレックス様の縞模様の尻尾がしゅんと垂れて、さみしそうに眉を下げた。雨に濡れた虎みたいに黒い瞳にかなしみがにじんでいる。


「僕とソフィーは仲のいい婚約者じゃないのかな?」

「えっ、ううん……。あっ、あの、アレク様、絶対に絶対に秘密にしてくれる……?」


 しょんぼりしたアレックス様を見ると胸がせつなくて苦しくなってしまう。嬉しそうにうなずいたアレックス様にランプをこするの真似を頼み、その仕草に合わせて、ぴょんっと横からアレックス様の前に現れた。


「呼ばれて〜飛びでて〜ぴょんぴょんぴょんっ!」


 両手でハートの形を作って、大きく横に身体をゆらして、ぴょんぴょんはたれ耳をぱたぱた動かして、最後のぴょんっはぴょこんっと飛び跳ねる。



「ランプの精霊ソフィアぴょん――ご主人さまのお願いごとはなんですぴょん?」



「――…………」


 ランプの精霊でいる間は、言葉の語尾にぴょんをつけなくてはいけないのが恥ずかしくてぷるぷる震えてしまう。

 沈黙が落ちてしまったのが居たたまれなくてアレックス様の顔を見ることができないでいたら、ぐいっと抱きよせられたれ耳にリップ音が響いた。


「ソフィー、なにこれ、すごくかわいいね……本当に癒される……。ソフィーは癒しの聖女か女神なのかな?」

「えっ、ほ、本当……?」

「うん、もちろん本当だよ。絶対に誰にも言わないから、またかわいくて癒されるランプの精霊ソフィーになってくれるかな?」


 たれ耳を持ち上げてささやくアレックス様に、こくんとうなずくと嬉しそうにふわりと笑う。

 アレックス様と話したあと、今年の学園祭は飲食をする催しものは中止になったことが発表されてしまって、わたしたちのクラスはポミエス学園の歴史を展示することになった。

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