第9話 またたび

 


「あ、あの、ごめんなさい……」


 アレックス様にどっさりかかってしまった茶葉を払おうと手を伸ばした途端に、大きな身体に覆われるようにきつく抱きしめられる。

 いつも馬車が揺れるときは落ちないように、やさしく抱きしめてくれるけど今日のアレックス様は身体が熱くて呼吸が荒い。


「、っ――…、っ……」


 苦しそうに息をするアレックス様が心配で背中にゆっくり腕をまわしてやさしく背中をさする。

 ゆるんだ腕のすきまから手を伸ばして、金髪の髪や黄色の丸い耳、肩に残っている茶葉をそっと落とす度に、またたび紅茶の甘い匂いがゆらりと大きく立ちのぼってアレックス様の体温と混ざり合っていく。


「ん、……あ、れく、さま――…」


 呼吸をするたびに頭の芯がくらりと痺れる。ふにゃりと力が抜けるみたいに心がとろとろほどけてしまう。

 アレックス様の熱い体温も心地よくて、抱きしめられた腕のたくましさも混ざり合う匂いも、ぜんぶ――…


「あれく、さま――す、き……だいすき――」


 わたしの身体は、力がくたんと抜けてアレックス様に寄りかかってしまう。アレックス様の胸に、どうしてもぺたたんと垂れるたれ耳を擦りつけたくて涙がにじんでとろりとする瞳でアレックス様を見つめた。


「っ、ソフィー…………っ、集合アンサンブル


 アレックス様が魔術を唱えると、散らばった茶葉がきらきら煌めいて紅茶缶の中に戻っていく。アレックス様がまたたび紅茶の蓋をきっちり閉め、わたしがぽんやりしている内に馬車の窓が開けられて、さわやかな風が馬車の中を流れている。


「ソフィー、もう気分は悪くないかな?」


 アレックス様の言葉にこくんとうなずく。頭のくらくらした痺れもすっきりして、身体の力が抜けていたのも治っていた。


「あ、あの、アレク様、ごめんなさい……」


 たれ耳をやさしく撫でられると、いつもよりずっとずっとアレックス様にひっつきたくなってしまう。アレックス様の洋服をぎゅっと掴んで、どうしようと迷っていると、ふわりと笑ったアレックス様がわたしをやさしく引きよせる。


「ソフィー、おいで」


 その声に誘われて、ぺったりと寄りかかって目をつむればアレックス様のいつもより早い心臓の音が聞こえて、わたしもアレックス様もなにも話さないままゆっくり時間が流れていく。

 ふいにアレックス様がくすりと笑った。


「ねえ、ソフィーはどうしてまたたびを知っていたの?」

「うん……、この前読んだロマンス小説の中で出てきていて、小説の中でハムスター獣人の彼女が猫獣人の彼のためにお香を焚くと朝まで元気いっぱいになっていたから、虎獣人のアレックス様も元気になると思って……」

「なるほど、そうだったんだね。ソフィー、ありがとう」


 やさしく労わるようにたれ耳を撫でられたけど、茶葉をこぼしてしまったことが申し訳なくて、たれ耳をぷるぷる震わせてうつむく。

 アレックス様にたれ耳をぺろりとまくられる。



「ソフィー、またたびはね――子づくりするときに使うんだよ」



 アレックス様がささやいた秘密に間抜けな声が口から漏れる。


「………………えっ」


 たしかに言われてみれば、ロマンス小説でも2人は結婚してから使っていたし、エミリーとクロエも顔を赤らめていたことを思い出す。

 とんでもない勘違いに気づいて、わたしの顔が真っ赤に熱くなったり真っ青に青ざめたりと忙しく変わっていく。


「大丈夫だよ。うさぎ獣人のソフィーは、またたびのことをよく知らなくても仕方ないからね」


 ぽんぽんとたれ耳を撫でられても、子づくりのときに使うものを今から飲んでほしいとアレックス様に勧めたことが恥ずかし過ぎて、たれ耳も丸い尻尾もぷるぷる震えてしまう。穴を掘って飛び込んでしまいたくてアレックス様の胸に飛び込んだ。


「ソフィーは本当にかわいいね。でも、これを僕以外の人に渡したら食べられちゃうから絶対にだめだよ」

「う、うう、もうまたたびは使わない――…」


 ひたすら恥ずかしくて、こくこくうなずきながらたれ耳をぐりぐりアレックス様の胸に擦りつける。くすくす笑うアレックス様を見上げれば、きらりと光る黒眼に見つめられていた。


「ソフィーの贈り物は、結婚したら一緒に使おうね」


 またたびグッズのつまった風呂敷を手に持ったアレックス様に有無を言わせない迫力で告げられて、わたしはこくんとうなずくしかなかった。


「――転移ス・デプラセ


 アレックス様の魔術で風呂敷が光に包まれていき強く輝いたと思ったら、またたびグッズのつまった風呂敷はなくなっていた。


「え、えっ、あれ……?」

「転移魔術だよ。僕の部屋にきちんと転移させたから安心してね」


 転移魔術は、失敗すると転移するものが弾けたり消失してしまう難しい魔術なので魔力をすごく消耗すると習っている。眉をさげたアレックス様がふう、と大きな息をはく。


「アレク様、大丈夫……?」

「ううん、ちょっと色々大丈夫じゃないかな……。ソフィーに癒されたいな」


 そう言い終わると同時に、ぽすんとたれ耳に顔をうずめるアレックス様にどきどきが止まらない。身をよじろうとしても縞模様の尻尾にぎゅっと巻きつかれ、ふわふわの髪を梳き撫でられる。


「ソフィー、かわいい……癒される……」


 それからアレックス様は、わたしのたれ耳をやさしく撫でて頬ずりとキスを落とすのをひたすら繰り返す。


「もう、本当にソフィーはどれだけ僕を夢中にさせたいのかな……。こんなかわいい勘違いしちゃうなんて……はあ、本当に癒されるよ――…」


 かわいい、好き、癒される、可愛すぎるをずっとずっと繰り返すから恥ずかしくてたまらないのに、いくら身をよじってもやめてくれない。

 ティーグレ公爵家の別荘に到着したとき、わたしの身体は力がくたんと抜けきって立とうと思ってもぷるぷるしてしまう。


 嬉しそうなアレックス様にお姫さま抱っこで運ばれながら、ポミエス王国のことわざに『虎にまたたび』ができる日がくるかもしれないと思った。

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