第21話 廊下での邂逅
名前も知らないその侍女の後ろを、リリーシュは黙ってついて行く。
ちょっと不遜すぎたかな。
先ほどの自分の言動に、リリーシュは自分自身驚いていた。学園時代はほぼぼっち。時折彼女をマキャベリ商会の娘だと言うことで、からかってくる輩はいたが、逆らわずやり過ごすことに徹していた。
でも、父が亡くなりユージーンや商会を護って行くのは自分しかいないという責任感から、ただやり過ごすだけでは駄目だと思い始めていた。
そしてロードバルトとの再会も、大いに関係している。
彼が自分を気に入っているという言葉は、今もまだ信じられない。
彼が吐く甘い言葉にはまだ慣れないし、どこまでが本気で、どこまでがおふざけなのかわからないところもある。
でも少なくとも、彼はリリーシュがリリーシュであることを肯定してくれている。
今の彼女を変えようとはせず、彼女の資質を評価し彼女が大切にしているものを理解し、彼女に寄り添ってくれる。
女性達から逃れるため学園長の部屋で、たまたま共に過ごしたほんの束の間のひと時、それだけで彼が自分を特別視したとは思えないが、彼にとっては意味のあることだったのかも知れない。
『研究ばかりしか脳のない売れ残りの冴えない子』
リリーシュに投げつけられたグラシア伯母の言葉。それが世間のリリーシュに対する評価だ。
もちろん、商会では研究者として重宝されているし、ユージーンには姉として慕われている。それだけがリリーシュの全てではない。
しかし、彼女のことを知らない。知ろうとしない人にとっては、やはり前者の評価が占める率が高い。
「えっと、まだですか?」
侍女の進むままに、ただついて行くリリーシュだったが、先ほどより距離を歩いている気がする。
声を掛けるが、侍女は振り返ることなく「間もなくです」と素っ気ない答えしか帰ってこない。
『これって、嫌がらせかしら?』
そうは思いたくないが、可能性はなくもない。
「うわ!」
突然前を歩いていた侍女が立ち止まった。
リリーシュは勢い余って、彼女の後頭部にぶつかった。
「い、痛い、急になに?」
それほど早足で歩いてはいなかったので、鼻血が出たり、鼻の骨が折れるまでには至らなかったが、痛いものは痛い。
しかしぶつけた鼻を押さえるリリーシュを気遣うことも、謝りもせず侍女はさっと廊下の脇に避けて会釈した。
「……? あの?」
「あらぁ、どちらのご令嬢かしらぁ」
急な侍女の行動に戸惑うリリーシュの耳に、甘ったるい声が聞こえてきた。
はっとして声がした方をみると、自分達が進む先の廊下の中央に、派手なドレスを着た令嬢三人が扇を手にして立ちはだかっていた。
顔の下半分を開いた扇で隠しているので、誰かはわからない。たとえ見えていたとしても、リリーシュが知っている人物かはわからない。
「あなた方、彼女のことをご存知?」
真ん中に立つ令嬢が、脇に控える令嬢二人に問い掛ける。
髪は紫紺。瞳の色は、この距離からはよくわからない。最新流行のデザインのドレスを身に纏い、離れた場所からもわかるきつい香水の香りを漂わせている。その堂々とした出で立ちから、高位貴族の令嬢と思われる。
「いえ、存じ上げませんわ」
「私も、夜会などでお見かけしたこともございませんわ」
扇で口元を隠してはいるが、はっきり聞こえるように話す。
「ああ、そう言えば最近身の程も弁えず、王弟殿下に特別扱いされていると勘違いしている者がいると聞きましたわ」
「私も聞きましたわ」
「あらぁ、それは困ったわねぇ。そのような者につきまとわれて、ロードバルト殿下もお気の毒に」
「本当に、少し殿下に親切にされたからと言って、何を思い上がっているのやら」
クスクスと三人が囁き合う。
もちろん彼女たちの言う「身の程も弁えず、王弟殿下に特別扱いされていると勘違いしている者」とは、リリーシュのことを差している。
彼女たちの後ろに、先ほど見かけた侍女がいることに気づき、リリーシュは隣の侍女を見た。
何となく、この出逢いが仕組まれたもののように感じる。
わざとらしい三人のやり取りも、既にリリーシュが何者かわかっての行動かも知れない。
しかし、ここでうだうだしてはいられない。ロードバルトが自分を待っているのだ。
彼女たちは廊下いっぱいに広がってはいるが、端をすり抜ければ通れないこともない。
ただ、何も言わずに通してくれるとは思えない。
「あの、申し訳ございませんが…」
「あら、私、話しかけて良いと申しましたかしら」
「いいえ、カサディーナ侯爵家のヴェロニカ様以外に、この場で一番身分の高い者はおりません。ですので、ヴェロニカ様が発言の許可をされていないのに、話しかけることは無礼にあたります」
女性がパチンと扇を閉じ、顔をはっきり見ることが出来た。
「カサディーナ侯爵…ヴェロニカ様」
年齢はリリーシュよりひとつ上。ロードバルトのひとつ下。
ロードバルトが学園にいる間、一番彼を追い回していた令嬢だった。
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