第276話 見慣れた神社 -3-
母が何気なく放ったその言葉は、私の中で大きく膨らんだ。
あやかし界に残るなら、会社は辞めなくてはならない。しかし、急に辞めて迷惑をかけるわけにはいかない。
何なら無断欠勤なんてもってのほかだ。
そもそも、今回、運良く無断欠勤になっていないのはラッキー以外のなにものでもない。
「お母さん・・・私・・・」
今までのこと、これからのこと、まずは母にきちんと話をしなければならない。
「あのね。すぐに戻ってくるから。そうしたら、今までのこと、全部話すから・・・」
何からどう伝えるべきかまとまらなくて、支離滅裂になっている私に、母はそっと微笑んだ。
「わかったわ。もし連休が終わる頃になっても戻ってこなかったら、会社にはしばらく休ませますって連絡しちゃうから、できるだけ早く戻ってきてね。」
昔から母はそうだ。
いつも私が悩んでいること、困っていることはお見通しで、ふんわりとアドバイスをくれる。
「うん!いつもごめんね!ありがとう。そろそろ行かないと・・・」
と、そこまで言った所で、蒼月さんが私の着物の裾を咥えて引っ張った。
ふと視線を落とすと、蒼月さんは私ではなく母を見ていて、それを見た私は、蒼月さんの言いたいことを理解した。
「お母さんはもう帰るの?」
「そうね。今日のお勤めは果たしたし、あなたにも会えたし。」
「こんな時間に、一人で?え、徒歩?」
「何よ、急に心配症になっちゃって。あなたも知っている通り、家までは暗い道もないし、安全よ。」
「そうだけど・・・」
それでも、こんな明け方近くに母を一人で帰らせるわけにはいかない。
「せめてタクシーで帰ってよ。」
「ええ〜。歩いて5分ちょっとなのに?」
確かにそうだ。ここからうちの神社までは、微妙な距離なのだ。
そんな押し問答を続けていたら、
「であれば、私たちがお送りしましょう。こちらへ・・・」
そう言って現れたのは
そこそこの大きさの龍を見ても、母はいたってマイペースで、
「まあ、まあ!龍の背中に乗せてもらえるなんて、子供の頃の夢が叶ったわ〜!」
なんて喜んでいる。
(我が母ながら適応能力が高すぎない・・・?それとも、もしかして、これは夢・・・?)
「子供の頃は、あちらの世界から来たお友達がたくさんいたのよ。」
母はそんな衝撃的なことをさらりと言った。
(・・・ん??)
母の言葉を頭の中で繰り返す。
(・・・・・・んん??)
その言葉を理解した瞬間、
「え!そうなの!?」
と思わず叫んでしまい、それと同時に
「人目につくゆえ、次元を変えようぞ。」
(この感覚・・・前にもどこかで)
次元を変えるという言葉について深くは掘り下げなかったけれど、結構近くを飛んでいても誰も気づかないところを見ると、今は三次元ではないところにいるのだろう。
もう、何が起きてもあまり驚かなくなっている自分に笑ってしまう。
母は母で、まるで昔からの知り合いのように道案内をしていて、もともと徒歩でもさほどかからない距離の実家にはあっという間に到着した。
「うむ。良い神木であるな。」
ゆっくりと着地しながら
私は、
やっぱりしんみりとした空気になるかなと思いきや、
「じゃあ、またね?」
母はまったく名残惜しそうな様子もなくそう言うと、
「送っていただき、ありがとうございました。琴音のこと、どうぞよろしくお願いいたします。」
深々とお辞儀をして、バイバーイと言わんばかりに手を振って消えていった。
「物怖じしないところといい、おまえは母上とそっくりだな。」
狐の姿の蒼月さんが、やっと口を開く。
「え!私、あんなに能天気ですか!?」
思わず本音が口から飛び出ると、蒼月さんのみならず、
(うっそー・・・)
あんな感じなのか・・・と、改めて認識して苦笑いをしていると、
「この神社はとても気が心地よいですね。もう
突然、
「そうだな。そうすると、色々と便利ではあるな。」
蒼月さんまでそんなことを言っている。そもそも、色々とは一体なんなのか・・・
しかし、もし私があちらとこちらを行き来することが増えるのなら、その便利さは願ってもいないことだ。
すると、
「そろそろ戻るとしよう。」
こうして母を送り届けた私たちが、さっきの神社に戻ってくると、薄明かりが空を染め始めていた。
そんな中、
(あ・・・私が迷い込んだ時の状況と似ている・・・)
白い狐に誘われて鳥居をくぐった日のことを、鮮明に思い出す。
すると、
「準備が整いました。これで帰れますよ。」
その声に、私は一度だけ誰もいない後ろを振り返った。
蒼月さんに「本当にいいのか?」と尋ねられたけれど、今はみんなが待っている場所へ戻るのが先だ。
「・・・大丈夫です。行きましょう。」
蒼月さんがひらりと
ゆっくりと浮かび上がり、鳥居をくぐった瞬間、心地よい風が頬を撫でた。
「おまえがどちらの世界にいても、俺はいつでもおまえのそばにいるからな。」
蒼月さんがそっと囁き、私はそのさらりとした白い毛皮を優しく撫でる。
(ありがとう・・・蒼月さん。)
やがて視界が淡い霧に包まれ、次に視界が
「ただいま・・・」
静かにつぶやいたその言葉は、目の前の鮮やかな緑の森の中に溶け込んでいった。
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