第266話 母から子へ -2-

目の前の白狐からは邪悪な気配はもう一ミリも感じなかった。


「おのれ〜〜〜!!!人間ごときが邪魔をしおって〜〜!」


相変わらず蒼月さんの炎に縛り付けられたままの祝部ほうりべが、憎々しそうに声を上げるのを聞きながらも、目の前の白狐の美しさに釘付けになる。


「母上!」


ふと声のした方を見ると、八重やえさんがこちらに駆けてきているのが見えた。

黒悠之守こくゆうのもりは地面まで降りてきていて、煌月さんも結界を解いた蒼月さんとなにやら話をしている。


(なにを受け取ったんだろう・・・)


煌月さんが蒼月さんに何かを渡しているのが視界に入ったものの、


八重やえ!!」


九重ここのえが娘を認識して呼ぶ声を聞いて、意識がそちらへと戻る。


その様子を見たら、もう縛り付けておく必要はないことは明らかだ。


「守りの結界、解け。氷の鎖ももう不要です。ありがとう。」


そう小さく唱えると、九重ここのえを捕らえていたものはすべて消え去った。

八重やえさんも狐の姿に戻り、母娘は再会を喜んでいる。


「本当に・・・おまえは・・・」


気づくとすぐ後ろに蒼月さんがいて、私の頭に大きな手をそっとのせた。


「いやあ・・・本当に、自分でもびっくりなんですけど・・・」


フフフと笑いながら横に来た蒼月さんを見上げる。


「はぁーー・・・でも、人間界に繋がる前に九重ここのえを弱体化できて、よかった・・・」


今になって、緊迫した状況だったことを思い出し、大きく息をついていると、


「ハハハハハハ!」


湖の方から大きな笑い声が聞こえてきて、そこにいた人全員の視線が祝部ほうりべ の方を向いた。


「これだから人間は愚かだというのだ!」


蒼月さんの炎に縛られたままなのに、なぜあんなに自信満々なのだろう。どこからその自信が湧いてくるのかわからないまま、ただただ祝部ほうりべを見ていると、


「六条!例のものを早く!!」


祝部ほうりべは縛られた状態のままで、湖畔の幽玄亭ゆうげんていに向かって大声を上げる。

すると・・・結界の張られた幽玄亭ゆうげんていからノロノロと出てきたのは、猫背で冴えない痩せ型の若い男だった。

その男の頬にある大きなホクロを見た瞬間、みおそので見た男と同一人物だということがわかった。


「六条・・・」


これは蒼月さんのお母さんの声だろうか。後ろからボソリとつぶやかれた声は、低く、そして太かった。

その声を聞いただけで、一瞬背中にゾワゾワと悪寒が走った。


(お母さんは絶対に怒らせないようにしよう。うん。絶対だ・・・)


密かにそんなことを考えていると、六条が何かを祝部ほうりべに渡そうとしているところだった。


「こんな炎の縄も解けないようで、稲荷評議会の会長の座が欲しいなどと、図々しいにも程があるぞ!!さっさとよこせ!」


そう言って、祝部ほうりべは六条が手に持つ大きめの何かを、縛られた炎の間からようやく手を伸ばしてひったくった・・・その瞬間、蒼月さんの炎の縄が弾け飛んだ。


「なに!?」


蒼月さんの反応からして、それは予想外だったように見える。


「くっ・・・油断した!まさかそのような手段が・・・!」


そう言って蒼月さんは再度同じように青い炎を投げつける。けれど・・・


バチーーーーーン!!


同時に祝部ほうりべから放たれた黒い炎と中間地点でぶつかり合い、双方共に大きく弾け飛んだ。


「なんだと!?」


蒼月さんがこんな反応をするのはめずらしい。一体なにがどうなっているのかわからず、ただただ状況を見守っていると、


「とりあえずおぬしらはこの中に入った方が良さそうじゃぞ。」


黒悠之守こくゆうのもりがそう言って、こちら側にいる全員を結界の中に収めたのとほぼ同時に、湖と私たちの間で黒い炎の柱が何本も立ち上がった。


その黒い炎は、私が先ほど作った氷の壁をみるみるうちに溶かしていく。そして、完全に私たちの間を塞ぐように黒い炎の壁が出来上がると、


「六条家に伝わる鍵に、九重ここのえの妖力をしかと封じた!これさえあれば、黄泉の扉は開く!」


高らかな笑い声とともに、祝部ほうりべはそんなことを叫んだ。


「なに!?」


「そんな・・・」


私と蒼月さんの声が重なる。


「しかし、まだ人間界への通路は開いていない。どうする気だ・・・?」


煌月さんが誰に言うでもなくつぶやいている声が聞こえる。そんな中、


ミシミシ・・・ピシッ・・・・


どこからか何かにヒビが入るような音がかすかに聞こえてきた。

そして、その音は徐々に大きくなっていき・・・嫌な予感がよぎる。

そんな中・・・


カシャーン!


と乾いた音が辺り一面に響いたその時、



ザバァーーーーーーーーーーン!!



「ハハハハハ!天は、我に味方せり!!」


湖の中央から大きく水が噴き上がる。その吹き出し口を見ると、先ほどまで穴があったところから白い光が強く漏れ出している。


「つながってしまったか・・・」


ゆっくりとそうつぶやいたのは、黒悠之守こくゆうのもりで、


「やれやれ・・・久々に、人間界へ赴くとするか・・・」


こんな緊急事態にもかかわらず、ため息をつきながら、「仕事行きたくないな」みたいな感じでそんなことをつぶやいた。


すると、ふと、


「煌月。我らは我らのすべきことを・・・」


お母さんの静かな声が聞こえた。そして、


「六条 影門かげと、よく聞きなさい!」


湖に向かって大きな声で六条を呼ぶ。そして・・・ビクリと大きく身体を揺らした六条は、ぎこちない動きでこちらに顔を向けた。


「この度の所業、先の祝部ほうりべの言葉とも相まって、稲荷評議会および華月院家への明確な謀反と断ずる。よって、稲荷評議会の名のもとに、六条家を取り潰すものとする。」


水音の収まった湖周辺に響き渡る、凛とした声。

その一瞬後に、小さく、


御意ぎょい。」


とつぶやいた煌月さんは、すぐに六条の元へと駆け出した。と同時に、黒悠之守こくゆうのもりは、


「さて、琴音殿。我らももう一仕事じゃ。」


と、私を背中に乗せる。そして、


「華月院の・・・おぬしも来るか?」


なんと、蒼月さんにも同じように尋ねた。


その問いかけに、蒼月さんは一瞬戸惑いを見せる。けれど、私をチラリと横目で見ると、


「そうだな・・・ここまできたら・・・行く末を見守ろう。」


そう言って、自らひらりと黒悠之守こくゆうのもりの背中に飛び乗った。

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