第265話 母から子へ -1-

蒼月さんが目の前に立っている。

何食わぬ顔で「また襲われている」と言いながら、クククと口角を上げている。


「蒼月さん!!もう、大丈夫なんですか?」


そう言って蒼月さんに駆け寄ると、蒼月さんはいつもの穏やかな笑顔でうなずいた。

よく見ると、少し離れたところに、蒼月さんのお母さんと風華さんもいる。


「さっきはああ言ったが・・・随分一人で頑張ったみたいじゃないか。」


突然の褒め言葉に照れてなにも言えなくなってしまう。すると、再び結界に何かが衝突したのを感じて湖を振り返る。


「おい!バカにしてるのか!?」


と怒りに満ちた声で叫ばれ、祝部ほうりべ 冬嗣ふゆつぐの存在を一瞬忘れていたことに気がついた。


すると、


「うるさい!少し黙っていろ!」


蒼月さんはイラッとした表情で湖を振り返ると、青い炎を祝部ほうりべ に向かって投げつけた。

あっさりとその炎に縛り上げられた祝部ほうりべ は、さらにイライラとしながら大声を上げる。


「おい!どうにかしろ!六条!影渡かげわたり!!」


その声を聞いて、やはり隣にいるのは影渡かげわたりさんで間違いないことがわかった。


そんな騒ぎの中、


ガルルルル・・・・


近くで再び響いた唸り声にハッとして九重ここのえを見ると、


「娘よ・・・わらわをあやめれば、蒼月も果てることになるが・・・良いのか?」


少しは正気が戻ってきているのか、相変わらず動きは粗暴で瞳に浮かぶ影は濃いものの、初めて言葉を発するのを聞いた。


「あなたをあやめるつもりはありません。ただ、元の姿に戻って欲しいだけです。」


私はそう言ってありのままのを伝えるものの、九重ここのえは信じようとしない。


「わらわはもう誰の言葉も信じぬぞ・・・信じられるのは自分だけじゃ・・・」


その言葉を何度もブツブツと繰り返し始めた九重ここのえは、先ほどまで落ち着いていたように見えた挙動も徐々に荒さを取り戻してきた。


「結界から妖力を吸収しているのか?」


(状況を見ただけで理解できてしまう蒼月さんはやっぱりすごい!)


なんて、感心している場合ではなく、さらなる沈静化を測らないと、状況がどう変化するかわからず危険だ。


すると、上空から八重やえさんの叫び声が聞こえてきた。


「母上!もう、やめてください・・・!」


その悲痛な叫び声から、娘が母を思う気持ちが痛いほど伝わってくる。けれど、


「わらわはもう・・・あの、暗くて狭い場所には戻りたくないのじゃ!!」


「来る日も来る日も水の流れる音だけを聞きながら、娘や夫を想うことしかできない・・・そんな日々には戻りたくないのじゃ!!」


九重ここのえは半狂乱になりながら叫び声を上げる。

身体を縛り上げる氷の鎖はびくともしていないものの、これ以上結界から妖力を吸収されてまた暴走されでもしたら、困る。


(・・・ん?)


その時、私の脳裏にふと一曲の子守唄が浮かんできた。



てんてんてんこ、稲穂が揺れる

さらさら流れる、水のそば〜

静かな静かな祠の下で

いい子にいい子にねんねしな〜


てんてんてんこ、きらきら光る

いつかの空の、星の海〜

静かな静かな祠の下で

やさしく、やさしくねんねしな〜



母があの神社に行くたびに歌ってくれた子守唄だ。


(・・・・んん??)


なんてことない聞き慣れた子守唄なのに、妙に気になって小さな声で繰り返し繰り返し口ずさむ。

歌詞は頭の中だけで、メロディーは鼻歌で・・・


すると・・・


「その歌を歌うのはやめろ・・・!」


突然九重ここのえが大きな声で叫んで苦しみ始めた。


(え・・・?どういうこと・・・?)


突然の怒りに触れて、思わず口をつぐんだものの、頭の中でのリピートは止まらない。

と同時に、母のある言葉を思い出した。


『これは、ここのお狐さんが心穏やかに眠れますように、という子守唄なのよ。』


確かに母はあの神社にいる時にしか、この子守唄を歌うことはなかった。


てんてんてんこ、稲穂が揺れる

さらさら流れる、水のそば〜

静かな静かな祠の下で

いい子にいい子にねんねしな〜


(・・・・・・あれ?)


違和感の正体が徐々に明白になってくる。


(てんてんてんこ・・・てんこ・・・?)


口の中でそっと転がすように呟くと、心臓が強く跳ねた。

子供の頃から唯一意味がわからなかった単語だ。ただの音遊びだと思っていたけれど、これは、ただの音ではない。

まるで、ずっと心の奥に閉じ込められていた「答え」が、今、目の前で扉を開けたような感覚に襲われる。


(まさか・・・いや、でも・・・)


そう思いながら九重ここのえを見つめると、その目には微かな動揺が映っていて・・・それが何よりの答えだった。


ドキドキと心臓の音が大きく、強くなってくる。


「大丈夫か?」


そんな私を見て、蒼月さんが心配そうに顔を覗き込む。


「あ、はい・・・」


私は反射的にコクリとうなずいたものの、心の中は全然穏やかじゃない。


(もし私の推察が正しければ、この戦いは終わる・・・)


ゴクリと唾を飲み込んで顔を上げると、九重ここのえはさっきまでの荒々しさが嘘のように、静かになってじっと私を見ている。


「ちょっと、行ってきます・・・」


蒼月さんを心配させないように声をかけたつもりなのだけれど、むしろ心配させたようで、歩き出した私の後ろで「おい!」と焦ったような声が聞こえる。

その声を背に、私は結界の外に出て、九重ここのえに近寄っていく。


「な、なんのつもりじゃ・・・!」


明らかに焦りを見せ始めた九重ここのえを見て、さらに確信を強める。

そうして安全な距離まで近づいた私は、ふと周りを見渡した。


(うん、これならきっと大丈夫。)


私がこれから口にする言葉は、他の人には聞こえないはず。


それを確認した私は、さらにもう少しだけ近づくと、背伸びして口元に両手を当てて、九重ここのえの耳元で言った。


「あなたが母の言う、お狐さんだったのね。」


そして、その言葉を聞いた九重ここのえが明らかに動揺した様子を見せたのを見て、もう一言付け加える。



「てんこ・・・これがあなたの真名まなでしょう?」



そっと耳元でそう囁いた瞬間、九重ここのえは大きく身体を震わせた。


「・・・っ!!」


九重ここのえの全身がびくりと跳ね、荒々しく振動し、彼女の動きが硬直した・・・次の瞬間——。


「な、なぜ・・・!」


九重ここのえは狼狽しながら私を睨みつけた。けれど、その睨みは長くは続かなかった。


「もう大丈夫よ。元に戻っても、大丈夫。」


九重ここのえの目を見て微笑みを浮かべながら、私は言い聞かせるように伝える。


ふと、どこかから甲高い「コーーーーン」という声が聞こえた。そして・・・


ふわり、と。

白い霧が静かに舞い、九重ここのえの身体を包み込んでいく。

その中で、先ほどまでの巨大な姿が、まるで霧の中へと溶けていくように変わっていく。


そして、次第にその霧に覆われた世界がゆっくりと現実の世界の色へと戻ってくる。


すると、あたり一帯から荒々しい気配は消え去り、目の前に立っていたのは——


美しい白狐だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る