第196話 鏡の間 -7-
流れた沈黙がどのくらいの長さだったのかはわからない。
けれど、今もなお鏡に視線が釘付けになっている蒼月さんに、私は声をかけることができないでいる。
普段あまり表情を崩すことのない蒼月さんが、明らかに動揺している。
それに対し、鏡の中の美琴さんは、私に最初に見せたのと同じ、落ち着いたふんわりとした笑顔で蒼月さんを見つめている。
色々と知りたいことはあった。色々と予想はしていた。
だけど、二人の表情を見たら、聞かずもがな理解はできた。
今、蒼月さんの視界と頭に、きっと私の存在なんて一ミリも認識されていないだろう。
あやかしの世界に来てすぐの頃、蒼月さんは私にとても塩対応だったし、むしろ、存在しないかのように扱われた。今と同じ状況と言ってもいい。
だけど、今とその時とで一つだけ大きく違うことがある。それは、今のこの状況は「とにかく存在しない」という扱いではなく、「美琴さんという存在でいっぱいで、私は存在していない」ということだ。
悲しいし、苦しい。けれど、心のどこかで想像していた二人の関係と絆をまざまざと見せられたようで、「やっぱりな」と納得している自分もいる。
(これ以上ここにいるのは苦しい・・・)
もうこれ以上、この場に立っているのは耐えられない。そう思った私は、静かに一歩後ずさる。
蒼月さんのすぐ横を通ったのに、蒼月さんはそんな私に気づく気配もなく、それにさらにショックを受けながら、私はそのまま部屋を後にした。
廊下を玄関に向かいながら、涙がポタポタとこぼれ落ちるのを止められない。
(早く、早く・・・)
誰にも見つからないところで泣きたい。そう思って私が選んだのは、庭にある水場だった。
水場に着くと、周囲には水のせせらぎだけが響いている。まるでその音が、私の涙を吸い込んでくれるかのように感じられる。
しゃがみ込むと、冷たい石の感触が伝わってきて、胸の奥に溜まった悲しみが一気にあふれ出した。
誰にも聞かれないよう、小さく
何が悲しいのかはわからない。
蒼月さんが私を見ていない。それが理由なのか。それとも、美琴さんの存在があまりにも圧倒的で、私は到底太刀打ちできないと悟ったからなのか。それすらも、自分でもわからなかった。ただ、胸の奥がぎゅうっと締めつけられて、涙が止まらない。
少しの間ただただ涙を流した私は、ふと大きく息をついた。
そして、その瞬間、急に現実に戻った私は、
「顔!冷やさなきゃ!」
このままでは目が腫れて泣いていたことがバレバレだ、という焦りが浮かび、バシャバシャと冷たい水で顔を洗った。
(これからどうしよう・・・)
何度も何度も冷たい水で瞼を冷やす。しまいには、手拭いを水で濡らして両まぶたに当ててみたものの、まぶたの重さは取れない。
(あー・・・失敗したー・・・)
泣いたことを後悔するも、泣かずにいられた自信もない。
(完璧にただの嫉妬だよね・・・)
美琴さんは、蒼月さんの心の中で特別な場所を占めている。それがわかっているのに、どうしても比べてしまう。
そして比べた結果、自分がどれだけちっぽけで無力なのかを痛感する。私なんて・・・その繰り返しが、胸を締めつける。
もう一度手拭いを冷たい水にさらして、水場にある縁台に腰をかけて、それをまぶたに当てる。
泣いて泣いて、心の中が空っぽになった気がした。だけど、涙を流した分、少しだけ冷静になれた気がする。
そうして少し落ち着くと状況を振り返ることができるようになって、結界を解いた私は、あれやこれやと考え始めた。
とりあえず、今、蒼月さんと顔を合わせても、話す言葉が見つからないし、美琴さんのことも話したくない。
ここから逃げ出したい気持ちが溢れるものの、逃げる先のあてもない。
(私がいなくなったら、蒼月さんは心配してくれるのだろうか・・・)
そんな卑屈な考えが頭をよぎる。
(でも、心配させたくなんか、ないよ・・・)
頭の中で葛藤する。
(というか、今、それどころじゃないか・・・ハハ。)
鏡の間でのことを思い出して、自虐的な考えが浮かぶ。
「はぁ・・・・」
ここから逃げ出したい。誰か、助けて・・・そんな後ろ向きな気持ちばかりが浮かんでは消え、浮かんでは消え・・・もうどうしたらいいかわからなくなった。
そんなこんなでしばらくの間途方に暮れていたものの、状況は何一つ変わらない。
それどころか、いまだに蒼月さんが探しにすら来てくれないという現実に、さっきよりも落ち込んでいた。
その事実に、こんなに自分はわがままだっただろうか、と恥ずかしくなる。
こんなんじゃ、蒼月さんが美琴さんを選ぶのは当然だよな・・・なんて、さらに自虐的な思考に陥っていると、
「あれ?琴音ちゃん?」
後ろから声をかけられて、その聞き慣れた声に振り返ると、そこにいたのはやっぱり月影さんで・・・月影さんは私の顔を見て驚いた顔に変わった。
そして、月影さんは、私の目元をじっと見てから、
「・・・どうしたの、その顔?」
と、静かに尋ねた。
「・・・やっぱり、まだ、腫れてます?」
まぶたの重みからその自覚はあった。そんな私に、
「うん・・・っていうか、大丈夫?」
と、心配そうな顔で私を見ている月影さんに、急に気が緩んだのか、私はまた涙をボロボロとこぼし始めてしまい、
「ちょ、とりあえず・・・おいで。」
そう言って手を引かれて連れて行かれたのは、月影さんと千鶴さんのお部屋で、
「影さん、今出かけたばかり・・・・あら。」
千鶴さんは私に気づいて驚いた顔をしたものの、すぐに優しい笑顔を浮かべて、
「まあまあ、大変だったのね。まずは落ち着いてお茶でも飲みましょうか。」
と、何も聞かずに手早くお茶を用意してくれた。
影葉茶の香りで気持ちがスウっと軽くなる。
涙も止まり、持っていた濡れた手拭いで顔を拭う。すると、その冷たさでまた冷静さが戻ってきた。
「あの・・・なんか、すみません・・・」
そうしてぺこりと頭を下げた私を見て、月影さんは、
「話、聞こうか?」
と、微笑んだ。
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