第39話 襲来 -1-

結局私の結界については特にそれ以上の進展もなく、様子を見ながらさらにうまく使いこなせるように練習をしていこうという話になった。

長老のお屋敷の結界に関しても、ただ守り水晶を身に着けていなかったから張れなかっただけで、夕食後にもう一度お庭で試してみたら、今度は張れた。

聞くところによると、長老の結界が張られているのはお屋敷そのものだけらしく、お庭や私のいる離れにまでは及んでいないらしい。


(え!変な妖怪が入ってきたらどうしよう!)


一瞬怯えた私の表情に気づいたのか、月影さんが笑いながら


「心配ないよ。結界が張っていないだけで、もし屋敷の敷地内で異変があれば、すぐに白翁様が気づくから。」


そう言って、どういう仕組みになっているかは分からないが、手のひらから金色の粉をふわっと上空に撒いた。


「わ・・・蜘蛛の・・・巣?」


粉を撒いたところに蜘蛛の巣のような白くて細い糸が見える。

そっと手を伸ばして触れようとしてみたものの、見えているのに触れても何も感触がなく素通りしてしまう。


「これはある一定の妖力だけに反応するものだからね。」


私の様子を見てハハッと笑った月影さんは、


「だから、この屋敷にいる時は安心して大丈夫だよ。」


と言って、優しい顔で私を見た。

私もその優しい顔と言葉にホッとする。


月影さんと別れて離れに戻り、離れの縁側に座って庭を眺める。

夜の長老のお屋敷の庭は、ところどころに灯された鬼火のような灯りが揺らめき、まるで夢の中にいるかのように幻想的だ。

静寂に包まれた庭に立ち込める冷気が肌を撫で、木々の影が月光に照らされて踊っている。


(もうどれくらいここにいるんだっけ・・・)


人間界からこの世界に迷い込んできてから、体感ではかなりの日数が経った気がする。

今頃、人間界ではみんなに心配をかけていることだろう。あるいは、異次元ファンタジーあるあるのように、あやかしの世界と人間界では時間の流れが違って、実はまだ半日も経っていないのかも・・・。

でも、それも無事に人間界に戻ることができなければ、どちらが本当か知ることはできない。


「しかし・・・」


「人生、何が起こるか分からないから、紙の手帳も持ち歩きなさい」という母の口癖が、こんなところで役に立つなんて・・・

ゆっくりとハンドバッグから手帳を取り出して、今日であるはずの日のページを開き、こちらに来てからどれくらいが経ったかを数えてみる。

人間界では大人になってから日記なんて書いたことなかったけれど、今は寝る前に必ず何かを書くことにしている。


「11、12、13・・・そろそろ二週間か・・・」


日数を数え終えると、今日の欄に「朝張れなかった結界が、昼間番所で張れた。どうやら守り水晶の力らしい。静寂と癒しの結界と言うらしいけど、静寂はともかく癒しは特に感じなかった。それよりも、蒼月さんとの距離が近すぎて、癒しどころか心臓が爆発するかと思った。そして、蒼月さんの張った結界に包まれると、なぜかとても安心して涙が出た。」と記す。


ふと思い立って、書き溜めた日記を遡る。

ここにきて二週間。体感ではもっと経っている気がするけれど、最初のあの不安な気持ちを考えたら、楽しく平穏に過ごしている方だと思う。


(もし人間界に戻れたとして、この日記を誰かに見せても、ただの妄想癖のアラサーって笑われるだけだろうな・・・あ、でも、結衣は笑わずに聞いてくれるかも・・・)


こちらの世界と人間界の時の流れが同じだったら、もう新婚旅行から帰ってきてる頃だな・・・と、私の失踪を心配する結衣を想像して心が痛む。


「私は元気に暮らしてますよ。」


星がキラキラと瞬く空を見上げて、誰にともなくそっと呟いたその瞬間、


コーーーーーーーーン


遠くに響く動物の鳴き声が耳に届く。

犬かもしれないし、狐かもしれない。もしかしたら私の知らない動物かもしれない。

ただ、その声がとても物悲しく聞こえて、なんだか胸が苦しくなった。

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