第10話 迷い込んだ世界 -5-

「えーっと・・・・たぬき・・・・・」


明らかに普通のたぬきではないことは分かっている。

周囲には苔むした古木や花々が咲き誇る風景が広がり、鳥のさえずりが静かに響いていた。

そこだけ見ると、ありきたりの風景。

だけど、目の前にいるのはただのたぬきではない。

こんな状況で、どうしてもそれ以上の言葉が出てこない。


「たぬき・・・・たぬき・・・」


ただひたすらたぬきとつぶやいていると、そのたぬきが再び声を上げた。


「おい。たぬき、たぬきってなんなんだよ。」


「いや・・・だって・・・たぬき・・・」


無意識にそう答える私に、ガサゴソと袋から2枚のクッキーを取り出したたぬきは、


「ほら。1枚やるよ。」


自分はタキシードのアイシングをされた大きなクッキーを頬張りながら、私には丸い抹茶のシンプルなクッキーを差し出した。


「あ・・・ありがとう」


クッキーを受け取ってつい釣られて口に運ぶ。


「うっまーーーー!」


ボロボロと口の端からクッキーをこぼしながら大きなクッキーを頬張る姿を見て、思わず笑ってしまう。


「なんだよ?」


咀嚼はやめず、目だけをこちらにジロリと向ける。


「いや、なんというか、たぬきの姿でも子供なんだな、って。」


クククと笑いながら再びたぬきの目線の高さにしゃがむと、口の端についているクッキーのカスに思わず手を伸ばす。


それを見たたぬきがクッキーを頬張るのをやめて、不思議そうに尋ねてきた。


「おまえ・・・人間のくせに俺たちのこと怖くないのか?」


しっぽが2本で人の言葉をしゃべる猫や小さな女の子に変身するたぬきなんて思いっきり非現実的すぎて、なんならもう感覚がおかしくなっている。


「怖いというのは・・・ないかな。むしろ、さっきまで不安だったのが、悔しいけど君のおかげで和らいでたりもする。」


そう言いながらも、心の奥底ではまだ完全に安心しきれていない自分がいることに気づく。

ただ、これから何が待ち受けているのか全くわからないという不安感が心を揺さぶってはいるけれど、それでもこの状況を少し楽しいものにしてくれたのは紛れもなくこのたぬきだ。

えへへと笑った私を見て、たぬきがさらに問いかけてきた。


「なんで不安だったんだ?」


「だって・・・」


思わぬところで出会った、ようやく私と会話してくれる存在に会えた喜びと安心から、私は道中のことを話し始めた。


白い狐と赤い鳥居のこと。


白と紫の渦に吸い込まれてこの世界の森の中に放り出されたこと。


そして、妖怪たちから遠巻きに見られて、行き先もわからずどうしたら良いか困っていたこと。


そこまで一気に捲し立てたけど、たぬきはクッキーを頬張りながらただ聞いている。


「でも、戻る方法もわからないから引き返すこともできない。猫又にも進むしかないって言われたしね・・・。」


目の前にいるたぬきが、ピクリと耳を動かした。


「だから、君に出会えて本当にほっとしたよ。君の陽気な性格が、不安だった気持ちを和らげてくれたの。女の子に化けているなんて思いもしないから、最初はすっごくびっくりしたけどね。」


私の言葉に、たぬきがははっと笑う。


「そうか。それなら、俺のいたずらも悪くなかったってことだな。」


たぬきは誇らしげに胸を張り、得意げな表情を浮かべる。その様子を見て、私もつられて笑ってしまう。


「うん、確かに。君のおかげで、緊張がほぐれたもん。」


たぬきは満足そうに笑いながら、再びクッキーを頬張る。


「ならよかった。それはそうと、おまえ、これからどうするんだ?」


急に現実を突きつけられて、言葉が止まる。

そうなんだよな、と首を傾げて考えていると、たぬきがひらめいた!みたいな顔をして私を見た。


「行くところがないんなら、とりあえず長老んとこ行けばいいんじゃね?」


長老・・・?


そんな私の心中を察したのか、


「そう、長老。俺ら、困ったことがあると、みんな長老んとこ行くからさ。」


たぬきはそう言って食べていたクッキーを飲み込むと、


もう一度ポンッという音と煙と共に、今度は二十歳くらいの男の子の姿になって、


「ほら。連れてってやるからさ。」


と、私の手を引いて立ち上がらせると、


「さー、出発だー!」


楽しそうに古木の裏側を指さして、私の手を引いたまま歩き出した。

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