Day18 蚊取り線香

 サマーブルーム境町。

 隣の101号室の幽霊は、どうやら中庭――というか、縁側あたりに出ているらしい。


 雨が降ると、中庭に蚊がやってくる。

 外に干した洗濯物を取り込んでいると、いつのまにか足首あたりを食われていたり、部屋に入られたりしてうっとうしいので、蚊取り線香を持って外に出ることにしている。

 隣室の縁側との境には薄いパーテーションがあり、なんとなくその近くに蚊遣り器(古風なことにブタの形をしている)を置くのが常だ。

 幽霊はどうも、その蚊遣り器が気になるらしい。

 時々縁側の仕切り越しに、子どもらしき小さな人影が、こちらを覗いていることがある。仕切りの影から手を伸ばして、蚊遣り器を触ろうとしていることもある。本物の子どもだったら危ないけれど、幽霊らしいので放っておいている。

 おれがそちらを見るとすぐに隠れてしまうので、どんな顔をしているのかとか、何を着ているのかはわからない。でも、なぜか男の子だという印象がある。


「よその幽霊まではっきり見えてきたら、気をつけた方がいいですよ」

 ある朝、ゴミ捨て場で突然そんな風に声をかけられた。ぎょっとして振り返ると、知らない女性が立っていた。

「先日201号室に引っ越してきたものです。よろしくお願いします」

 そう言ってお辞儀をする。「どうも」と返しながら、その実さっきの言葉が気になって仕方がない。

「あの……さっき何か」

「よその幽霊まではっきり見えてきたら、気をつけた方がいいですよ」

 女性はもう一度繰り返して、にこっと笑った。


 うちの幽霊は、キッチンに出る。

 小柄な女性の影が静かに佇んでいるだけだったのだが、最近少しおかしい。突然引き延ばしたように縦に伸びたり、ぐにゃぐにゃと左右に揺れたりする。

 そういえばあれは、101号室の子どもがこっちを覗くようになってからじゃないか――そんな気がしてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る