第8話 処罰


「あーやだやだ、汚いったら」


 アレンが我が家に来た翌日。

 彼が滞在する部屋の近くでこんな言葉を聞いて、彼の様子を見に来た私はその場で足を止めた。

 声は、角を曲がった先から聞こえてくる。


「あの子、昨日お風呂を拒否したのよね。洗ってあげるって言ったのに。こっちだって嫌々なのにさぁ」


「だからこんなにシーツが汚れてるの? 洗濯メイドがかわいそ~。と言いつつ別に洗濯メイドなんて下級使用人だしどうでもいいけど、あはは」


「あんなに汚い子供が、なんで公爵家の養子に……。信じられないわ」


「貧民街出身の薄汚い子供に仕えなきゃならないわけ? 最悪」


 腹の底から、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。

 声は二種類。

 彼女たちのもとへと向かおうとしたところで、「ねぇ」という別の声が聞こえてまた足を止める。


「そういうの、やめようよ。公爵閣下の判断について、私たちはどうこう言える立場じゃないわ。ただ精一杯お仕えすればいいのよ」


「はっ、出たわ、エリーのいい子ぶりっこ」


「自分が男爵家出身だからって商家出身の私たちを見下してるの?」


「そんなんじゃないわ。ただ……」


「新人のくせに黙りなさいよ。あんたあの子の担当ですらないでしょ」


「生意気なのよ!」


 バサッという音と小さな悲鳴が聞こえて、今度こそ彼女たちのほうへと向かう。

 角を曲がって見えたのは、尻もちをついているオレンジ色の髪のメイドと、険しい顔で立っている二人のメイド。

 シーツはオレンジ髪のメイド――エリーに半分くらいかかっている。

 私に気づいた二人のメイドが、慌てて端に寄って頭を下げる。エリーもまた慌てて立ち上がり、シーツを持って壁際に下がって頭を下げた。


「本当に驚いたわ」


 そう言いながら、さらに彼女たちに近づく。


「公爵家の上級メイドの質が、まさかこんなに低いだなんて」


 二人のメイドが小刻みに震えだす。

 話を聞かれていたと気づいたんだろう。


「エリー」


「は、はい」


「大丈夫?」


「……? あっ……大丈夫です。ご心配いただき恐れ入ります」


 おそらく彼女はシーツを投げつけられて転んでしまったんだろう。

 ただ、怪我はしていないようだった。


「エリー、家政婦長を呼んできてくれるかしら。そこの客間で話をするわ」


「承知いたしました」


 シーツを持って、エリーが去っていく。

 家政婦長という言葉を聞いて、二人がさらに震えだした。


「廊下でする話ではないから、そこの客間に入りなさい」


 示した先は、アレンが使う部屋の隣の隣。

 これだけ離れていれば、話は聞こえないはず。

 彼女たちが扉を開け、まず私が入る。

 扉を閉め、その脇に黙って立つ彼女たちは相変わらず震えていた。 

 震えるくらいならあんなこと言わなきゃいいのに。

 そう思いながら、彼女たちの目の前に立つ。


「ねぇ。あなたたちの職業はなんだったかしら?」


「……公爵家の、上級メイドでございます」


「そうね。客間の整頓や給仕、接客までも担当する上級メイドね」


 上級メイドと言いつつ、彼女たちは使用人の階級としては中級なのだけど。

 それでも、私たち公爵家の人間がほぼ姿を見かけることすらない下級使用人とはわけが違う。


「その上級メイドが、公爵家の仲間入りをしたあの子を侮辱するとはどういうことなのかしら」


「……も、申し訳ございません……!」


 あえて返事はしない。

 頭を下げる彼女たちを無言で見つめていると、ノックのあとに家政婦長とエリーが入ってきた。


「家政婦長」


 我ながら十二歳の子供とは思えないほどの低い声に、家政婦長も焦りを見せる。


「はい」


「あなたはお父様から、公爵家の人間を侮辱するようなメイドをあの子に付けなさいと申しつけられたのかしら」


「! い、いえ、決してそのような」


 通常、ある程度の年齢に達した男の子には男の従者がつく。

 けれど、大人の男性を怖がるというアレンには、慣れるまではメイドをつけることになっていた。

 それが到着翌日からこのザマとは。


「主人に心から仕え、無駄口は叩かず、日々自己研鑽けんさんに励むのが上級メイドのはず。それが養子となった子の悪口を廊下で言うなんて」


「わたくしの管理が行き届いておりませんでした。大変申し訳ございません」


「ええ、そうね。とはいえ、私は女主人ではないから、女使用人を統括するあなたにこれ以上口を出すつもりはないわ。あなたならきっと適切に対処してくれることでしょう」


 この言葉で、私が何を望んでいるのかわかるはず。

 私がメイドたちの処罰まで決めてしまうと家政婦長の立場がなくなるので、彼女に任せた。


「はい。この者たちは公爵家の使用人には相応しくないかと存じますので、紹介状を書かずに解雇したいと思います」


「そ、そんな!? どうかお許しください!」


「紹介状なしで公爵家を出されたら、再就職どころかお嫁にも行けません……!」


「それはあなたたちの都合でしょう? 与えられた仕事すらまともにできない、ましてや主人を侮辱する者をなぜ屋敷に置いておかなければならないのかしら」


 殺されたくないからだけじゃない。

 たくさん傷ついて生きてきたアレンに、これ以上傷ついてほしくない。

 これからは安心して暮らしてほしいのに、傍で仕えるべき人間が彼を侮辱するなんて許せない。


「今日中に荷物をまとめておきなさい」


 家政婦長にそう言われ、二人はうなだれて部屋から出て行った。


「ところで、家政婦長。アレンに付けるメイドだけど、あの子の性格を鑑みて私が決めてもいいかしら」


「もちろんでございます。お嬢様がお気に召した者をご指名ください」


「じゃあ、エリー」


 私に呼びかけられたエリーが「はいっ」と背筋を伸ばす。


「しばらくの間、あなたがアレンについてくれる? 何事も無理はさせずに、彼の意思を尊重してあげてちょうだい」


「承知いたしました……! 至らぬ点もあるかと存じますが、誠心誠意お仕えさせていただきます!」


「よろしくね」


 ひとまず、メイド問題はこれでよしっと。

 あんな設定で小説を書いた責任もあることだし、これからは私がアレンを守ってあげなくちゃ。


 そうすれば殺されることもない……よね?

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