第20話 サンクチュアリの摩天楼(20日目・摩天楼)


満寛は、夜空に届きそうな高さの塔の、最上階で目覚めた。

窓からは月明かりが柔らかく差しているが、塔の中に明かりは無い。その窓辺には、椅子が一つあるだけの、暗く殺風景な部屋だった。

(ここ、何処だ。何でこんなところにいる)

満寛は、ここで目覚める前の記憶が抜け落ちている。立ち上がって窓から外を見ると、周りには何の建造物も無かった。遥か下には、一面草だらけの野原が広がっている。知らない景色。塔は五重塔をいくつも重ねたような見た目で、柱や見える屋根は朱い。目が眩むような高さに、満寛は窓から離れて息を着く。部屋にドアがあったので開けてみると、すんなり開いた。部屋は、この一つしか無い。横に螺旋階段があり、それは下まで続いているようだ。下は見通せない。下の方にも明かりは無いようで、暗闇が満寛を食べようと口を開いているようだった。

「明かりも無しに下りるのは危険、か」

他に人の気配も無い。満寛は元いた部屋に戻る。さっき見た窓は、開けることが出来た。夜風が爽やかに吹き付けてくる。満寛は椅子に座り、窓の向こうを眺めた。

(本当に高い塔なんだな。雲が近く感じる。気分は良いけど、意味が分からん)

優しい風の音だけの、夜の世界。しばらくぼんやりと外を眺めていたが、不意に部屋が真っ暗闇になり、空を見た。月が、雲に隠されている。雲は動かず、待っても月は現れそうに無い。満寛は溜息をついて目を閉じる。

(夜が明ければ動けるか。寝るかな)

腕を組んでじっとしていると、どこか遠くから、足音が微かに聞こえる。満寛は耳を澄ませた。ゆっくりと、だが確実に上がって来ているようだ。満寛は目を開けた。まだ月は隠れたままで、部屋は暗闇。

(……逃げ場がない)

満寛の身体が強張る。身を守れそうな物も持っていないし、この部屋にも無い。部屋のドアに鍵も無かったから、閉じこもることも出来なかった。立ち上がったがどうすることも出来ず、窓辺に立ち尽くす満寛の前で、ついに足音の主が部屋のドアを開ける。

ほんのりと暖かな明かりが、パステルを塗り拡げるように部屋に照った。

「満寛?」

「宗也!」

立っていたのは、少し疲れた様子の宗也だった。鬼灯の入ったランタンを手に、満寛の元に近付く。

「大丈夫?怪我したりしてない?」

「怪我は無い。つか、宗也の方がフラフラしてんぞ」

「流石にこの高さの塔、徒歩で昇るのきつかった……」

「は?歩いて来たのか」

「ここ、乗り物とか無くて。昇るだけだから、一本道みたいなものだし、迷わないで済むのは助かったけど」

「助かってないだろ。この塔何なんだ」

「出たら教えるよ。その方が早いし」

宗也は満寛の手を掴んで、ドアの外に出る。世界がぐるりと反転した。


「な、」

宗也と満寛は、美術室にいた。

窓の向こうは、こちらも夜。校舎はほとんど暗い。

「大丈夫?」

「ああ。美術室?」

「うん。満寛がいた塔って、これ」

宗也は、台の上に載った塔を指で示す。天を目指し、五重塔がいくつも重なったような作りのそれに、満寛は目を丸くした。今しがたまでいた、摩天楼。

「これ、卒業生の作品、だっけか」

その塔の作品は、普段は透明のカバーを掛けられて美術室前の展示スペースに飾られている。台には、『サンクチュアリの摩天楼』というタイトルの紙が貼り付けられていた。今は、宗也がカバーを外している。

「そう。半月の光を浴びながらこの塔の前を通ると、塔の中に招かれる、でも明かりを持ってこの塔の最上階から出ると、帰れる。そういう七不思議があるみたい。十朱たちに聞いたんだ」

宗也の話に頷きつつも、満寛は首を傾げる。

「そんな覚えねぇけど」

「昼間出てる月も有効らしいよ」

「どんな罠だそりゃ」

満寛は一気に、不機嫌そうな顔になった。宗也は苦笑いを浮かべている。塔を展示スペースに戻し、宗也は塔の入口に小さなランタンを置く。さっき、満寛を迎えに来た時、持っていた物。

「これ」

「ここに置いておけば、迷い込んでも帰りやすくなるでしょ。多分」

宗也はそのまま、カバーを掛け直す。満寛は、もう一度塔を見る。ほのかに、塔が明るくなったように感じた。

「……あのさ」

「何だ」

深刻そうな宗也の表情に、満寛は一瞬身構える。

「今日、ゆっくり帰ろう。膝が大爆笑してる」

寸の間の後、空気が一気に緩む。満寛の声音が、自然と柔らかくなった。

「背負ってやるか?」

「それはやだ!今そんなことしたら、もう歩けなくなる」

宗也の必死の訴えに、満寛は噴き出し、楽しげに笑い出した。







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