2024年7月 SS集

小野寺かける

Day.1 夕涼み

 仕事から帰宅して真っ先に、私は緑茶と氷を入れたコップを手にしてベランダに出た。太陽が西に傾いて、空が少しずつ夜に染まる夏のこの時間帯はうだるような暑さが和らぎ、ほんのり温い風を感じられるのが心地よくて好きなのだ。

 コップ一杯に注いだ緑茶を一息に煽ると、不意に上から騒がしい声が聞こえた。若い男の声だ。ああ、良かった。今日もなんとか間に合った。

 私はなるべく前を見ないよう、視線をマンションの駐車場に据える。氷だけが残ったコップを両手で包んで息を殺す間に、男の声は大きくなる。

 誰かと喧嘩をしているのか、酒に焼けてがさついた声から滲むのは怒りだ。しかし徐々に焦りと怯えが見え始め、呂律も回らなくなっていく。

 やめてくれ、と恐怖に震えながら懇願して程なく、男の声が途絶えた。私はコップが割れそうなほど力をこめ、恐る恐る顔を上げる。その刹那。

 頭を下にして落ちる男と、目が合った。

 ひ、と殺しきれなかった悲鳴が漏れる。腕の鳥肌を擦りながら駐車場を見下ろせば、男が血の海に沈んでいた。けれど誰もそれを気にする様子はない。当たり前だ、彼は幽霊なのだから。

 かつてこの部屋の上階で、ある男が不倫と虐待の果てに妻に突き落とされたらしい。あの世でどういう罰が下ったのか、男は死のひと時を延々と繰り返している。毎日毎日、同じ時間に。

 夜が濃くなるにつれ、男の姿も闇に溶けていく。背筋に冷たい汗を感じて、私は細長く息を吐いた。

 男が落下していく瞬間はいつもぞっとする。けれど暑さを紛らわすにはちょうどいい怖さだ。明日もよろしく、と礼の代わりにコップを揺らす。かろん、と高く澄んだ音が夜空に響いた。

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