倉田 奈央

第46話 知らない関係




 どうしてもその日は忙しいと断られて、結局バレンタイン当日にはチョコを渡すことが出来なかった…。



 だけど、なら次の日に絶対渡す!そう思って、自分のバイトが終わった後に夜勤の先輩が出勤して来るのを待とうと、私は前もって決めていた。



 着替え終わってからも休憩室のパイプイスに座ってゆっくりしている私に気づき、同じ時間に上がった香坂さんが話しかけてきた。



「あれ?奈央ちゃんまだ帰らないの?」

「あ……はい。ちょっと用があって尾関先輩のこと待とうかなって…」

「あ!もしかしてチョコ?」

「……はい。一応なんだかんだで毎年あげてるから…」

「奈央ちゃんと尾関ちゃんて本当に仲よしだね!」



 私が尾関先輩にチョコを渡そうとしていることを、香坂さんは全く気にしていないどころか、微笑ほほえましげな様子だった。



「尾関ちゃんも奈央ちゃんのこと特別だって言ってたし、奈央ちゃんもやっぱりそうなんだね」

「えっ…尾関先輩、そんなこと言ってたんですか?」

「うん!奈央ちゃんは本当の妹みたいに特別で大事な存在だって言ってたよ」

「………妹……ですか」

「そうだ、奈央ちゃん!尾関ちゃんて悪魔みたいになる時があるって聞いたんだけど、それってほんと?」

「……そうですね、そうゆうの何回か見てる気がします…」

「ほんとにそうなんだ!?あんなに優しいのに信じられないなー。…でもいいな、私も見てみたい。尾関ちゃんはそんなところ私には見せられないって言うけど、そうゆうとこ見せてる奈央ちゃんのことは、かなり信頼してるんだろうね」

「そんな深い意味なんかなくて、ただ私にはどう思われてもいいからやりたい放題なだけだと思いますけど……」

「そんなことないよ!私から見ても尾関ちゃん、奈央ちゃんのことは他の人とは違うように思ってる気がするし」

「そうですかね…。そう言えば、香坂さんもまだ帰らないんですか?」



 これ以上みじめな思いに耐えられなくて、私は少し強引に話題を変えた。



「うん、私も…せっかくだからちょっと尾関ちゃんに会ってこうかなって」



 そう言ってテーブルを挟んだ私の前のイスに腰を下ろしながら、香坂さんはまた耳元のピアスに触れた。



「香坂さんも、先輩にチョコとか…?」

「ううん。それはね、昨日あげたからいいんだけど…、ただ普通に少し顔見ていきたいなって!」



 昨日あげた……?



 それって、バレンタインの日に尾関先輩は香坂さんと会ってたってこと……?



 私があんなに頼んでも10分ですら会ってくれなかったのは、香坂さんとの約束のためだったの……?



 急激なストレスのせいか、割れそうに痛む頭でそんなことを考えていると、まだ何かを話したくて仕方なさそうな香坂さんが、デーブルの上に両手を伸ばして前のめりになった。



「……実はね、昨日は尾関ちゃんがうちに来てくれたの」

「……うち…?…そ…そうなんですね!香坂さんこそ、休みの日におうちで会うほど尾関先輩と仲いいじゃないですか!」



 私は信じられない事実を聞きながら、乱れた心を隠して明るく言った。



「そんなことないよ!うちに来たのは今回でまだ2回目だし…。前に来た時だって、買い物を手伝ってもらったお礼にごはん食べてってもらっただけで、まだ仲いいとかそこまでじゃ……」



 そんな話、先輩からは聞いてない。その日も家にまで行ってたなんて全然知らなかった……



「……でも…そんな短い期間で2回もいえに行くなんて、相当仲良くなかったらなかなかないと思いますけど……」



 さっきまでの明るさをすでにキープ出来なくなり、あきらかに含みのあるような返事をしてしまったけど、香坂さんは話したいことに夢中で私の態度を何も気にしてはいなかった。



「…そう?でもね!昨日はけっこう長くいてくれて……結局尾関ちゃん、今日の朝までうちにいたの…」



 香坂さんはとっておきの秘密の話のように、二人しかいない休憩室で声のボリュームを落として言った。

 嬉しくてたまらなそうな笑顔が私の心臓を圧迫してゆく。



「……泊まってったんですか?」

「泊まっていったっていうか、飲んでたら尾関ちゃんが寝ちゃってそのまま…って感じだったんだけど……」



 話し終わりに余韻を残しつつ私からふっと視線を外す仕草に、さらに不安をかき立てられた。ずっと意気揚々と話してたのに突然その後のことに触れなくなった香坂さんに、私はストレートに尋ねた。



「……あの、香坂さんと尾関先輩ってもしかしてもうそうゆう関係になったんですか…?」

「えっ!?そうゆうって!?」

「ごめんなさい…なんか二人がすごく親密な関係に思えて……こないだ香坂さんも少しそんなこと話してましたし……」

「…そうだよね。でも別にそうゆう関係とか、そんなんじゃないの!」

「……そうなんですか?」



 はっきりと否定されても全く安心はできなかった。胸の中の嫌な予感は、むしろどんどん膨らんでいっている。



「ただ…あの時は私が変に思い違いしてるだけかもしれないって思ってたけど……今は……本当に私を想ってくれてるのかもしれないって、感じてるかも…」



 ほら……



 この予感は絶対に当たっている気がしていた。



「こんな話、本当は人に話しちゃいけないんだけど……」



 罪悪感を感じながらも、欲望に勝てない様子で香坂さんは私に話し始めた。



「昨日飲んでる時にね、尾関ちゃんが脈絡なくいきなり、好きな人がいるって言い出したの……。ずっと今までの関係でもいいって思ってたけど、今になって手が届くかもしれないって思ったら欲が出てる…ってすごく真剣そうに言われて…」

「………」

「…でもそれ以上ははっきりと言ってくれなくて、そのまま寝ちゃったんだけど……毛布かけてあげた時、突然すごく強く抱きしめられて……」

「え………」

「…だけど、朝になって起きたら昨日話したことは忘れてほしいって言われたの。だから、実際には私とどうこうなるつもりはないのかもしれない。逃げるように帰られちゃたし…。私は、尾関ちゃんがどうゆう欲を持ってても別にいいんだけどな……」



 そう話す香坂さんの頬は少し赤く染まっていて、ほとんどのろけ話を聞かされているように感じた。



 こないだ店長たちと飲んでいた時、尾関先輩はあんなにも香坂さんへの気持ちをはっきりと否定していたけど、あれは嘘だったんだと思った。



 香坂さん本人にさえ忘れてほしいと願うくらい秘めた想いを、他人に素直に打ち明けるはずがない。



 やっぱり、尾関先輩は初めから香坂さんのことが好きだったんだ……



 私は本当に馬鹿みたいだ。



「ごめんね!こんな話しちゃって!奈央ちゃんにはなんだか色々話しちゃう……。今さらだけど恥ずかしい…」

「いえ全然!……てゆうか、私こそお話聞いてたら照れちゃって、なんか熱くなってきちゃいました…。ちょっとトイレ行ってきますね!」



 私は香坂さんの顔を上手に見れないまま、下手くそな言い訳をして休憩室を出た。



 トイレに入ると、個室の手前で鏡を見た。 

 こんな顔して話してたんだ……

 鏡に映る私は、嫉妬に歪んで今にも泣き出しそうな醜い顔をしていた。



 もう帰りたかった。



 渡したってなんの意味もないチョコなんてもういいから、尾関先輩に会わないうちに早くここから逃げたい…。だけど、あんな話を聞いた後に突然帰ったら、さすがに香坂さんに変に思われてしまう。



 この後、目の前で二人の姿を見ると思うと一生ここから出たくないくらいだったけど、すでに長く居すぎてこれ以上立てこもるわけにもいかず、私は仕方なくトイレから出た。



 少し離れた休憩室の方に目をやると、ちょうど出勤して来た尾関先輩が入っていくところが見えた。深いため息をつきながら扉を開けようとした時、中からの会話が聞こえてドアノブをひねる手を止めた。



「あっ!きみかちゃん!」

「す…すみれさん!?なんでまだいるんですか?」

「どうしてそんな言い方するの?……。昨日はすごく優しかったのに、なんか冷たい……」

「別にそんなつもりじゃ……」

「ほんと?」

「…はい」

「朝も起きてすぐ帰っちゃうからなんか寂しかったな…。私、嫌われたのかなって思った……」

「それは……長居しすぎてほんと迷惑だと思ったんで…」

「じゃあ嫌いになったわけじゃない…?」

「嫌いとかないですよ…」

「」



 衝撃だった。二人は下の名前で呼び合っていた。二人の時だけそんな風に呼び合ってるなんて、ほとんど恋人同士のようなものだ。



 扉の中を見たくなかったけど、いつまでもここにいても仕方ない。中に入ったらすぐに荷物を取ってすぐに帰ろう…。



 大きく息をしてから思いきって扉を開けると、香坂さんが、パイプイスに座る尾関先輩を問いつめるようにその顔を覗き込んでいた。



 その今にもキスしそうな顔の近さに二度目の衝撃が走る。



「あっ!奈央ちゃん!おかえり!」



 扉の音に反応して、香坂さんは尾関先輩から距離をとった。それによって私と尾関先輩の目が合う。



「奈央!?」

「…お疲れ様です」



 まずいものでも見られたかのように焦る尾関先輩に、私は心の中の憎しみを込めて素っ気ない挨拶をした。



「……お疲れ」

  


 その単調な返事にさらに怒りがこみ上げた。取り繕うことすらもうどうでもよくなって、私はロッカーを開けてバッグを握ると、そのまま休憩室を出て行こうとした。



「あれ?奈央ちゃん…いいの?」



 香坂さんが出ていこうとする私に当然の疑問を投げかける。



「……今見たら家に忘れてきたみたいなんで…また今度でいいです」

「そっか…」

「じゃあお先に失礼します!」



 尾関先輩は私と香坂さんの会話には一切入ってこず、ただ様子を伺っていた。



「うん!お疲れさま!気をつけてね!」

「……お疲れ」



 出て行く私に先輩は、さっきと全く同じイントネーションで全く言葉をかけた。



 バタンッ!と少し強めに扉を閉めた後、「それ以外の語彙知らないのか!」と心の中で先輩に怒鳴った。



 店の外に出ると、立ち止まってバッグの中のチョコを見た。賞味期限は今日まで。今年は本当に渡せないで終わってしまった。

 というか、渡せない以前の問題だ。



 絶望の闇に消え入りそうになりながら歩き出した。もう30分もしないでラストオーダーになると承知で、私の足は自然に葉月はづきへと向かっていた。




 ガラガラガラガラ…



 引き戸を開けて飛び込んできた天使のような横顔に傷だらけの心がほどけて、接客中にも関わらず私は泣きつくように呼んだ。



「えなさんっ!」



 すると、「あ!なおちゃんだーっ!!」と、えなさんと話していたカウンターのお客さんの方が先に振り返った。



「……めいさん…?」

「うれしー!久しぶりなのに名前すぐ出てきたね?ねー!ねー!一緒に飲もうよ!」



 無気力のまま、私は明さんが手招くカウンターへと歩いた。













 

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