第44話 執念
朝、４時のアラームで目を覚ました。
レンジでパックの大盛りごはんを温めて丼ぶりに盛り、さらにこっちも大盛りと書かれたレトルトの牛丼の具を温め、その上に乗せた。その間にやかんでお湯を沸かして、ちゃっかり豚汁もつけた。
「あー苦しい……」
独り言が思わず出るほどしっかり食べると、ゆっくりすることなくすぐに立ち上がった。そしてそのまま急いで朝の身支度を済ませると、つなぎの作業着に着替えた。
色違いで２着買ったこの作業着は、初めは生地が硬くて動きづらかったけど、何度もローテーションを繰り返し、今じゃバスケでも出来そうなくらいかなり体に馴染んできた。
いつもの必須アイテム、金属探知機、軍手、ゴミ袋、トングと、そしてその他にも、タオル、ティッシュ、そして種類の違う惣菜パンを４個と、１.５リットルのビッグサイズ水筒をリュックに詰め、それを背負った。
全ての準備が終わり時計を見る。
４時３９分。
よしっ！５時前には着く。
今日は運命の日だ……
もうすっかり通い慣れて自分の庭のようにも思えてきた遊歩道沿いの土手に着くと、朝もやが立ちこめていた。
「さぁやるぞー！」
見渡す限り人のいない道の上で声に出して、長い戦いに挑む自分を鼓舞した。客観的に見たらだいぶ痛い人だよな…と引く自分がいたけど、それよりも気合いの方が勝っていた。
もし今日キーホルダーを見つけることが出来たら、今日の夜に会いに行って告白する。そう心に決めていた。
奈央がずっと大切にしてくれていたキーホルダーを渡して、自分の気持ちを全て伝える。それでもし受け入れてもらえたら、今始まったばかりの今日という日が終わる頃、もしかしたら奈央は、ただのバイト仲間じゃなくて私の彼女になってるかもしれない…。
まだ見つけてもいないのに今日の夜がどんな夜になるのか、奈央のことを想像して一人ニヤケながら土手へ下りた。
キーホルダーを探し始めてから二ヶ月、奈央が落としたと言っていた場所から左右に約１０ｍづつの範囲は金属探知機を駆使して探し尽くしていた。
それでも見つけられなかった私は、つい先日、一つの仮説を思いついた。
この土手は小川に向かって５〜６mくらいの幅がありその斜面は、立つと思った以上に急になっている。
そして、遊歩道の両脇はちょっとした森のように大きな木々が立ち並んでいて、今朝もそうだけど、朝もやや
あのキーホルダーはなかなかクオリティーの高い作りで、サイズの割にはかなりの重さがある。そんな金属の
土手と小川の
もしそこまでキーホルダーが滑っていったんだとしたら、その石のすき間に入り込むだろう。だからきっと、キーホルダーはこの石の下のどこかに隠れている！
これが考え抜いた私の仮説。
この二ヶ月くらい散々草をかき分けても見つからなかったこともむしろ、この仮説の立証への確信とも感じていた。
早速滑り止めのついた軍手を手首までしっかりとはめると、まず奈央が落とした辺りからまっすぐ下へ下りていき、突き当たった石を持ち上げた。
重いけど、持ち上がらない重さじゃない。ここにある石はどれも大体同じくらいの大きさだから、これなら全部いけそうだと思った。
１つ目の石を持ち上げてその下を見た時、キラッと光る輪っかのようなものが見えた。
まさか！？
私は持ち上げた石を脇に投げ捨て、少し土に埋もったその輪っかを、掴みづらい軍手の親指と人差し指でつまんで引っこ抜いた。
「なんだよ……」
それはキーホルダーではなく、指輪だった。期待が外れて落胆しながら土まみれのその指輪を見ると、内側に約１０年前の日付と二人のイニシャル、そして『endless love』という刻印が打ってあった。
サイズからして女の人のものだろう。一体どうしたらこんなものが土手に埋まることになるんだろう？と不思議で仕方なかった。
この指輪の持ち主は初めてこれを指にはめた時、まさかその１０年後、それが土手の土に埋まるなんて想像もしなかっただろうなと思った。
その人は今もこの指輪を探してるんだろうか？指輪は無くしてしまっても、このイニシャルの相手とは刻まれた刻印の通り、永遠の愛で結ばれているんだろうか…？
どこの誰かも分からないけど、そうであることを心から願いつつ、後で交番に持ってこうと指輪をポケットに入れて、私は２個目の石へと標的を移した。
しょっぱなの期待に反して、その後はいくら石を持ち上げてもゴミすら出てこない状況が続いた。そんな簡単にはいかないか……と思いながらも続けていると、
「あら！今日はそんなところまで？ご苦労様！」
と、久しぶりに会うあのおばあちゃんに声をかけられた。愛想笑いでごまかす私になんの疑いも持たず、にこっと笑って去っていくおばあちゃんを見送り、そのまま遊歩道の時計を見上げる。
６時半か……
一つ一つはそこまで重すぎはしなくても、１時間ちょっと石を持ち上げ続けて、体力はかなり消耗していた。
この調子だとやばいな……
夜までもつかな……
と、早くも不安になってきた。しかも、つい２時間半前に大盛り牛丼を食べたばかりだというのに、そのエネルギーをすでに使い果たしたのか、もうベッコベコにお腹が空いている…
お腹が空いていては石を持ち上げる力も出ない…と、私はリュックの中から早々に１つ目のパンを取り出し、土手に座ってそれを食べた。
早朝の静かな空気の中、延々と続く石の配列を見てふと数千年前に思いを
……ピラミッド作った人達、マジでにすごいわ…と心の底から尊敬した。
今度は透き通った小川の流れに視線を移し、奈央のことを考えた。
今頃寝てるのかな…
見たことのない眠った姿を想像して、ついでにその奈央を後ろから抱きしめて一緒に眠る想像もした。
早く会いたい……
まだ３分の１は残っていたパンを無理矢理口に押し込んでお茶を飲んで立ち上がると、もう一度気合いを入れ直して捜索を再開した。
平日だったから覚悟はしていたけど、７時から８時の遊歩道は、通勤や通学の人達で、まるで縁日並の人口密度になった。
不機嫌そうな速歩きや、危なっかしい自転車の運転で、みんな駅の方向へと向かっていく。
そのほとんどの人が、『一体こいつは朝から何をしてるんだ？』と言いたげな顔で、通りすがりに私を見ていった。
恥ずかしさをガンガンに感じながらも時間がもったいなくて、私は人波に背を向けて手を止めずに探し続けた。
午前中も終わりに差し掛かると、今度は幼稚園に通う前の子どもとお母さんのペアが代わる代わるに現れては、それぞれゆったりとした時間を過ごしていた。
その頃、またすごくお腹が空いて２つ目のパンを食べたくなったけど、若いお母さん達に白い目で見られるのが嫌で、その波が切れるまで待った。
お昼ごはんはやっぱりみんなお昼に食べるものなのか、１２時台は人通りが極端に少なくなり、人目のないうちに…と、私はさっき食べ損ねたパンとさらにもう１個をその間に食べた。
午後に向けての腹ごしらえをしながら、心はだいぶ焦っていた…。
一番確率の高いところから始めて、そこからどんどん確率は下がっていくというのに、一向に見つかる気配がない……
私の仮説は肩透かしだったんだろうか…？
大きく息を吸って大きなため息をつき、ふいにポケットに手を入れる。すると、指先にさっきの指輪の感触を感じた。
１０年前の指輪だって見つかったんだから！小さな輪っかから希望をもらって、私はまた探し始めた。
正午を越えてからの時間は、時計の針がそれまでと同じペースで動いているとは思えないほど過ぎるのが早かった。
一心不乱に石を持ち上げては戻す…をひたすら繰り返している私に、
「なにしてるの？」
と、小学校１、２年生くらいの女の子が突然話しかけてきた。もう学校も終わった時間なのか…と、いよいよ本気でまずいと思いながら女の子を無視することも出来ず、
「ゴミ拾いだよ」
と、子どもが興味をそぐような返事をした。なのに、人見知りというものを知らないその子は
「手伝ってあげようか？」
と、らんらんとした目で食いついてきた。探索の邪魔になる緊急事態にたじろいでいるど、私の返事を待たずにその子は少し離れたところにいた友だち４人を大きな声で呼んで召集した。
そして、みんなわけが分からないまま、私を囲んで楽しそうにしゃがみこむ。
これじゃ進まない……
なんとかこの状況を打破しないと……
「この石持ち上げればいいの？」
初めに話しかけてきたリーダー格の女の子が私を追いつめる。
「大丈夫！重くて危ないからいいよ！」
「わたし力もちだもん！」
その子が持ち上げようとすると、それに習うように他の子たちも真似をし始めた。
だめだ……
何かこの子たちを止める方法……
そうだ……！！
「だめ！この石の近くにいると呪われるから！！今すぐに逃げて！！」
私がそう言った瞬間、
「ギャーーッ！！！」
と女の子たちはお互いの目を凝視しながら奇声を上げ、我先にとスタートダッシュで逃げて行った。そしてほんの十数秒できれいに全員がいなくなってくれた。
ガキちょろいな…と最低なことを心呟く。
やっぱり小学生の女の子にとって、『呪い』の効果はてきめんだ。
なんでだろう？自分もそうだったけど、呪いの意味なんかよく分かってないくせに、とにかく『呪われる』という言葉への恐怖が
呪われたらどうなるのかも知らずに、なにがなんでもとにかく呪われてはならないと、村の掟のごとく必死になったものだ。
女の子たちがいなくなって、また集中モードに入れた。そこからはもうとにかく気力だけで捜索を続けていた。
またお腹が空いて、パンはまだ１つ残っていたけど、そんなことより探し続けた。
冬だから夕方５時にもなるとかなり暗くなって、とても探せるような環境ではなくなってしまう。タイムリミットはあともう１時間ちょっとしかないだろう…。
焦りで心臓が苦しくなってくる。
このまま今日もやっぱり見つからないのか……？ここまでして見つからなかったらこれ以上どうしたらいいのか……？
もう本当に分からない。
今日見つけられないと、なぜか奈央がどこか遠くへ行ってしまう気がした。
本気で泣きそうになりながら、何百個目か分からない石を持ち上げた私の耳に、夕焼け小焼けのメロディーが聞こえてきた。
通りで見えづらいわけだ。ため息をついて空を見上げまた視線を石に戻すと、自分が今どの石を動かしていたのかもう区別がつかないほど、一瞬で暗さのレベルが変わっていた。
今日もだめだった………
正直、精神的にかなりやられた。
今日こそは見つかると信じていた。
奈央に会いに行ける夜を信じていた。
沈みきった気持ちのまま片づけをして、泥にまみれた作業服にリュックを背負い、後ろ髪引かれる思いで土手を睨んでからその場を後にした。
遊歩道から大通りへと出ると街灯や車のライトに汚れた作業着が照らされ、舗装されたこの道では場違いな私をすれ違う人がじろじろと見てくる。
どうにか知り合いにだけは会いませんように…！！
と祈りながらうつ向き加減に歩き、もうこの路地を入れば家に着く…というところまで来た時、右側から声をかけられた。
「きみかちゃん……？」
その声に反応して渋々顔だけを右に向けると、そこには私とは正反対に汚れ一つない綺麗な服に身を包んだ香坂さんが、不思議そうに私を見ていた。
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