第42話 約束




「いらっしゃーい!尾関ちゃん!」

「どうもー、お疲れさまですー!」



 ……尾関先輩だ……



 ほんの数週間なのに、久しぶりになまの先輩を見ただけで嬉しくて泣きそうになった。



 背中に背負ったギターケースを降ろしながら私たちのいるテーブル席に近づいてくる姿を、自然を装いながら目で追った。



 四人掛けのテーブルに、私と店長は向かい合う状態で、えなさんはお誕生日の主役席の位置に座っていた。

 つまり、今、店長の隣と私の隣の席が空いている…。



 どこに座るのか少しの期待をしながら見届けると、尾関先輩は私の斜め向かいの店長の隣に座った。



 どうせそこだろうとは思っていたけどショックを隠し切れない私は、抗議の気持ちを密かに込めて、着席した尾関先輩に目も合わせず自分から挨拶もせずに、グラスのお酒を飲んだ。すると、



「奈央、久しぶりだね。元気だった?」



 私の不躾ぶしつけな態度に不満一つない様子で、尾関先輩は自分から話しかけてくれた。たったそれだけで一瞬にして機嫌が直ってしまう。



「元気ですよ、先輩は?夜勤続きで体大丈夫ですか?」

「うん、全然平気!」



 どことなく疲れ気味に見えたけど、先輩は笑ってそう答えた。

 その私だけに向けられた久々の笑顔に、相変わらず寸分の狂いもなく胸はしめつけられた。すると突然、しばらく私たち二人の会話を黙って聞いていた店長が口を開いた。



「ねーねー、尾関!香坂ちゃんと付き合ってるってほんと?」



 ウソでしょ…!?

 川の流れのようにはどうした!?それじゃまるで急カーブの激流なんですけど!!



 心の中で怒涛のツッコみを入れながらも、そのストレート過ぎる質問に先輩がなんて答えるのか、今にも破裂しそうな心臓でその言葉を待った。



「なっ、なんで?!そんなわけないでしょ!」



 その瞬間、張りつめていた心の糸がふわっとゆるみ、私は自然と大きく深い息を吐いた。もう一呼吸置いてからゆっくりと顔を上げると、数秒前からこっちを見ていないと合わないようなタイミングで、尾関先輩とちょうど目があった。



「なっ、なんですか?!」

「いや、別に……」



 先輩はにごすように言うと注がれたばかりのビールを一気に飲んだ。その隣からすでに自慢げな店長が口を開いた。



「だってさ!倉田ちゃん!ほらね?付き合ってないって!」



 ……えっ、バカなの…??

 なんでそんなこと私に言っちゃうの…?



「なんで私に言うんですかっ!?」



 私は本音を丸々ぶつけて言った。店長がこれでハッとして気づいてくれれば、まだ川の流れの軌道は元に戻せる…。



「なんでって、だって倉田ちゃん、知りたがってたじゃん」



 ……あーあ。

 そっか…やっぱりバカなんだ……



 店長がもうすっかりぬるくなったおでんのこんにゃくにかぶりつきながらとそう言うと、両脇のえなさんと尾関先輩は、揃って素早い動きをして真ん中の店長へ振り返った。



 えなさんはすぐに私の方に向き直り、視線で『ごめんね…』を送ってきてくれた。

 尾関先輩はそんな私の視線が自分に移るのを待ってから、



「奈央、私と香坂さんが付き合ってるって思ってたの?」



 と、深刻そうに聞いてきた。

 どちらかと言えば、私は噂に振り回されてる被害者なのに、どことなく、簡単に噂を信じたこと責めるようなで真っ直ぐ見つめられて、なんとなくバツが悪くなった。



「私はその……バイトの子達がそうゆう噂してたから、本当のとこはどうなんだろうなー?って思っただけで……別にそのまま鵜呑みにしたわけじゃ……」

「噂って、具体的にはどんな噂になってるの?」



 えなさんが純粋に興味を持って私に尋ねた。



「……こないだの日曜日に、ホームセンターで尾関先輩と香坂さんを見たって子がいて、その子が言うには二人は腕まで組んでてもうカップル同然だったって……」



 テーブルに並んだ料理の器を見ながら説明し、言い終わる少し前に目線だけを動かして尾関先輩の表情を伺った。



「まじかっ!!尾関、おい!!」

「違うって!!あ…いや、違くはないんだけど……」

「違くないんですかっ!?」



 思わず身を乗り出して単刀直入に聞いてしまった。すると先輩は気まずそうに私から思いっきり視線をそらした。



「その、色々買い揃えたいって香坂さんに言われてホームセンターに付き合ったんだけど、その時一瞬だけ香坂さんがふざけただけで……てゆうか、なんでよりによってそんな瞬間見てるかな……」

「……じゃあやっぱり本当なんだ」

「本当って、確かにそうゆうことはあったけど別に何もないし!」



 慌てた様子で弁明する先輩に私はもう何も言わなかった。



「てかさ、そもそもその買い物になんで尾関が付き合ったの?」



 聞きたかったけど口に出来なかったことを、店長がこれぞ正解の流れで聞いてくれた。無表情のまま、心の中で『それ!それ!』と叫んだ。



「……それは、車で一気に運びたいから運転してほしいって言われて…」

「香坂ちゃんて免許持ってなかった?」

「持ってるらしいんですけど、ほぼペーパーだから久しぶりで恐いって…」

「……じゃあ助手席に香坂さんを乗せて運転したってことですか!?」

「えっ?…うん」



 私は先輩が運転してる姿を見たことすらないのに……。車の中で笑い合って楽しそうに話す2人の映像が、勝手に浮かんで苦しくなってきた。



「お前さ、まじで気をつけた方がいいかもよ?」

「なにがですか?」

「香坂ちゃん、お前にかなりご執心かもしれないから」

「そんなことあるわけないじゃないですか!香坂さんはどノンケだし、今は離婚したばっかりですんごい沈んじゃっててそれどころじゃないですよ」

「バカだなー、だからだよ!傷ついてる人間てのは道に迷いやすいんだから、今まではそんな気微塵みじんもなくても、人の温もりを求めてふら〜って本来の道を踏み外したりするもんなんだよ」


 

 店長のいい仕事が続く。

 私はまたも無言のまま『もっと言ってやって!!』とさらに店長へ後押しをした。



「そうかもしれないけど、だとしても私にどうこうとかじゃないですって。香坂さんは私とだけじゃなくて他の人ともごはんとか行ってるし。奈央だって行ったんでしょ?」

「まぁ行きましたけど……」

「そうゆう感じだよ」

「……でも、もし仮に、本当に香坂さんがそうゆうつもりだとしたらどうするんですか?はっきり、『付き合ってほしい』とか言われたら……」

「それは無理。そうゆうつもりで香坂さんのこと好きなわけじゃないから」



 先輩は意外なほど迷いなく言い切った。



「あんなに美しいだの、綺麗だのって言ってたのに?」

「それは言ってるだけっていうか……そう言うと語弊ごへいがあるけど、本当にそうだからそのまま口にしてるだけで、なんてゆうか、美術館で美しい絵画を見て感想を言ってるのと変わらないっていうか……」



 尾関先輩の発言を、私たち3人はおんなじ座った目をして聞いていた。



「えっ?なに?みんなのその目……」

「……お前、本物の悪魔だな」

「なんでよ!?」

「女をその気にさせといてその言い草……まじで怖いわー……」

「だから香坂さんはその気になんてなってないって!!」

「……確かに、尾関ちゃんて昔からそうゆうところあるよね……」

「えなさんまで!別に悪いことしてるわけじゃ……」

「尾関ちゃん…、悪いことしてるつもりがないことが一番の罪だよ?」

「えーー……」

「尾関がこんなスタンスだったなんて真実を知ったら、香坂ちゃん傷つくだろうなぁ……でも、本当に綺麗だとは思われてるから悪い気もしないとこもあって、どうすんだこれ状態だよ!」

「なにそれ」



 二人に次から次へと攻撃される尾関先輩をかばう気にはなれないけど、何はともあれ、とにかく先輩の中には香坂さんに対して特別な気持ちはないと分かって、少し心の中のモヤモヤが晴れた。



 そうとなれば、うだうだしてないでせっかく会えたこのチャンスを大切にしなきゃ後で後悔する…。



「あの……先輩、明後日ってシフト入ってませんでしたよね?」

「明後日?あー……うん、シフトは入ってないけど……」

「その日、ちょっとでもいいので会えませんか?」

「おっ、倉田、積極的じゃーん!」

「店長はちょっと黙ってて下さい」

「………すみませーん…」

「えっと…ごめん、奈央……、その日はちょっと忙しいかも……」



 やっぱり……予想はしていた。

 年が明けてから、私の誘いには全く乗ってきてくれない。だから今回もまたどうせ断られるだろうとは思っていた。

 それでも私はめげなかった。



「少しの時間だけでもいいんです!なんなら10分とか、それくらいでも!……ちょっと大切な話があって……」

「10分!?10分で済む大切な話ってことは告白かー?」

「店長!!」

「あんなちゃん!!」

「……はい、黙ってます……」

「………あの、本当にごめん……その日は丸一日手が離せなくて……」

「……そうですか」



 ここまで食い下がってもダメなんだ……。

 それにさっき、店長が思いっきり「告白」って言葉を口にした途端、先輩はあからさまにそれを避けたそうな表情かおをした。



 実際そこまでするつもりじゃなかったけど、先輩はそう誤解した上で、そうなる流れから逃げてるんだ……

 でもそれならもっと私に近づかないようにしたり、今日だって断ったり出来るのに、私がいるのかわざわざ確認してそれでも来る。

 会うとやさしく笑うし、楽しそうに話しかけてくる。私を見るその目は『友だち』に対してのものとは何かが違う。

 私はもう本当に意味が分からなくて、お酒も入ってるし泣きそうになった。



「でも!今だけだから!落ち着いたら丸一日でも大丈夫だから!!」



 私が落ち込んでいるのに気づいて、先輩は必死にフォローするように言った。



「……ほんとに?丸一日付き合ってくれるんですか……?」

「うん。今まで断っちゃってた分、全部穴埋めする!奈央の行きたいところどこでも付き合うし、なんならレンタカー借りてもいいし!」

「ほんとですか!?ほんとに?ウソじゃないですよね!?」

「そんなウソつかないよ!」

「じゃあ、今一つ約束してもらえませんか…?」

「……なに?」

「……次の私の誕生日……お祝いしてほしいです……」

「いいけど、まだ2ヶ月近くも先なのにそんなこと決めちゃっていいの?しかも二十歳はたちの誕生日だし、家族とか他に大切な人とお祝いしたりとか……」

「いいんです!!」

「まぁ…奈央がいいなら……」

「やったー!!絶対ですよ?!先輩、命に代えても守って下さいね!!」

「……命に代えたら尾関死んじゃうじゃん……」

「店長…?」

「……ごめんなさい」

「あんなさん、そうゆうことだからその日は誰かが休んだりしても私には頼まないでね?」

「ほんとですよ!もしその日に誰か欠勤の連絡来たら、這ってでも出勤させて下さいね!」

「……自分はこないだ風邪で休んだくせに…」

「なんか言いました?」

「もぉやだー!今日の倉田ちゃんめっちゃ恐いんだけど!えなぁー!」

「あんなちゃんこそどうしたの?今日は一段と野暮が過ぎるよ?」

「だってさぁ……」



 店長はえなさんに目で訴えるだけでそれ以上は何も言わなかったけど、えなさんは全て解ったようにうなづいた。



「……うん、そっか。そうだよね」

「なんですか?えなさん、店長の言いたいこと分かったんですか?」

「うん!久しぶりにこの四人が揃って、あんなちゃんは誰より嬉しくてテンション上がっちゃってるみたい。それからね、二人がまどろっこしすぎて見てられないんだって。早く上手いことまとまって四人で温泉でも行きたいなーって!」 

「まどろっこしいって……私と先輩は別にそうゆう関係じゃ……ってゆうか、今の本当に店長から伝わってきたんですか?温泉の話まで…?……嘘ですよね……?」

「ほんとだよ?だって私とあんなちゃんはテレパシーが使えるから」

「いやいや、えなさん……それはさすがに……宇宙人じゃないんだから」

「倉田はなんも分かってないなー。宇宙人じゃなくてもテレパシーは使えんの!」

「……まさか、二人ともエスパーとか?」

「ばか!『愛』でしょーが!以心伝心て知らないの?」

「……あぁー、愛……左様ですか……」

「今の倉田は今日一きょういち野暮だったな」



 ムッとしながら返す言葉もなくまたグラスに手を伸ばそうとすると、



「四人で温泉かぁ……いいなぁ……」



 突然独り言のように尾関先輩が呟いた。



「……それ本心で言ってます…?」

「え?うん。温泉よくない?一日中温泉と酒を繰り返して……最高じゃん」

「温泉とお酒で一日って……観光とかは一切しないんですね…?」

「まぁ多少はしたいけど、宿で心ゆくまでゆっくり過ごすってのもいいよね!」

「先輩、やっぱり相当疲れたまってるんじゃないですか?」

「そうなのかも。私も若くなくなってきたしなぁ……」

「おい!ひと回り上の人間がいる前でその発言は、片眉全剃りの刑に処すくらい重いよ?」

「……失礼しました…」

「でも、いつか行けたらいいね……この四人で」



 えなさんが夢見るように言った。



「そしたら尾関と倉田は同じ部屋だな」

「えっ!?何言ってるんですか?店長!」

「当たり前じゃん。私とえなが二人部屋なんだから」

「そりゃ二人はそうでしょうけど……だったら私と先輩は一人づつとか……」

「アホ!金がもったいないだろ!温泉行って一人部屋ってどこのVIPだよ!この贅沢小娘が!」

「……そこまで言います…?」

「………私は、同じ部屋でもいいけど」



 すると突然尾関先輩が言った。

 しかも少しお酒に酔ったとろんとした目で、そのままじっと見つめてくる。

 すごく恥ずかしいのに、なぜか私はその目から視線をそらせなかった。 

 


「やだ!なおちゃん、顔真っ赤だよ?!大丈夫!?」



 えなさんの慌てように、尋常じゃない赤さなんだろうと、その恥ずかしさにまた顔の熱が上がった。



「奈央、本当に大丈夫…?」



 尾関先輩も本当に心配そうに、テーブルを挟んで前のめりに近づいてくると、顔を覗き込むように聞いてきた。

 その行動が大丈夫じゃなくさせる……



「だ……だいじょうぶです……」



 耐えられずに目をつぶってうつ向き、なんとか答えた。



「大丈夫だよ!エロ倉に変身中なだけでしょ!」

「あんなちゃん!」

「ごめんなさい……」



 また店長がえなさんに叱られてる……さっきまでよりずっと遠くで聞こえるけど、二人はすぐ目の前にいるんだからそんなはずはない……。

 ヤバい……一気に酔いが回った……

 あんなこと言われてるのに、店長に言い返す余裕もない。



 アドレナリンが放出するような会話ばっかり続いた挙げ句に、トドメのさっきの先輩の発言で急激に体温が上昇してせいだ……



「あちゃー、倉田まじでかなりきてんな。尾関、送ってってやんなよ」

「あ、うん。そのつもりだったけど……」

「尾関ちゃん一人で大丈夫…?」

「奈央が歩ければ……奈央?どお?立てる?」

「……は……はい…」



 ついさっきまでガンガンに元気だったのに、本当に突然ガクンと来た……

 お酒を飲むとそんな風になることがあると大人たちから話に聞いたことはあったけど、こんな経験初めてだった。



 葉月はづきを出ると、先輩に体を預けながら、いつもより倍以上に感じる家までの道を歩いた。



 多少吐き気もして気持ちが悪かった。なのに、私はこんな無様な醜態をさらしながらも、どこかでこの状況に喜びを感じてしまっていた。



 こんなに酔っ払ってなかったらきっと尾関先輩は私を送ってくれなかったと思うし、自分自身も、体が密着するようなこんな距離感、シラフじゃとてもまともではいられなかった。



 あれ……?私、店長とえなさんにちゃんと挨拶したっけ……?


 

 酔っ払いのくせに、生意気に去り際の無礼を心配した。

 そんなつい数分前の記憶すらおぼろげな中、時々感じる先輩の香りが脳内をゆっくりと支配していった……





















  



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