第32話 本当の気持ち




 「もうそれやめてくれる?ほんと心底迷惑」



 と、私が奈央に返した言葉は心からの本心だった。いっちょまえに傷ついた顔をする奈央を休憩室に置き去りにして出て行った二日後、バイト上がりに自転車の鍵を開けていると、あんなさんが現れた。



「おい尾関、ツラ貸せや」

「ヤクザじゃん……あんなさんももう上がりなの?」

「尾関に説教するために上がった」

「勘弁してよ」



 そう言いながらあんなさんと飲むのは本当に好きで、誘われて断ったことは一度もない。開けた自転車の鍵をもう一度閉めて、私たちは行きつけの焼き鳥屋まで歩いた。

 いつものテーブル席でお疲れ様のビールを飲んだ後、私は自分から聞いた。



「説教ってなに?」

「心当たりは?」

「あるけど……」

「じゃあそれだな」

「仕事の場なのに働きづらくしてくるあっちが悪い」

「それをもっと働きづらくするお前も悪い」

「………」

「いいじゃん、別に。付き合うことは無理なんだとしても『気持ちはうれしいよ!ありがとー!』とか言ってあげれば。そしたら倉田ちゃんだって報われなくても救われるだろうし、お前もギスギスするよりその方が働きやすいんじゃないの?」

「そうゆう中途半端なことしたくないし、そもそも本気で好きでもないくせに告白してきて、全く嬉しくなんかないのに嬉しいなんて言いたくない」

「お前そうゆうとこすげー繊細だよね。ギリシャ絨毯かよ!私、実際倉田ちゃんは本物だと思うけどな。あれは本気で尾関のこと好きなやつだよ、適当じゃなくて」

「そんなことない!高校生特有のやつですよ!あんなん何度見てきたことか……」

「まぁ尾関は無駄に若い子にモテるからなー。でもさ、人としては倉田ちゃんのこと好きでしょ?」

「人としてはね」

「私もさ、なーんか倉田ちゃん好きなんだよね。あの子と話してるのなんか楽しくてさ!」

「…私も、本当に楽しかったですよ。今まで同級生だってあんなに話が合う子いなかったくらい。…だからあのままで居たかったのに…」

「尾関も出来れば前みたいな関係に戻りたいんでしょ?本当は顔も見たくないとか思ってるわけじゃなくて」

「そりゃ…まぁそうですけど…」

「倉田ちゃんの恋心を査定するのは尾関の自由だけどさ、普通にしてやってよ。私もあの子には店にいてほしいんだ、辞めてほしくない。正直にでいいからさ、無理に嬉しいなんて言わなくていいから、ちゃんと素直に、気持ちは受け取れないけど今まで通りにしようって伝えてあげたら、あの子はきっと分かる子だと思うよ?実年齢よりずっと大人だし」

「………分かりました」

「お!早速素直でいいじゃん!よしっ!じゃあ明日からまた普通にね!もしまた倉田ちゃんに冷たく当たったら……」

「当たったら?」

「お前を殺す」

「まじでやりかねない顔で見るじゃん……あとそのお箸を逆手に握るのやめてよ!チャッキーみたいなやつ!まさか箸一本でるつもり!?」

「やったことないんだけどやれる気がする……」







 次の日、出勤時間の40分前に店に行った。奈央はいつも30分前には来るから、その時間に話そうと思った。



 しばらくして休憩室に入ってきた奈央は、私の姿を見るなり背筋がピーンッとなって、見るからに強張っていた。

 だいぶ心に負担をかけてしまっていたんだなと、今さらながら少しだけ悪い気がした。



 正直に自分の気持ちを伝えると、あんなさんの言っていた通り、奈央はしっかりと受け止めて理解してくれた。



 奈央も奈央で改めて考えていたみたいで、私への気持ちは恋心ではなく、友だちとしての思いかもしれないと分析していた。



 完全に自分の気持ちに整理はついていなくても、そうだと考えた上で、私に告白した自分をなかったことにしたり、後悔をしたりすることはなく、ただまた前みたく楽しくやっていきたいと言った。



 本当によかったと思った。三日前は、これで完全に奈央と縁が切れたかと思っていたけど、ここから少しづつ、あの頃のように戻っていけるのかもしれない。

 そう思うと心から嬉しかった。




 とは言え、お互い前みたいに戻ると改めて意識すると、逆にどうしていたのか分からなくなって、自然に話すことすら難しくなってしまった。



 普通に…と思えば思うほど『普通』が分からず、その気まずさに、関わることを避けてしまったりもした。







「なんかさ、ぎこちなくない?君たち」



 奈央が先に帰っていった休憩室で、あんなさんがアンニュイな表情で私に言ってきた。



「…なんか、どうやって喋ってたっけ?状態なんですよね…」

「つまんない!!戻れよ!なんの身にもならない話とか、5分で忘れるような話とか、普通にいっぱいしてたじゃん!!」

「私たちってそんなに何も残らない話ばっかりしてたの…?なら話す意味ないじゃん…」

「はい、出たばか!不毛を愛せよ!不毛の先に意味があんだよ!まずはさ、『私、いつもここのホクロから長い毛が生えるんだよね』とか話したらいいじゃん!」

「そんなホクロないわ!あったとしても言いたくないわ!……私だって仕事しづらいし、普通な感じに戻りたいけど、なんかずっとどこかで引っかかるっていうか……」

「なに?もしかしてまだ倉田ちゃんが自分のことそうゆう目で見てるって思ってんの?」

「まぁ……ちょっとそんな感じするっていうか……」

「お前すごいちょづくじゃん!向こうはもうその気にないって言ってんのに。はっず!!」

「そうなんですけど!でもほんとになんか変なんだもん!」

「それはお前にじゃなくて、学校とか他で恋しちゃったりして変なのかもよ?」

「あー……なるほど、それもあるか…」

「とにかくさ、どうしたら前みたいに仲のいい先輩後輩に戻ってくれんのよ?私も被害者なんだけど。みんなで楽しかった時間奪われてさー」 

「そっか……それだったらいいのかも…」

「ん?」

「奈央にちゃんと彼氏が出来て、私の前でめちゃくちゃノロけてる姿とか見たら、もう正常に戻ったって思えて、普通に話せるようになるのかもしれない!」




 その時は、本心でそう言ったはずだった……





 それから数ヶ月後。

 出勤してきた奈央が見慣れないネックレスをしていることに、私はすぐに気がついた。



 奈央は挙動不審な様子でソワソワしながら、仕事中も常にシャツの下のネックレスを気にしていた。



 高いものでも買ったのかな…?と、着替えてる時にちらっと見ると、それは普段の奈央の好みとは少し違う、ハートの形のネックレスだった。



 少し前からあんなさんが怪しいとは噂してたけど、そっか、本当に彼氏が出来たんだ…



 そうはっきり認識した時、胸の奥に砂を詰め込まれたような重さと息苦しさを感じた。



 ネックレスのことはとっくに気づいていながら、そのことには触れずに何日も過ごした後、バイト上がりの休憩室でちょうどよく二人きりになった時、私は思いきって奈央に聞いた。



「倉田、彼氏できたの?」



 私の単純な質問に、奈央は一瞬で顔を赤らめてドギマギしていた。



「なんでですか?」



 と、奈央は平然を装うように返してきたけど、その様子はすでに肯定しているようなものだった。



 その日から、奈央が彼氏のことで恥ずかしそうに動揺する姿を目にするたび、胸の中の砂袋はいくつもいくつも積み重なっていった。



 最近は全く自然になんか話せなかったのに、ちゃかしたり、からかったり、彼氏のことを話題にすると、自分でも驚くほどよく口が回った。奈央もそんな私にツッコんできたりして、表面上はもうすっかり以前の二人に戻ったようだった。




 そう、何よりも守りたかった友だちのような関係。




 何よりも望んでいた友だちのような関係。




 友だちのような関係……?




 そんなこと、本当に私は望んでたんだろうか……?




 一人の部屋でベッドの上横になりながら、ふと、初めて私に告白してきた時の、今にも泣き出しそうに緊張した奈央の顔を思い出した。




「可愛いかったな……」




 心の声が口から出ていることに気づいた時、今さら思い知った。





 そっか、私はずっと奈央が好きだったんだ…





 なのに、絶対に上手くいくはずがない…、奈央の気持ちは偽物だ…そう決めつけて、ただ自分が傷つきたくない一心で、奈央をずっと遠ざけてた。





 歳下なんか好きじゃないし、不安定にふらふら気持ちの変わる未成年なんて信用してない。だから絶対に好きになったりしない。





 なのに、どうして……?

 どうして今こんなに苦しいんだろう……



 


 それは、奈央だからだ。





 歳下とか、まだ二十歳はたちにもなってない子どもだからとか、本当はそんなのどうでもよかったんだ。





 本当はそんなことなんにも関係なく、私はずっと奈央を好きだったんだ……





 そうしてやっと素直になれた朝、自分の目から10年ぶりに涙がこぼれていることに気づいた。










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