第21話 ベス



 次の日から、学校の帰りやバイトの帰りに毎日土手へ行った。だけどキーホルダーを見つけることは出来なかった。



 尾関先輩は私が“彼氏からもらったネックレス”をなくしたと思い込んでいるので、それが店長やえなさんに間違って伝わるとややこしいと思い、バイト上がりにちょうどよく店長が「これからえなの店行くけど、倉田ちゃんも一緒に行かない?」と誘ってくれた日、私はそのいきさつを二人に話すことにした。





 えなさんのお店は開店して一ヶ月が経っていた。「開店したら初めは一緒に行こうよ」と尾関先輩からしてきた約束は、その直後に先輩に彼女が出来、私が先輩を避けていたせいで果たされることはなかった。



「タイミングが合わないから別で行って下さい」と断ると、軽くふてくされた顔をしながらも「倉田、最近忙しいから仕方ないかー」と、簡単に受け入れられて、自分との熱の違いにまた少し傷ついた。



 結局私は初めから一人で行った。引き戸の扉を横に開くと、斜め右に真新しい木目が綺麗なL字のカウンターが大きく陣取り、空いている後ろのスペースには、4人がけのテーブルが二つと、2人がけのテーブルが一つ。



 話に聞いていた通り、ギリギリ一人でなんとか回せるくらいの小さなお店は、新しいがらもいい意味で古めかしさを感じる和テイストで、カウンターの中のえなさんは着物を着ていた。



 えなさんがいるから当たり前だけど、初日からすごく居心地が良くて、えなさんの作ってくれる料理はどれも本当においしくて、えなさんからすでに一番の常連さんと言われるほど、私は通い詰めていた。



 学校から遅く帰ってきても、お店ののれんをくぐって扉を開けると、



「なおちゃん!おかえりー!」



 と、あのぶっ飛ぶほどの美しい笑顔でいつも温かくえなさんが迎えてくれる。



 私は19歳にして、世のおじさん達が行きつけのスナック通いをやめられない気持ちが、脳髄に痺れ渡るほどよく理解出来た。





 

 その日、店長と私がお店に行くと、ちょうどよく最後のお客さんが帰っていくところで、えなさんはお見送りの後、入口ののれんを店の中にしまった。



 もう閉店した貸し切り状態の店内で、カウンターに座り乾杯をした。えなさんは残った片付けや明日の仕込みをしながらカウンターからも、ちょこちょこと料理を出してくれた。



 私が早速キーホルダーをなくしたこととその日のことを話すと、店長は珍しく神妙な面持ちで聞いてくれた。



「……そっか、そんなことがあったんだ。…それにしても尾関にこんな急に彼女が出来るなんてね。ここ何年かはめんどくさいからとか言って全く作る気なかったのになー」

「私、人生で初めて晴天の霹靂を実感しました…。教科書の中にしか存在しない言葉だと思ってたのに」

「それで、倉田ちゃんはもう尾関のことあきらめるの?彼女出来ちゃったから」

「……自分でもよく分かりません。彼女の話聞きたくなくて避けちゃったり、でも顔見れると嬉しかったり……もう恋人になるとかそうゆうのは無理なんだってきっと分かってるんです。…彼女いるわけだし…。だけど、それでも好きって思っちゃう気持ちは不思議と今でも何も変わらなくて…」

「ねぇ、今さらだけどさ、倉田ちゃんて尾関のどこがそんなにいいの?……って愚問ぐもんか!私も尾関好きだしなぁー」

「店長こそ、尾関先輩のどこが好きなんですか?そうゆう話あんまりしてくれないですもんね。興味あります!」

「んー、そうだなぁ……飲みに誘ったら絶対断らないところかなぁ」

舎弟しゃていじゃないんだから…」

「でもほんとすごいんだよ、あいつ!例え熱があっても夜中の3時でも、私が今から飲むぞ!って誘うとってでも来るから!」



 すると、ようやく仕事が終わったえなさんもカウンター越しにお酒を飲み始め、私たちの話に入ってきた。



「そうそう、前なんかあんなちゃん、どこまで来るもんなのか試してみよう!とか言って、尾関ちゃんが親戚の三回忌で田舎に帰ってる最中にも電話して誘ったんだよ?」

「そうそう!そしたらさ、あいつ来たの!バカでしょ?」



 店長は膝を叩いてご機嫌な天狗のように高らかに笑った。



「さすがに冠婚葬祭はやめてあげて下さいよ!……でもなんかちょっと悔しいです……尾関先輩、ごちゃごちゃ言いながら店長にはすっごいなついてますもんね」

「あいつほぼ犬だよね!私の言う事何でも聞くんだよなー。何年か前のクリスマスの時なんか、お前にサンタは生意気だから、トナカイの格好でケーキ売れって命令したら、イヴから丸2日間ずっとツノつけて赤鼻つけて売っててさ、過去一の売り上げ叩き出したの!すごいウケたわ。サンタのトナカイよりよく働く野良犬なんだもん!」 

「あんなちゃんひどーい!尾関ちゃんは野良犬じゃなくて、しっかりと訓練を受けてきた優秀な犬だと思うよ!」

「えなさん……でも犬は犬なんですね…」

「あっ、ほんとだね!でもなんか尾関ちゃんて確かに犬っぽいんだもん」

「でもなんか分かります…。私、今研修でしつけの訓練とかしてるんですけど、いるんですよ、尾関先輩みたいなワンちゃん。私の言うことは全然聞いてくれなくて、いっつもワチャワチャ無駄吠えするくせに、お気に入りのトレーナーの先生にだけ信じられないくらい従順な子……」

「その子、名前はなんていうの?」

「えーとね、その子はベスです」

「ベスー!!ウケるー!!今度から尾関のことベスって呼ぼう!」

「『尾関』って呼んでるあんなちゃんが『ベス』って呼ぶってことは、私は尾関ちゃんを『ベスちゃん』て呼べばいいの?」

「えな!ちょっとやめてよ!ベスちゃんてっ!!」

「ちょっと待って下さいよ!そしたら私、『ベス先輩』って呼ばなきゃいけないじゃないですか!」

「ベス先輩っ!!犬なのに?犬なのに先輩なの?ねぇ倉田ちゃん、教えて……あなたはベス先輩の後輩なんですか……?」

「もう本当にやめて下さい!!悪ふざけがすぎますよ!店長!」

「よく言うわ!ベス先輩とか、一番かましてたくせに!……あーヤバかった……ふぅー、なんかどっと疲れたんだけど……」

「てゆうか!元々尾関先輩の好きなところ聞いてたんですよね?なんでこんな話になったんだろ?店長、他にないんですか?もっと内面的なこととか!」

「あー、あるよ!あいつはね、他人の為に本気でキレられる奴だね。あいつのそうゆうところ好きだよ」

「だから、考え方がほぼヤクザなんですよ……」

「まぁ遠くないかもね、あいつひょうひょうとしてるくせに、あちーんだよね。確かに冷たいこととかズバッと言っちゃうとこもあるけど、意味がないことでは人を傷つけないし、結局憎めなくてバカでかわいいんだよね、ベス!」


 

 そう言って満足そうに店長はお酒をぐいっと飲んだ。



 今日は早朝バイトが体調不良で急遽一人休みになり、店長はその穴埋めから始まって、私が上がる時間の夜の10時まで一日通しで働いていた。



 相当疲れているはずなのに、落ち込んでいる私に気づいて誘ってくれて、元気づけるため今も一生懸命楽しませようとしてくれている。

 そんな店長に私も気づいていた。



 日付が変わった頃、本当に疲れきってしまって、店長はついにカウンターにつっ伏して寝てしまった。



「本当に優しいですよね、店長……」



 私がそう言うとえなさんは



「うん」



と、嬉しそうに微笑んだ。



 その簡単な返事の中に、入り切らない愛が詰め込まれていることは私にも目に見えるように分かった。



「まだ毎日探してるの?」



 そう私に問いかけてグラスを片手にカウンターの中から出てきたえなさんに、私は席を一つずれて店長と私の間の席を譲った。



「そんな、気遣わなくていいのに……」



 と言いながらも、えなさんは眠っている店長に少し寄り添うようにして座った。



「別にキーホルダーが見つかっても尾関先輩との関係が何か変わるわけじゃないのに、あれをなくしたらもう本当に私と先輩の間にはなんにもなくなっちゃう気がして……」

「なおちゃん……」



 えなさんは私と同じように泣きそうな顔をしていた。



「私、分からないんです。先輩にはもう彼女がいるのに、苦しすぎてもう好きでなんていたくないのに、なんでこんなになってまでまだあきらめられないんだろう……」



 私がそうこぼすと、えなさんは日本酒の小さなグラスに両手を添えながら、側で眠る店長に視線を移した。



「運命の人に出会うとね、どこが好きとか、何が好きとかじゃおさまらなくなるんだよね。その存在自体が自分の全てで、その存在がないと息が出来ないくらい苦しくなっちゃう。私、あんなちゃんと初めて出会った時、もともと自分の一部だったものが今まで離れ離れになってたんだなって感じたの。……なおちゃんにとってのそうゆう人が、尾関ちゃんなのかもしれないね」



 店長のサラサラな髪を撫でながらえなさんはそう言った。
















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