第18話 月と太陽



 あの夜から、次会った時にどんな顔をしたらいいのか、何を言ったらいいのか分からなくて、あのコンビニには行けなかった。



 ただその間もきみかさんのことばかり考えてしまう自分がいた。あの笑顔を思い浮かべると必ず鼓動は早くなり、言われた言葉を思い返すと耳が熱くなった。



 私は日ごとに言い訳や否定が出来なくなっていった。




 心がぐちゃぐちゃになりながら、何回かの週末を光と過ごした。生まれてくるたび、つま先から綿を詰めるようにぎゅうぎゅうに体の中に押し込んできた感情は、もう喉にまで来ていた。



 そしてその日、ついに容量を満たしきって入らなくなったものが、口からポロポロと出てきてしまった。



「ねぇ、光…」

「んー?」

「話、聞いてくれる?」

「どしたー?」



 光は私の家に着いたばっかりでまだ着替えてもなく、仕事帰りの服のまま冷蔵庫の缶チューハイを取り出そうとしていた。



「私、好きな人が出来たかもしれない…」



 ずるい私は光がこっちを振り返る前に背中に向かって言った。



 プシュッ…



 ちょうど缶チューハイのフタを開けたところで、ひとくち目をごくごくと勢いよく飲んでから光はこっちへ向き直った。



「それってこないだの話のやつ?実践してみてるの?」

「…そうじゃなくて、本当に、好きな人が出来たかもしれなくて…」 

「冗談でしょ?こないだ菜々未、納得いってなさそうだったから、試してみてるんでしょ?」



 その言葉に泣き出した私を見て、光は冗談なんかじゃないとすぐに理解した。



「……ごめんね」



 そう言うのが精一杯だった。



「会社の人?」

「……会社の人じゃなくて、たまたま知り合った人で…というより、まだ知り合いとも言えない関係なんだけど……気持ちを伝えたいと思ってる……」

「気持ち伝えたいってことは、好きかもしれないじゃなくて、もう確実に好きじゃん。知り合いとも言えないような人にそこまで思うって、運命みたいだね」



 そう言うと、光は缶チューハイの残りを一気に飲み干した。



「帰るね」



 そして一度も腰を下ろさないまま玄関へ戻った。



「…話しないの?」



 靴を履こうとしている光にまた背中から聞いた。



「何を?もう聞いたよ。これ以上なんか意味ある?部屋に置いてある荷物は今度都合のいい時に取りに来るから」

「え…」

「こないだ言ったでしょ?そうゆうことになったら身を引くって。大丈夫、別に菜々未のこと恨んだりしてないよ、本当に。他に好きな人が出来たのは菜々未が悪いわけじゃないし、だから謝らなくていいよ」

「光……」

「幸せになってね」



 鉄の扉が閉まり、私たちの7年間はたったの5分で終わった。

 そんな最後の瞬間さえも光は太陽みたいに笑っていた。



 それが今までで一番悲しかった。









 それから一週間後の夜、あの日と同じ曜日の同じ時間、同じ場所で私はバイト上がりのきみかさんを待った。



 緊張で本当に口から心臓が出そうになる。ここまで来てもまだ、まず初めになんて言うか決められていなかった。



 そうこうしている間にどんどんその時が迫ってくる。どうしよう…どうしよう…と左手で右手を包んで思い詰めていると、



「あ!缶チューハイのお姉さん!」



 予想よりも早く現れたきみかさんに向こうから声をかけられた。



「あっあの、……こないだは本当にすみませんでした……」 

「まだ言ってるんですか?てゆうか、もしかして待ちぶせしてました?」

「……はい」 

「えっ!?ほんとに!?冗談だったんだけど…。そんな、ほんともう気にしないで下さいよ、何度も言うけどただの水だし私も悪かったんだし…」

「あの!そうじゃなくて!……あのことは本当に申し訳なかったんですけど…今日は違くて……。こないだ、もしナンパだったらついて来てくれるって言ってたから…それで……」

「うそっ!マジですか!?…確かにそう言いましたけど、でもお姉さん、付き合ってる人いるんでしょ?」 

「…別れました…。だから、浮気とかそうゆうのではなくて……」



 きみかさんは少しの真顔の後、嬉しそうに笑った。



「じゃあ今から飲みに行きます?」



 7年も付き合った光とあんなにも簡単に終わって、知り合いでもないきみかさんとこんなにも簡単に二人で飲みに行っている。



 それまでほとんど変わり映えのない毎日だったのに、自分を取り巻く世界はたったの一週間で180度変わった。



 どこか行きたいお店の希望があるか聞かれ、ある程度静かであればどこでも…と答えると、きみかさんはたまにバイト先の店長さんと行くという、近くの居酒屋に連れて行ってくれた。



 その店はチェーン店で名前は聞いたことがあったけど、入ったことはなかったお店だった。学生が大勢で集うような店ではなく、どちらかと言えば大人が少人数で来るような、一見バーのような雰囲気のあるお店。



 半個室になっている席に通され、向かい合って私たちは王道の流れでまずビールで乾杯をした。



「今気づきましたけど、明日って仕事じゃないんですか?こんな時間から飲みだして大丈夫ですか?」

「明日はたまたま休みで…」

「そうなんだ!ならよかったです。やっぱり飲む時は抑えて飲むとかつまんないですもんね!」

「…そうですね」



 本当は有給を取って休みにしていた。今日きみかさんに断られても、断わられなかったとしても、どちらにしても次の日にダメージがあると予想していた。どうせたまっていた有給を消化しなきゃいけなかったからちょうどよく使ったけど、正直に話したらさすがに引かれそうでそこは黙っておいた。



「…別れた彼女さんとは長かったんですか?」



 まさかの質問をまさかのタイミングで聞かれ答えに一瞬躊躇していると



「って、その前に自己紹介しなきゃですよね!ごめんなさい、私、尾関きみかっていいます。お姉さんは?」



と、きみかさんは仕切り直した。



「私は、間宮まみや菜々未ななみです」 

「じゃあ菜々未さんて呼んでもいいですか?」

「…はい。じゃあ私もきみかさんって呼んでもいいですか…?」



 心の中でだけ何度も呼んできた名前を初めて声に出して言った。



「きみかさんてなんか恥ずかしいな…、呼び捨てでいいですよ!菜々未さんの方が少しお姉さんだし。…ですよね?私ずっと勝手に決めつけちゃってたけど…。私、24なんですけど…」

「もちろん全然上です!私は27なので…。でも人のことを呼び捨てにするのってあんまり慣れないから」

「そっか、じゃあ、とりあえずきみかさんで…!」

「はい!……それで、あの、さっきの話なんですけど、どうして付き合ってたのが“彼女”だって分かったんですか…?」

「それは…同じ匂いがするから」 

「…そうなんだ。私、けっこう気づかれない方なんですけど、きみかさんには分かったんですね」

「私けっこう気づいちゃうんですよね、そうかそうじゃないか」

「あっ……さっきの質問の答えですけど……、前の彼女とは7年付き合ってました…」

「7年!?長っ!!私そんなに長く付き合ったことないですよ、逆によく別れられましたね、そんなに連れ添って…」

「私が好きな人が出来たって話したら、彼女は身を引くって言って……」

「ちょ、ちょっと待って下さい…まさかその好きな人って…」

「…きみかさんです」



 少しお酒が入ったことと、もう覚悟が決まったことで、私は向かい合うきみかさんとまっすぐに目を合わせながら言い切った。



「いやいやいや…だって、そんなに面識ないし!店には来てくれてましたけど…」 

「……実を言うと、最近あのコンビニに行くようになるずっと前から、私、きみかさんのこと知ってたんです」

「えっ!?」

「数年前から、公園前のベンチで彼女さんと楽しそうに話してるのを仕事帰りにたまに目にしてて……」

「そうなんですか!?全然知らなかった…。ってゆうか、あの子は別に彼女とかじゃないですけどね」

「そうなんですか?私、二人は絶対付き合ってるんだと思ってました…それで、失礼ですけど、その後別れちゃったのかなって……」

「全然そんなんじゃないですよ。ただの仲のいい後輩って感じで。そもそもあの子はノンケで今彼氏もいますから」

「そうなんですか!?そっか……。あの、一緒にお店で働いてる“倉田さん”ですよね?」

「そこまで分かってるんですか?なんか恥ずかしいな…」

「あの頃、お二人の姿を見かけるとなんか微笑ましくて癒されてたんです。お二人があのコンビニで働かれてるのは全然知らなくて、お店に行ったのは本当に偶然だったんですけど、それがきっかけで通ううちにどんどんきみかさんのことを意識してしまうようになって…、気づいたら、いつもきみかさんのことばっかり考えるようになって……その時はまだ彼女もいたから本当に苦しいくらい毎日悩んだんですけど、惹かれてる気持ちをどうやっても否定出来ないところまで来てしまって…」



 きみかさんはお酒に手を伸ばさず、私の話を真剣に聞いてくれていた。



「それで自覚したんです。私、きみかさんのことが好きなんだって…」

「……なんかめちゃくちゃ照れます、久しぶりにそんなこと言われて」 

「嘘ですよ!きみかさん絶対モテるし、こんなことくらいしょっちゅう言われてるはずです!」

「私、趣味で音楽やってるんですけど、そっちの方のノリでとか、あとまぁ若い子に懐かれて…とかはたまにありますけど、ちゃんとナチュラルに言われたのは本当にかなり久しぶりで…」

「…音楽やってるの似合いますね」

「ただの趣味ですけどね。好きでやってるだけで」



 思うことがあって、ライブハウスで見たことはまだ言えなかった。


  

「……あの、今さらですけど、今は付き合ってる方とかいないんですか…?」

「こう見えても一応彼女がいたらいくら綺麗なお姉さんに誘われてもついてったりしないです」 

「……じゃあ、その……もしよかったら、私と付き合ってもらえませんか?」



 今しかないと思って、私はいちかばちか真っ向から告白した。



「いいですよ」

「……え?あの、付き合うって、飲みに付き合うとかじゃなくて、恋人としてってことなんですけど…」

「やだなぁ!人をアホみたいに!話の流れ的にそんなの分かってますよ!飲みに付き合うの方なわけないじゃないですか!菜々未さんおもしろいですね!」

「だって!そんな簡単に……」

「だって私今フリーだし、菜々未さんは綺麗なお姉さんだし、断る理由がないですもん」

「……そんな、綺麗なんかではないですけど……」

「めちゃくちゃ綺麗ですよ!初めて店に来てくれた時から綺麗な人だなーって思ってましたよ?私」



 きみかさんはこうゆう罪なことをなんの悪びれもなくさらっと言ってくる。人を上手く持ち上げで媚びるとかじゃなくて、さも本心を素直に口にしているだけという顔が、さらに鼓動を急がせる。



 「…あの、じゃあ……もう今から私、きみかさんの彼女ってことでいいんですか…?」

「はい、菜々未さんはもう私の彼女です!だからもうよその女の人をナンパなんかしちゃダメですよ?」



 この人といるとドキドキが止まらない…



 光からはもらえなかったものを、この人ならくれると思った。
















 





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