第3話 近くにいれるなら

 絶望の夜の次の日もバイトだった。尾関先輩はいないけど、それでも仕事中はずっと、押し潰されるような気持ちだった。



「倉田ちゃん、またなんかあったでしょ?」



 表には出さないように明るくしていたつもりなのに、店長は私の変化に気づいていた。



「尾関だな…」



 バイト上がりに帰る準備をしていた私に店長は心配して声をかけてくれた。



「店長…ごめんなさい。私、ウソついてました。尾関先輩のこともう忘れたなんてウソです。あんなに冷たくされたのに、なんにも変わらず尾関先輩が好きでした…」

「…あぁ、うん。それは知ってたよ」

「え!?なんでですか!?」

「見てたら分かるもん。モロバレ」

「そうなんですか?!めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど…もしかして、尾関先輩も分かってたのかな…」

「いやぁー、あいつは分かってないと思うよ。ほら、あいつってバカだから」

「…まぁ、バレてても今更なんですけどね…」

「また告っちゃったのか…で、また拒否られたか……」

「店長なんで分かるんですか!?」

「倉田ちゃん分かりやすいもん。池上彰の解説くらい分かりやすい」

「…すごい分かりやすいじゃないですか!」

「でも大丈夫、私くらいだと思うよ、気づいてるの。けっこう頑張って隠せてるよ」

「あの…店長…私…」

「ちょっ!ちょっと待て!それ、辞める時のやつじゃん!」

「本当に店長はなんでも察しがよくいらっしゃって助かります…」

「だめだよ!辞めないでよ!」

「なんでいつも止めてくれるんですか?今たぶん私いなくなっても全然人足りてますよね…?」

「人間を数ではかるんじゃないよ!このバカ!…倉田ちゃんいなくなったら淋しいじゃん、楽しい子なのにさ。気立てもいいし、いい嫁になるよ」

「店長こそいい嫁になりそうですよ、なんで結婚してないんですか?」

「…そうゆうとこ好きなんだよね、倉田ちゃんの。普通さ、いち高校生のバイトが30代の独身の店長になんで結婚しないのかなんて聞けないよ?」

「私っていうより、店長だと思いますけど。子どもにもそうゆうことを言わせてしまうおおらかな人間性というか…」

「それ、褒めてる風にナメてるよね」

「違いますよ!本当に店長は最高ですもん!本当に不思議なんですよ、嫁のもらい手がないなんて」

「私は嫁っていうよりダンナ気質かなー」

「じゃあもう私、店長の嫁になります!」

「いや、それはごめん。間に合ってるんで…」

「店長にもフラレた…だめだもう…私もうこの店に来れません…自分をフった人間が2人もいる環境でバイトなんか出来ます?」

「倉田ちゃんさ、マジで辞めたいの?」

「…辞めたいっていうか、無理そうかなって…。だって、また絶対尾関先輩すごい冷たい態度してきますもん。がんばってやっと一年かけてここまで来たのに、これ以上はもう耐えられる力残ってないんですよ」

「倉田ちゃんてほんと尾関のこと好きだよね」

「……はい」

「尾関が別に態度変わらなくて今のままでも、一緒に働くの辛いんじゃないの?」

「辛いですけど、普通にしてくれるならやっぱり近くにいたいっていうか…」

「そっか。じゃあ私がなんとかするわ!」

「なんとかって?」

「私、店長だよ?この店がアリの飼育箱だとしたら、私は神だよ?」

「ちょっと分かりにくいですね…その場合、人間じゃないんですか?」

「…細かいな。とにかく尾関のことはまかせてよ!大丈夫、倉田ちゃんが立場悪くなるようなことは言わないし、もちろん今回のことも知らないテイであいつを戒めとくから!だから上手くいったら辞めないでよ?」

「…はい。本当にいつも気にかけて頂いてありがとうございます…」




 …そしてついに2日後の執行日が来た。



 肺に穴でも空いてるんじゃないかってくらい息苦しくなりながら店に着くと、休憩室の扉を開けた。



「おはよ」



 いつもギリギリに来る尾関先輩がなぜか30分前にも関わらずすでに来ていた。しかも意外にも向こうからあいさつされて戸惑った。



「…おはようございます」



 色んな恐怖をまといながら、まだ出勤時間まであり余る時間をここでどう過ごせばいいのか、冷や汗が出てきた。



 学校から直で来る私はいつも30分前には着いていて、出勤までの時間を休憩室で潰していた。それはもちろん尾関先輩も前から知っている。だから、それに合わせて早く来たんだろうということはなんとなく察しがついた。



 店長はなんて言ったんだろう?この尾関先輩を動かす店長は本当に神のように思えた。



 どこにも逃げ場はないので、休憩室をほとんど埋め尽くす大きなテーブルを挟んで、私は先輩の正面に向かい合って座った。



 私が席に着くと、先輩は読んでいたマンガを閉じて私を見た。



「あのさ、はっきり言うね」



 その口調は冷たい感じではなく、少し穏やかでさえあったけど、その先に続くだろう言葉が簡単に想像出来て、私はもう泣きそうだった。



「私さ、本当に高校生…というか10代の子ってそうゆう対象に見れないんだ。だから、どんなに倉田に好きって言われても絶対に気持ちには応えられない」

「……はい」



 だめだ、泣いちゃだめだ…



「だから、ああゆうことはもう言わないでほしい。私はただ普通に仕事がしたいし、倉田のことは気の合う後輩として見てるだけだから。何より仕事がしづらくなるのが一番嫌なんだよね」

「……はい」

「分かってくれたら、無駄に嫌な態度とったりしないから」

「…分かりました。もう本当に尾関先輩を困らせるようなことはしないですから、普通に接してもらえたらそれで…」

「うん」



 なんとか涙は見せないでいられた。すぐに話は終わって、まだ充分に残る時間と気まずさが漂う。



「あーあ!ねむっ!」



 尾関先輩が突然、空気を変えるように伸びをしながら大きな声を出した。



「寝てないんですか?」

「昨日ちょっと飲みすぎた」



 大丈夫、ちゃんと普通に話せてる。



「お酒好きですね」

「好きって言うより、ないと生きていけないかな。倉田は飲まないの?」

「…あの、私、高校生なんですけど…」

「この世に“お酒は20歳《ハタチ

》になってから”を守ってるやつなんかいないでしょ」

「いや、いるでしょ」

「でも倉田は飲むでしょ?」

「まぁ、飲んだことはありますけど。家系が酒飲みの血筋だから…」

「へー。じゃあ強そうだね。あんなさん…店長と飲むと楽しいよ!あの人バカな酔い方するから。昨日も飲んでたんだけどさ、普段から狂ってるけど酒入るとより狂うんだよね」

「本当に仲いいですね、店長と先輩。憧れます…」

「憧れるのはどうかと思うけど」

「…尾関先輩にこの間、子どもの好きは友達への好きと変わらないって言われたけど、本当にそうなのかもしれないです。私、ここで人生で初めてのバイトをして、人生で初めて歳上の知り合いが出来て、尾関先輩とは特に波長が合う気がして本当に一緒にいるのが楽しかったんです…。ずっとこんな時間の中にいられたらって思うくらい…。だから、きっとそれを恋と勘違いしちゃったんだと思います……」

「…うん。そうだと思うよ」

「…だから、出来ればまた前みたいに、友達みたいに遊んだりしてた時に戻りたくて…。今すぐには無理でも、先輩にもまた同じように思ってもらえる時が来たら、また前みたいに遊んでもらえないですか?」

「……私も倉田と話すのも遊んでるのも好きだったよ。歳が離れてるの忘れるくらい本当に合うって思ってたし、だから色々誘って遊んでたし。だから私も、何もなかったことにしてまた前みたいに楽しくやりたいって思ってる」

「…ありがとうございます」



 私はそう言って精一杯の笑顔を作った。



「あっ!もうぼちぼち時間じゃん!着替えないと!こんな早く来たのに遅刻とかアホらしいわ!」

「ほんとだ!急がないと!」



 慌ただしく着替えながら、心の中は意外にも落ち着いていた。



 さっき改めてはっきりと私を拒む言葉を口にしている尾関先輩と向かい合った時、そんな時でさえ私は、先輩に見つめられて幸せだと感じてしまった…。その時、覚悟を決めた。



 決して本心じゃなくても、先輩の求めるセリフを口にしてそれで先輩の側にいられるなら、私はどんな嘘もつき続ける。もうなんでもいい…。



 先に着替え終わって休憩室から急いで飛び出したくせに、まだもたついている私のために扉を押さえている先輩を見て、心からそう思った。




















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