画策

 翌朝、玲玖れく和治かずはるは事務所にいた。特に、玲玖は機嫌が悪そうだ。

江真えまの奴、いつまでもくだらねぇことにこだわって、一向にケテル教徒に手を出そうとしねぇんだ。犠牲を出さねぇとか、連中に罪はねぇとか、今はもう、そういう次元の話じゃねぇだろ」

 やはり彼女は、昨晩のことを根に持っていた。あの二人が結託したところで、江真が正義感に縛られていては目的を達成しづらいだろう。和治は眼鏡のレンズを拭きながら、ある提案を持ち掛ける。

「一度、江真に学習させてみてはいかがでしょう。犠牲を伴う覚悟がなければ、より多くの犠牲が出ることを……」

 確かに、あの女はまだ、取り返しのつかない事態を経験していない。

「具体的にどうするってんだ?」

 玲玖は訊ねた。和治は眼鏡を掛け、計画について説明する。

「ケテル教がテロを起こすように仕向けましょう。幸い、貴方から大金を借りている債務者は大勢います。そのうちの五人にはなるべく多くのケテル教徒を殺害していただき、他の五人にはケテル教徒になっていただきましょう」

「それで?」

「ケテル教徒になった五人には、他の教徒たちを焚き付けていただきます。教徒が殺されていく社会に抗うには、武力行使によって力を見せつける他ないと」

 確かに、事が重大になれば、江真は否が応でも力を行使せざるを得ないだろう。それでも玲玖の中には、疑念が残っている。

「それで江真は動くのか?」

 彼女は知っているのだ。江真という女が、いかに犠牲をもたらすことを厭う性分であるのか――彼女はそれを嫌というほど理解している。無論、和治もそれを重々承知している。

「そう焦らないでください。テロが発生すれば、多くの死者が出ます。そして、江真にはそれを阻止できる力があります。即ち、その力で一般市民を守らなかった江真を責め立てれば良いということです」

 正義感の強い江真とは対照的に、彼は犠牲を払うことを躊躇わない。そして裏社会の支配者に君臨している玲玖もまた、他者の命を踏みにじることになんの抵抗もない。

「なるほど……奴には良薬になりそうだな」

 そう呟いた彼女は、悪意に満ちた微笑みを浮かべていた。なお、和治の計画は、先述した事柄だけには留まらない。

「これはついでなのですが、メディアを買収出来ませんか?」

 何やら彼は、更なる企みをしている様子だ。無論、裏でこの街を牛耳っている玲玖にとって、それは容易いことである。相応の理由さえあれば、彼女はなんの躊躇もなく報道機関を操るだろう。

「ああ、元よりケテル教が広まったのも、アタシがメディアを買収したからだしな。しかしまたメディアを買収して、一体どうするんだ?」

 元より、玲玖は素性を隠しながら生きるくらいには慎重な性分だ。そんな彼女が大きな行動を起こすには、それに見合ったリターンが必要になる。和治は顔色一つ変えずに、真顔で説明を続ける。

「ネオの実在を公的に認めさせ、江真という人物についても広めます。そうなれば、テロに巻き込まれた者たちは江真が戦うことを望むでしょう。日本中が、江真に圧力をかけるのです」

 それが彼の考えだ。その計画に脱帽し、玲玖は数瞬ほど無言になった。それから彼女は煙草をくわえ、その先端に火を点けながら微笑む。

「ククク……アンタは本当に悪い奴だな、和治。自らの手は汚さず、悪魔のような提案をする。アンタがその気になれば、もっと高みを目指せるんじゃねぇか?」

 和治は参謀に留まる器ではない――少なくとも、玲玖の目にはそう映っている。彼が参謀を務めているのも、彼女に頭脳を買われているからだ。そんな彼がこの地位に留まっているのは、彼自身の意志でもある。

「その気は毛頭ありません。私は家畜……自由を代償に安寧を得る者ですから」

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