第28話
館山湾でアンカーを下ろし、セール・ベンディングを終えた日本丸は最初の寄港地、神戸に向けて出港した。
我々実習生にとっての処女航海である。
台風が通過した後だった。日本丸の船体は激しく軋み、凄まじい揺れが始まった。
ローリングにピッチング。帆走ではなく機走だったので波に突っ込んでいるのかパンチングまで起きていた。
私たちはデッキに出てみた。すると今まで見たこともない恐ろしい嵐の後のうねり、立っているのもやっとだった。
船尾のダブルフォイールのところで足を広げ、腕を組んで立っている老人がいた。
専任教官だった。
運輸省航海訓練所の船長経験者でもある。
私は恐る恐る尋ねた。
「教官。嵐はこんなに凄いものなんですか?」
「嵐? これが? ちょっと揺れているだけだよ」
学生時代から乗船するとすぐに船酔いしていた私は、恐怖のあまり酔わなくなった。
船酔いが治ったのである。
海上保安庁などは嵐の海での出動が多い。そのため船酔いに慣れるために最初は口に
私にはその必要がなくなったのである。
(これが普通? だったら実際のハワイまでのセイリングはどうなってしまうのだろう?)
実習生の半数以上がダウンしていた。
「もう吐く物がねえよ」
教官たちはそれを見て笑っていた。
「吐く時は風下で吐けよ。風上で吐くとゲロを浴びることになるからな。あはははは」
その日の夕食はカレーだった。ラッシングされた長椅子を
テーブルに置いたらカレーライスが飛んで行ってしまうからだ。
信じられないかもしれないが、
帆船はセイリング中は傾いているので、キャビンのスカッツル、丸窓は水族館のように海に沈んでいることが多い。
ボンクは船体に対して横並びのため、右舷と左舷、どちらに頭を向けて寝るのか注意しろと言われた。
徹底的に叩き込まれるのが整理、整頓、清潔、清掃、躾の5Sである。
雑巾はロープをほどいたスワブ。箒はブルーム、すべて英語だ。布切れはウエスと呼んだ。
私はブラスワーク、真鍮磨きが好きだった。
シップベルをピカピカに磨いた。
もちろん時計は各所にあるが、時刻は鐘で30分ごとに知らせる。
0時30分から1回。これを1点鐘という。
2時になると2点鐘。そして4時の8回で一巡するのだ。これは航海当直が4時間だからである。
ところが夕方の18時30分だけは本来ならば5点鐘であるが1点鐘しか鳴らさない。
そして19時30分が3点鐘。だが20時には8点鐘を鳴らして元に戻すのである。
これは夕暮れに船を沈めようとする海坊主に嘘の時間を教える「まじない」だと言われるが、大航海時代に暴動を画策していたことを未然に防ぐためだったとも聞いた。
そのうち船内生活にも慣れ、私はいつの間にか自然に航海士を目指すようになっていた。
あれほど嫌いだった船乗りにである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます