Day.29焦がされたような気持ちは失恋とは違うもので

「今までずっと逃げててごめんね」


 あたしはそう言って頭を下げた。

 顔を上げると泣きそうな顔のコウが無言でこちらを見ている。

 あたしのせいだ。


 ここはあたしの家とコウの家の中間地点にあるカフェだ。

 コウと気まずくなる前に何回かお茶をしたことがある。

 住宅街の中にある小さな駅の脇にある隠れ家的なカフェで、夏休み前の平日の午前中はとても空いている。

 大きな窓は開放的なのに、あたしとコウの間に置かれた空気はじんわりと重く湿気っていた。


「あのね、別れてほしいの」


 コウは泣きそうな顔のまま唇を噛んでいた。

 あたしはどんな顔をしているだろうか。

 少なくとも泣いてはいない。目はカピカピに乾いていて痛いくらいだ。


 永遠のように待ってたらコウがゆっくりと口を開いた。


「わかった。でも理由を聞かせてほしい」


 二人の間の汗をかいたアイスコーヒーとカフェオレが揺れた。

 汗がじわじわと夏の日差しに焼かれてグラスの下に溜まっていく。


「あたしね、誰のことも好きになったことないの。性的な意味でね。それで、そういうことが嫌いで、平たく言っちゃうと自分がそういう対象になるのが気持ち悪くて無理なの」


 一気に吐き出す。

 ちょっとでも戸惑ったら、きっと言い淀んでしまうから。


「それは、誰でも?」


「誰でも。コウが悪いんじゃないよ。あたしの、体質とか性質とかそういうものだから」


「それは、いつから?」


「……コウにキスされたときに気づいたの。わかってたら、たぶん付き合ってなかった」


 そう言い切るとコウは悲しい顔になった。

 なんかこれじゃあコウが原因みたいに聞こえてしまっただろうか。

 そうではないのに。


「最初にキスしたのが俺じゃなくてトッキーだったら平気だった?」


「誰であるかは関係ない。性的行為について考えただけであたしは気持ち悪いもの」


「そっか」


「自分勝手でごめん。わがままでごめん。あたしはあなたに謝ることしかできない」


「……最後にキスしたいって言ったら嫌?」


 泣きそうな笑顔でコウが言う。


「もちろん嫌だよ。でもそれを拒む権利があるのかわからない」


 そう言うとコウの目から涙が引っ込んだ。


「初。俺は初が好きだ。好きだからこそ自分を大事にしてほしいと思ってる。だから嫌ならちゃんと言ってほしいし、嫌なことを強制されそうになったらちゃんと断ってくれ」


「うん、ごめん。最後までありがと」


「そうやって、しれっと最後とか言ってくるとこね。俺まだ別れるって言ってねえし!」


 怒ったように、でもおどけて言うコウに申し訳なくて、今度はあたしが泣きそうだった。


「まあ仕方ねえよ。相性が悪かったんだ。初はもうちょっとお茶飲んでる? 俺は用事あるから先行くね。今までありがとう。さよなら」


 テーブルの上の氷が溶けて薄まったアイスコーヒーをぐいっと飲み干して、伝票を持ってコウはさっさと店から出て行った。

 あたしは振り返ることもできず、ただただぼんやりと太陽に焦がされるカフェオレを眺めていた。

 目からは結局なんにも流れてこなかった。

 

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