オレときみとあの子との閉じない三角関係

水谷なっぱ

Day.1でも多分何も言えなかった俺の方がずっと小さかった

 人と違うってのはそれなりにしんどくて、積もる思いはあれど吐き出し先はなく、ただただ膨らむばかりだ。


「はー、しんど」


 経済倫理の講義で、でっかい溜息を吐き散らしながら隣の席に座ったのは初だった。

 初と書いて「うい」と読む。

『初々しいの「うい」です!』

 なんて自己紹介を聞いたのはサークルの歓迎会の時だっけか。


「とっきー、教科書見せて」


「いいよ。後でノート写させて」


 初に教科書を放ってカバンを枕の形に整えると、


「ウケる、授業受ける気皆無じゃん」


 なんて初は笑って教科書をめくった。


「だって経済倫理ってせんせー半分は雑談だろ。こないだなんて一時間以上野球の話してたぞ」


「はいはい、おやすみ」


「終わったら起こしてね、初ちゃん」


「うざ」


 カバンに腕と頭を埋める。

 初がごちゃごちゃ言う奴じゃなくて良かった。

 本当は初の顔を見ていられなくて、初の話を聞きたくなくて寝たフリするだなんてバレなくて本当に良かった。




 なんて思ってたのにしっかりガッツリ90分熟睡こいてしまった。


「おはよ。はい、ノート」


「おお、あんがと」


 完全に寝ぼけているオレに初は笑いながらノートと貸してた教科書を寄越す。


「トッキー、この後用事ある?」


「ねえな」


 言ってから、しまったと思う。

 初が困ったような顔で目を泳がせていたから。

 やだな。こいつの話なんか聞きたくない。だって絶対アイツの話じゃんね。


「したら、昼奢るからちょっと聞いてもらえないかな」


「やだ」


「なんで」


「アイツとの惚気なんか聞きたくねえわ」


「……これから惚気ようって女が、こんな顔してると思う?」


 あまりにくらい声に初の顔を改めて眺める。

 目の下は真っ黒で、ほっぺたは真っ白で。短く跳ねた髪は心なしかボサボサしてる。


「女子力とは……」


「そんなもん、なかよぉ」


 しょげたような声にオレは諦めて立ち上がった。

 返された教科書と借りたノートをカバンに終い、さっさか歩き出す。


「ばーか、ばーか。お肉たっぷりペッパーライスにハンバーグな。コーラも」


「うん、ありがと」


 初の泣きそうな声がついてきた。





「オレがペッパーランチっつったけど、ここで良かった?」


 話を聞いてほしいってことだったのに、己の食欲のママ、やたらめったら騒がしいフードコートに来てしまった。


「いいよ。静かなとこだと話しづらい」


 オレがわしわしと肉を頬張る横で、初はちまちまとドーナツをかじる。


「で?」


「……コウのことなんだけど。あ、いや、ほんとに惚気じゃなくて……、ほんと、そうならどれだけマシか……」


 コウの名前が出た途端にオレが顔をしかめたのに気付いたんだろう。

 初はあたふたと言い訳めいたことを連ねる。


「あんね、付き合って三ヶ月じゃん? だからそろそろ向こうもいたしたいわけよ」


「聞きたくねえなあ、友達のそういう話」


 あーヤダヤダ。なんだって好きな人が誰かとセックスしたがる話なんか聞かされてんのオレ。


「ごめん。女友達だと愛されてるとか、どこまで進んだとかそういう話になっちゃって」


「なに、したくないの。まあ女の子だし、コウに落ち着くように言えばいいわけ?」


 死ぬほど言いたくねえけど。

 でも言えばこいつらのセックスが少しは先延ばしになるのか?

 そんなみみっちいことを考えんの嫌だなあ。


「ん、それだと先延ばしでしかないでしょ」


「どゆこと?」


 初が奥ゆかしくて、まだエッチなことはちょっと、とかそういう話ではなく?


「あのね、そのね、たぶん無理」


「どゆこと?」


 思わず同じことを言ってしまった。


「こないだキスされて、めちゃくちゃ気持ち悪くて」


 可哀想かよ。誰が? みんな。

 付き合いたての彼氏とキスしたら気持ち悪くなっちゃった初も、付き合いたての彼女にキスしたらキモがられたコウも、好きな人のキスがキモいと聞かされてるオレも、みんな。

 そのことを深く考えると胃が痛くなりそうなのでコーラで流しこむ。


「そんで……」


「初?」


「ごめ」


 気分悪いなって思ってたら、オレの何倍も気分悪そうな顔で初が口を抑えて黙りこんだ。


「ごめん、本当にごめん」


「いや、オレに謝んなくていいから」


「そんでね、そんで」


「無理に続けなくてもいいし」


「今トッキーに言えないと、もう誰にも言えない」


 初は冷たい水をちまちま飲んで深呼吸する。

 真っ青な顔の初になんか嫌な感じがした。

 いや、ずっと嫌ではあるんだけど。でもまた違う嫌な感じ。

 あんま見ていたくなくて、目の前の冷えきってカピカピになった鉄板を見る。


「コウの顔が真顔で」


「うん」


「また近づいてきて」


「うん」


「あたし、無理で」


「ん……」


「逃げちゃった」


「うん……」


 そこまで話し終えた時(実際はたぶんなんも始まってないのに)、初の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。

 猫みたいに真ん丸な目も、いつもは赤くてぴかぴかのほっぺたも、馬鹿なこと言って笑ってばっかの唇も、なんもかんもが涙でぐしゃぐしゃだ。

 いたたまれない気持ちと、やりきれない思いでオレまでぐしゃぐしゃになっちゃったんだけど。

 そんな恨みを込めて口を開く。


「なんでそれ、オレに言うの」


「だって」


 初は真っ赤な目をこちらに向けた。


「トッキー、あたしのことそういう目で見ないでしょ」


 頭をぶん殴られたような気がした。


「な、んで」


「勘、だけど。あたし、そういう……わかるかな。相手がこちらを性的に見てる目って。そういう目が苦手で、すんごい気持ち悪くなっちゃうの」


 初はハンカチで目を押さえた。


「トッキーとは一緒に授業受けるくらいしか付き合いないけど、そういう目で見られたことないから」


「……まあ、見ないんだけどさ」


 見ないんですけどね。

 女の子に興味がないから。

 初のことは友人としておもしれーと思うけど、チンコは立たない。

 オレが、まだ18年しか生きてないけど、そんな中で唯一恋を、たぶんそうだと思われるものをしたのがコウだった。

 男じゃねえか!!! つって、めちゃくちゃショックで意味わかんなくて、それこそ今の初みたいに混乱して……。

 そこまで思い返して、初の気持ちに気付いた。


「初、お前もしかしてノンケじゃねえな?」


「言い方!」


 やっと初がちょっと笑った。


「たぶん、アセクシュアルなんだと思う」


「あー……? セイテキコウイが好きくない?」


 コウへの気持ちが恋じゃねえかって気づいた時、オレはそりゃあ混乱した。

 なんとかそうじゃないって答えを探して調べまくった。

 ネットの海を彷徨い遠くの図書館に通い(遠くなのは誰にも知られたくなかったからだ)、そんな中で知った、いろんな性的嗜好。

 マジョリティとマイノリティ、それだけじゃなくいろいろあって全部を知っただなんてとても言えないけど。

 その時にAセクという言葉を見かけた。


「ざっくり過ぎるし、いろんな人がいるけど……興味がない人から嫌いな人まで。で、ほんとたぶんばっかになっちゃうんだけど、あたしは嫌いなんだと思う。そういう雰囲気になると吐きそう」


「まじか。コウかわいそ」


「ねー」


 ねーじゃねえわ。

 他人事のように遠くを見る初の目はどこも見てなくて、なぜかこっちが泣きそうだった。

 手だって震えるほど握りしめて、そこまでして言わなくたっていいじゃねえかよ。


「手」


「んえ」


「握りすぎ」


 カバンを漁るとガムがあったから白くなった初の手の横に置く。

 初は震えながらも拳を解いてガムを口に放り込んだ。


「ありがと……。これ、めちゃくちゃ辛いね」


「眠気覚ましだからな」


 言いながら立ち上がる。


「これ片してくる」


「あ、あたしも」


 それぞれの店にトレーを返して、何を言うでもなく並んでフードコートを出た。





 ぷらぷら歩いて海の方にきた。

 駅があって、その東に大学、西に海がある。

 大して綺麗じゃないし、工業地域どまんなかの海だから泳いだりとかもできない。

 でも時代もあってか、散歩できるように歩道が整備されていて、護岸工事もできる限り自然に回帰した?カタチでしているらしい。

 SDGs的ななんか。

 でもってその上をLGBTQのオレと初は歩いていた。

 なんだよそれ。なんもかんも頭文字とってかっこ良くてまとめて、その枠組みにくくられるオレらって何。


「LGBTQってさ、BLTに似てるよね」


「似てねえよ」


「それくらいありふれてて、名前なんかなけりゃよかったのにね」


「……そだな」


 ほんと、特別な名前なんていらなかった。

 特別な名前があるって、それだけで普通じゃないってことだから。


「カミングアウトって疲れるね」


「そりゃそうだ」


 オレはまだ誰にも言ってない。

 見てみろよ、この初の憔悴っぷり。

 いつも元気ありあまりの初が、水をやり忘れたオクラみたいにしなびてる。

 否定されるに決まってるのに、誰かにオレがゲイだなんて言いたくねえわ。

 それも思い込みかもしんねえのだけど、理解のある人もいるのだろうけど、それでもオレは怖かった。


「コウ、怒るかな」


「驚くとは思う」


「だよね」


 夕なずむ空と海を見ながら遊歩道を端から端まで歩いた。


「あたしがコウのこと泣かしたら、トッキー怒る?」


「怒んないよ」


 フラれたコウにつけ込めるから、むしろありがたいくらいだ。


「トッキーのそれは優しさ?」


「違う」


「だよね。だから頼っちゃう」


「初」


「うん」


「お前とコウの間のことまでは、俺どうこうできねえよ」


「うん。ありがと」


 この流れで礼はおかしいだろ。

 でもそっからは互いになんにも言わないで駅に向かった。

 改札をぬけて、ホームに降りる階段の前で手を振って別れる。

 夕陽に照らされるホームで、初はすんごく小さく見えた。

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