第44話 おじ戦士、入国経路を探る

 宿屋の主人から渡された鍵を使って客室に入ると、密閉されていた室内には、ややこもった空気が充満していた。

 ラルフは部屋の一番奥にある寝台の横に背負い袋を下ろすと、通りに面した窓を開けた。海からの心地よい潮風が部屋に入ってる。

 二階の高さから外を眺めると平屋の建物が視界を遮らない分、地上にいたときよりも港がよく見渡せた。


「ほんとによかったの? ボクまで一緒に泊まっちゃって……」


 背後からドニーが少し不安げな様子で声をかけてきた。

 彼はまだ、部屋に入ってすぐのところで所在無さげに佇んでいる。

 ラルフたち三人は下の酒場でたっぷりと飲み食いをした後、しばらくはのんびりとくつろいでいた。

 そしてドニーから更に身の上話を聞いているうちに、彼はこの街で完全にその日暮らしの生活をしており、今日の寝床すらどうしようか悩んでいる状態だということまで打ち明けた。そこでラルフは宿の主人と交渉し、ドニーを含めた三人で泊まれるよう少し広めの高い部屋を押さえてもらった。


「いいんですよ。こう見えてラルフはお金持ちなんです。元々、快適に過ごせる広い部屋を頼むつもりでしたから、気にすることはありません」


 室内の奥にある棚に武器と荷物を置いたヘレンが、ラルフの代わりに答えた。

 彼女はそのまま部屋の隅に置かれていた丸椅子に腰を下ろし、慣れた手つきで自分の鎧を外していく。


「でも、まだ会ったばかりなのにこんなに良くしてもらうのは……もちろん嬉しいんだけど、何て言うかその――」

「何か裏があるんじゃないかと疑うのが、まあ普通だよな」

「……そうだねぇ、そこまでハッキリ言ってくれるからあまり疑ってるわけじゃないけど、何か目的があるなら早めに言ってほしいな」


 ドニーは露骨に不信感を抱いている様子ではないが、完全に安心しきっているわけでもないらしく、油断のない表情でラルフを見返した。

 今日の寝床どころか食べる物にすら苦労している吟遊詩人にとって、この提案は魅力的なものだが、これを無償の施しだと思うほどドニーは世間ずれしていない。美味しい話には必ず裏があるものだ。その程度のことにすら気づけないお人よしが、異国の地で一人旅などできるはずもない。

 成り行き次第ではいつでも逃げられるようにと、ドニーは未だ部屋の入口近くを離れようとはしなかった。


「そうだな、俺も腹の探り合いは好きじゃない。単刀直入に言うと、俺が欲しいのはお前が持つ情報だ。最近、南国に興味があってな。色々と調べてるところなんだ」


 そう言うと、ラルフは帯刀していた長剣を鞘ごと外した。そのまま剣を寝台の上に投げ置いて、敵意が無いことを示す。


「それとお前を部屋に誘ったのは、できるだけ邪魔の入らない場所で話をしたかったってのが理由だ。下では話しづらい話題になるかもしれん」


 前置きのように語りながら、ラルフは腕を組んで壁にもたれかかった。

 いざ動こうとすると、完全に初動が遅れる姿勢だ。

 先ほど下の酒場で会った時からドニーは感じていたが、ラルフは言葉そのものよりも、そうした一挙手一投足で絶えず語りかけてくる。彼と話していると、実際に言葉を交わした回数以上に互いのことがよく分かる気がするのだ。だからこそドニーも、かなり早い段階でラルフのことを信用する気になった。

 そう思うと、今更この人たちを疑うことに馬鹿馬鹿しさを感じてしまう。ドニーは小さく息を吐くと、観念したかのように入口から離れて、空いている寝台の一つに飛び乗った。


「いいよ、別に隠すことなんて何も無いから。聞きたいことがあるのなら、ボクにわかることなら何でも話すよ」

「話が早くて助かる。では聞きたいんだが――ドニー、お前はさっき山を越えてこの国に来たと言ったが、それに間違いはないか?」

「うん? うん、間違いないよ。途中でひどい吹雪に遭ったし、魔物に襲われたりもしたけど、何とか山を越えることができたよ」

「山道はどんな感じだった? 山歩きの素人でも踏破出来そうなくらいに、しっかりと整備された道だったか?」

「そこまでではなかった。せいぜい獣道よりは少しマシなくらいの険しい道だから、素人には難しいんじゃないかな」


 ドニーは少し考えるように首を捻りながら、ラルフの質問に答えた。


「あー、でも大体一日ごとに休憩できる山小屋が建てられててね。吹雪がひどい日もそこに避難すればやり過ごせたから、かなり助かったよ」


 思い出したように付け加えるドニーに、ラルフは『なるほど』と相槌を打つ。

 誰でも自由に往来できるほどではないが、旅慣れた者なら何とか山越えできる程度には、山道も休憩施設も整えられているといったところだろうか。

 フーラから南国へ直接徒歩で移動できる道が出来たとあらば、本来ならこの国にとっての一大事件だ。それが事実なら、すでに国中で噂になっていてもおかしくはないのだが、そうした噂は全くと言っていいほど耳にしたことがなかった。

 フーラ側が機密情報として外部に漏れないよう規制しているのも勿論あるだろうが、結局のところ経路としての実用性がまだ確立できていないのだろう。

 ウルスベルグ山脈は過酷な極寒の環境に加え、危険な魔物も数多く生息している。人が踏み入ってはならない場所だというのが、長年この国での共通認識だった。南国へと繋がる道があるなどと聞いたところで、多くの者が与太話としか思わないに違いない。ラルフ自身、フーラに反乱の兆しがあるという前情報が無ければ、まともに受け取らなかったかもしれない。

 こうした認識を覆すには、もっと多くの旅人と証言が必要となりそうだ。


「しかし、どうも腑に落ちないな。そんな山道が出来たって話は、この国では全然聞かないんだが、南国ではかなり有名になっているのか?」

「そこそこ有名だよ。何年か前に、北の山から旅人がやってきて、どこかの氏族と接触したって噂がオアシスの街に流れてね。それ以来、山の向こう側にはイスマルクっていう豊かな国があることが知れ渡って、今ではちょっとした出稼ぎブームになってるんだ。遠い海の向こうにあると思ってた国が、実は歩いて行ける距離にあるのならすごいことだからね」

「ドニーも、その噂を信じてこの国へやってきた一人というわけですか?」


 それまで二人の話を静観していたヘレンが会話に混じってきた。

 彼女はすでにあらかた鎧を脱ぎ終えて、すっかりラフな格好になっていた。


「うん……ほんとは五人の仲間と山越えに挑戦したんだけど、山道で魔物に襲われたときにみんなとはぐれちゃってね。ボクはそのまま一人で山越えを続けて、どうにかフーラの街まで辿り着けた――けど、街でいくら待ってても仲間は誰もやってこないから、諦めて一人でこの国を旅することにしたんだ」

「そうだったのですね。無事だと良いのですが……もしかしたら他のお仲間は、来た道を引き返したのかもしれませんよ」


 普段ヘレンはこういう気休めをあまり口にするタイプではないのだが、ドニー相手だと素直にそれが出てしまう。見た目が子供に近い所為か、何となく優しく接したくなってしまうのだ。

 一方ラルフは、しばらく黙って考え込んでいた。これまで聞いた話の内容を頭の中で整理し、情報が足りていない部分を探していく。


「ふぅむ……実際のところ、フーラの街は今どんな感じなんだ。南国からの旅人で溢れかえっているような状態か?」

「全然。あそこには南国から来た人がもっと大勢いて賑わっているかと思ったんだけど、思ったよりそれらしき人を見かけなくてね――正直、がっかりしたよ」


 まだ来るのは早すぎたのかもしれないと、ドニーは首を横に振って嘆いた。


「酒場とかには、南国の戦士っぽい男たちもそれなりにいたけどさ。そういうタフな連中でないと、あの山道を越えるのはまだ難しいのかもしれないね」


 南国の戦士という単語が出てきたことで、ラルフとヘレンは顔を見合わせた。


「ラルフ、どう思いますか?」

「……戦力として迎え入れるとなると、誰でも良いというわけにはいかない。使えるやつから選んで、囲い込みを行っている段階と見るべきかな」


 南国の呪術師がフーラに流入している可能性があるという話を、ラルフは前にアカデミーを訪れた時にオズワルドから聞いていた。おそらく、その山道を使って有用な人材を直接フーラに招き入れているのだろう。

 フーラの太守は来たるべき時に備え、南国の人間とすでに手を結んでいると考えたほうがいい。ドニーが見かけた南国の戦士というのもその成果の一端だろう。いざと開戦となれば、南国からさらに増援が派遣される可能性もある。


「南国がフーラに兵力を送り込んでいるとなると、南国からの貿易船が停泊する此処プリマスも危険ではありませんか? もしプリマスが陥落することでもあれば、西からも王都へ攻め込まれることになりますよ」

「貿易船に偽装して兵力を送り込むか? さすがに南国がそこまで思い切ったことをするとは考えにくい――と言いたいところだが、このタイミングで西は情勢不安だからな。偶然で片づけるには少々出来過ぎてるか」

「ええ、西方面の貴族たちが対立しているような状況ですから。いざという時、プリマスに十分な数の兵が集まらない可能性は大いにあります。対応が遅れれば、万が一の事態もあり得なくはないかと……」


 ヘレンの予想はやや飛躍してはいるが、確かにあり得ない話ではない。

 フーラの太守が南国とどのような密約を交わしているのかは定かではないが、反乱を企てるからには入念に準備を進めていると考えるべきだ。

 プリマスを攻め落とすだけの兵力を海路で送り込むことが果たして現実的に可能かどうかはさておき、警戒すべき事案には違いない。


「目下気になるのは、プリマスでそうした工作活動がどの程度まで進められているかだな。見えないところでは、かなり進んでしまっているのかもしれない。まずはその辺りから探ってみるとするか……」


 ラルフの声は、後半へいくにつれて独り言を呟くように小さくなっていった。

 数拍の沈黙の後、ドニーのほうを振り向く。


「ドニー、一つ相談があるんだが」

「なに? なんだか話がきな臭くなってきたみたいだから、あんまり深入りしたくないんだけど」

「正直だな。そういう危険に対して敏感なところが、実にデザートラーカーらしくて好感が持てる」

「いちいち厄介ごとに巻き込まれてたら、命がいくつあっても足りないからね」


 ドニーはそう言って肩をすくめつつも、ラルフに話の続きを促した。


「しばらくの間、俺に雇われる気はないか? 報酬は金貨三百枚――南国行きの船賃をそっくり支払おう」


 予想外の『相談』内容に、ドニーは思わず目を剥いた。

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