第43話 小さな旅人、懐柔される
小さな吟遊詩人の頭から生えている猫のような耳を、ヘレンは食い入るように見つめた。よく見ると、獣耳はピクピクと小刻みに動いており、触れなくても飾り物の類ではないことが伝わってくる。
「知らないのも無理はない。砂漠地帯が無いこの国に
「うん、そういうわけで――お姉さん、だますような真似してゴメンね?」
デザートラーカーは愛嬌のある笑みを浮かべながら許しを請うた。
そして、その特徴的な獣耳がそれ以上周囲の視線に触れないように、再び
ヘレンもそれでようやく衝撃から立ち直り、視線を外すことができた。
「初めて見ました……獣人なのですか?」
「獣人ではない……はずだよな? たしかデザートラーカーは、獣人族というよりは妖精族に近いと聞いた覚えがあるが――」
「よくわかんない。故郷の砂漠で暮らしていた頃は、そういうジンシュとかシュゾクとか気にしたこともなかったし」
小さな吟遊詩人は、そう言って肩をすくめた。
「この国の人たちは、そういうのをやたらと気にするよね。中にはすっごく嫌な目で見てくる人もいるから、この耳はなるべく隠すようにしてるんだ」
ヘレンは言葉を失った。
彼の声には怒りも悲しみも込められていなかった。もはや諦め、慣れきってしまっている。そんな諦観すら感じさせる声だった。
見た目は子供にしか見えない、ある種の愛嬌すら感じさせるデザートラーカーという種族の口から、そんな言葉が発せられるとは思いもしなかった。
しかし、よく考えてみればそれは当たり前のことだ。
この国には、人間以外の種族はドワーフ族くらいしか定住していない。シャロンのような巨人族との混血種は稀に存在するが、巨大な体躯以外に人間との外見上の違いはあまり無いため、例外的に『背が高い人間』くらいに扱われている。
逆に言えば、それ以外の種族に対して人間やドワーフと同じように接しようとする意識が、この国の人々には無い。歯に着せぬ言い方をすれば、人間と見た目がかけ離れている種族は差別されるのだ。
しかし、隣に座るラルフはというと先ほどからそんな素振りを全く見せない。
彼はこの小さな異種族を見下しもせず、腫物扱いもせずに、最初から対等な存在として接しているようだった。
「お前、名前はなんて言うんだ?」
「ドニー。本当はカルセドニーって名前なんだけど、呼びにくいって言われてからはそう名乗ってる」
「俺はラルフだ。そっちの連れはヘレン。差し支えなければ、俺もドニーと呼ばせてもらうが良いか?」
「いいよ、それで」
自然な流れで互いの名前を伝え合い、次いでヘレンのことも紹介していく。
ラルフの場馴れした姿を頼もしく思いつつも、彼がどこか遠い世界に住む人のような気がして、微かな胸の痛みを感じた。それを表には出さないように振舞いながら、ドニーと名乗るデザートラーカーに対し、改めて自己紹介を済ませた。
「先ほどからラルフは彼らのことをよく知っているような口ぶりですから、以前にも会ったことがあるのですよね?」
「前に、冒険者のデザートラーカーと組んだことがある。そのときに色々と教えてもらったんだ。とにかく危険に対して敏感なやつでな、わずかな気配や足音さえ聞き逃さない、頼りになる
「その方はもう冒険者はしていないのですか?」
「さてな、気づいたらいつの間にか王都からいなくなってた。もう随分と昔の話だ」
ラルフは少し遠い目をしながら、
「この国でボクたちが仕事をしようとすると、大道芸人か、吟遊詩人か、冒険者の三つくらいしか出来ることがないからねぇ」
「そうなのですか? たしかに、吟遊詩人としては見事な腕前でしたが……」
「デザートラーカーは人間と比べ、ひどく力が弱い。何せこのナリだ、人間の大人に混じって仕事をすること自体が難しい。こいつだって同族の中では立派な大人……ひょっとすると俺と同じぐらいの歳だったりしないか?」
「できれば年齢は聞かないでほしいなぁ。そういうのはハッキリ言わないほうが、何かと都合がいいんだよ」
「……見かけによらず、随分と強かなのですね。おかげですっかり騙されましたよ」
「ゴメンゴメン、でもそれがお互いのためなんだよ。見たこともないシュゾクが近づいてきたら、お姉さんはきっと警戒したでしょ?」
「それを言われると、返す言葉もありませんが……」
自覚があるだけに、ヘレンは少し表情を曇らせた。
先ほどの流れで正体を明かされなければ、自分もごく自然とドニーを差別していたかもしれない。こうして仲良くなって話しているからこそ、余計に罪悪感に苛まれる。胸の痛みが先ほどより強く感じられた。
それにしてもと思う。デザートラーカーは頭巾などでその特徴的な耳さえ隠してしまえば、人間の子供のように見えなくもない。それで種族間の差別問題は一応解決できるが、この国では成人前の子供に大きな仕事は任せないため、子供のフリをしていると今度はロクな仕事にありつけなくなる――ままならないものだ。
「その様子だと、あまり稼ぎには恵まれていないようだな」
「うん、そうなんだよねぇ……子供のふりをしていると吟遊詩人として未熟者だと思われるみたいで、歌を買ってくれる人があまりいなくて」
「先ほどもそんな感じでしたね……でも、なぜプリマスにいるのですか? ここも大きな街ではありますが、やはり王都のほうが稼げる額も多いと思いますけれど」
「王都は吟遊詩人が常に飽和状態だからな。稼ぎが良くても、その分縄張り争いが厳しいんだ」
にべもない事実を告げるラルフに、ドニーは苦笑しながらも頷いて同意する。
王都は、場末の酒場にすら専属の吟遊詩人が何名もいるような状態であり、新人が入り込める余地はほとんどない。ましてや余所者ともなると見つかり次第、露骨な嫌がらせを受けることがある。
商業都市であり人の入れ替わりが激しいプリマスのほうが、滞在する吟遊詩人も流動的になるため、まだ受け入れられる可能性はあるのだろう。
「ほんとはさ、仲間と一緒に大道芸をするつもりでこの国に来たんだよ。でも途中でみんなとはぐれちゃって……仕方ないから一人でもできる楽器で稼ぎながら、どうにかこの街まで辿り着いたんだ」
その説明を聞いて、ヘレンはどこか違和感を感じた。
しかし何がおかしいのか、はっきりとした言葉にはできなかった。そんな心中に気づいた様子もなく、ドニーは話を続けた。
「ボクはもう、故郷に帰りたい。そのために何とかして南国行きの船に乗りたいんだ。けど、なかなかお金が貯まらなくてねぇ……」
「南国行きの船賃なんて、そういえば相場を気にしたこともなかったな。一体どれくらい必要なんだ?」
「だいたいどこも金貨で三百枚。一番安いボロ船でも、二百枚だってさ」
「それは……こう言ってはなんですが、吟遊詩人だけで稼ぐにはなかなか厳しい額なのでは?」
金貨にして三百枚は、王都での一年分の生活費に匹敵する。
よほど高名な歌い手ならともかく、一介の吟遊詩人の稼ぎで蓄えられるような金額ではない。
「しかし、この国に渡る時だって同じくらいの船賃を支払ったんだろ? 南国ではどうやって稼いでたんだ?」
「行きはタダだよ。船を使ってないからね、歩いて来たんだ」
「歩いて……って、どうやって? いくらデザートラーカーとはいえ、まさか東の果ての大砂漠を越えてきたなんて言わないよな?」
「まさか! あんなところ縦断したら途中で焼け死んじゃうよ。普通にまっすぐ山を越えてきただけだよ」
そのやり取りを聞いて、ヘレンはようやく先ほどの違和感の正体に気づいた。
プリマスは、南国からこの国へ渡ってきた際の最初の玄関口だ。南国から来た旅人なら、苦労した末にどうにか辿り着くような場所ではない。このデザートラーカーは、一体どこから入国してきたというのか……。
思わずラルフと顔を見合わせる。彼も事の重大さに気づいているようだったが、不信感を悟られないように努めて平静を装っていた。
二人の視線が交わる。互いに目だけで頷き合い、ドニーからもっと詳しく話を聞くことにした。
「山って、ウルスベルグ山脈――フーラの南にある山岳地帯のことですよね? それこそ無茶な話ですよ。道なき道を行くことには変わりありませんし、雪が少ない夏場でも簡単に山越えができるとは思えません」
「たしかに寒くて大変だったけど、ちゃんと通れる道があったよ? この国の偉い人が、南国との行き来のために山道を作ってくれたんでしょ?」
その無邪気な問いかけが意味する重大な事実に気づき、ヘレンは目を見開いた。困惑のあまり再びラルフのほうを窺うと、彼もまた先ほどより険しい目をしている。
ラルフはそれを決して表情には出さず、ドニーを警戒させないようこれまで通りの声色で彼に語りかけた。
「そうか、大変な旅だったんだな……せっかくだから飲み物だけでなく、この卓で飯も食っていけよ。面白い話を聞かせてくれた礼だ、食事くらいは奢るぞ?」
「ほんとに? それは嬉しいなぁ! 実は腹ペコだったんだよね。さっきからその焼き魚おいしそうだなと思ってたんだけど、食べてもいい?」
「ああ、いいとも――この黒スープも、全部飲んでしまって構わないからな」
「ラルフ、そういう地味なイタズラはやめてください」
そのスープを飲むと口が真っ黒になることを伝えたのだが、ドニーはヘレンの忠告を気にすることなく、器にかぶりつくようにスープを飲みはじめた。よほどお腹が空いていたのだろうかと、ヘレンはその様子を愛しむように見つめた。
同時に、これは言わば懐柔だということも理解している。ラルフが何を考えているのかは明白だ。この小さな旅人が抱えている情報は極めて重要であり、もっと聞き出さなければならない。
ちらりとラルフに視線を送ると、彼もまたこちらに視線を送ってきた。
互いに意図は理解し合っている。
抜かりはないことを伝えるために、ヘレンは小さく頷いた。
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