第41話 おじ戦士、寄り道をする
水都プリマス。王都から徒歩にしてわずか三日ほどの距離に位置するこの港湾都市は、王都に次ぐ人口を有する王国第二の都市でもある。
王都は王国領土の中でも、すべての街道が交わるところに位置する。これはかねてより北方帝国からの侵略行動を意識して、国中から人と物を集めやすい十字路に首都が制定されたためである。
一方、農業の主生産地である穀倉地帯は王国の西部を中心として広がっている。この農産地からもたらされる生産物を集約するのに最も適した土地が此処、水都プリマスだった。大陸南側への開けた港湾を持つこともあり、現在では南国との貿易もこの都市が一手に担っている。プリマスは国内随一の商業都市として、その地位を不動のものとしていた。
そんなプリマスの広い湾内には、外洋航海が可能な大型船が停泊できるほどの大規模な港が設けられており、他国の商船から地元の漁船まで、大小様々な船が絶え間なく行き交っている。
「ほらラルフ、見てください。大きな魚が水揚げされていますよ!」
人の背丈ほどもある大きさの魚が吊り下げられ、今まさに漁船から港へと運ばれているところに遭遇した。ヘレンはその巨大な魚を指差しながら、いつになくはしゃいだ様子で後ろを歩くラルフを急かした。
プリマスに着いたのはつい先ほどだが、街に着いた時からヘレンはずっとこんな調子だった。普段は冷静であまり感情を表に出さないヘレンが、これほど楽しげな姿を見せてくれるとは思いもしなかった。よほど港町が珍しいのだろうか。
「ヘレンは、プリマスにはあまり来たことがなかったか?」
「ありますよ。でも、大抵は仕事で通過するだけでしたから。ただ羽を伸ばすためだけに訪れたのは初めてです」
「ああ、なるほどな……」
そういう見方もあるわけかと、納得したようにラルフは頷いた。
「言われてみれば、仕事以外でこの街に来たのは俺も初めてかもしれない。特に用事もないのに他の街に行くなんて、考えたこともなかったな」
「それだけ忙しく生きてきたということです。せっかく二人で訪れた場所なのですから、今日のことはしっかり覚えておいてくださいね」
やけにヘレンの機嫌が良い理由が、ラルフもようやく分かった気がした。
二人で同じ時を過ごし、同じものを見る。ただそれだけで嬉しいのだ。
例えば、ラルフはあの大きな魚が何という名前なのかも知らない。プリマスには数え切れないほど何度も訪れているので、当然街中で食事をしたときに食べたことはあるはずだが、魚の種類などいちいち気にしたこともなかった。
ヘレンに言われたから、初めてあの魚にも興味を持った。誰かと景色を共有するという感覚を、ラルフは久しく忘れていた。それはとても懐かしく――また心地よい感覚でもあった。きっとこれから先、目にする景色のほとんどは、彼女と一緒に見ることになるのだろう。
「……最近、道理で居心地がいいわけだ」
「? 何か言いましたか?」
「いや、何でもない――ちょうどいい頃合いだし、どこかで昼飯にしよう。ああいう魚を食べたかったんだろ?」
「そうですね。できれば鎧も脱いでしまいたいので、そのまま泊まれる宿がいいのですが……」
そう言って視線を巡らせるも、この付近に宿屋らしき建物は見当たらない。
船が停泊している港沿いの通りは、船の積み荷を置くための倉庫や、地元民向けと思わしき屋台や小さな飲食店が多く、宿屋自体があまり無さそうだった。
いっそ、街の中心部にある大通りに戻ったほうが探しやすいかもしれない。ヘレンがそう思いはじめたとき、ラルフが一軒の店を見つけて指差した。
「あそこの酒場は、宿屋を兼ねていたはずだ。前に来たときに泊まった覚えがある」
言われたほうに目を向けると、たしかに一軒の宿屋が見つかった。『渦まき海流亭』という看板が入口のすぐ上に掲げられている。
海からの湿気対策として、風通しを良くするために建物には窓が多く取り付けられていた。一階の酒場の窓からは、客たちの陽気な声が漏れ聞こえてくる。
「活気がある店ですね、あそこにしましょうか」
ヘレンは笑顔で頷き、ラルフの意見に賛成した。
ところが宿屋に向かう途中で、その表情をわずかに曇らせた。
宿屋の前にいる奇妙な人影に気づいたからだ。
背が低いのでおそらく子供だろうが、店の前に置かれている樽の上に座って、港に入っては出ていく船を眺めている。それだけなら、この宿の下働きが表でサボっているのかと思うところだが、旅人が身に着けるようなしっかりとした
一瞬、宿の前で危ない呼び込みをしている子供ではないかと疑ったが、ヘレンはすぐさまその考えを打ち消した。
プリマスの街は稼ぎの良い仕事が多いため、地方の農村や漁村から若い働き手がやってくることはよくある。王都と比べれば規律も緩いため、中には売春に手を染める者もいるかもしれないが、さすがに真昼間からこんな目立つ場所での客引きは許されていないはずだ。
いずれにせよ、自分が関わるようなことでもない。わざわざラルフに尋ねても、変な雰囲気になりそうで嫌だったので、ヘレンは気にしないことに決めた。
※ ※ ※
昼時ということもあり、店内はかなり混んでいたが、奥のほうに四人ほどが座れるテーブルがまるまる一つ空いていた。ラルフたちはその席に腰を下ろすと、忙しそうに店内を動き回って飲み物を運んでいる給仕のうち一人に声をかけた。
「ご注文うかがいますねー!」
隣のテーブルに飲み物を運んでいた若い給仕の娘がそれに気づき、店内の喧騒に負けない大きな声で注文を聞いてきた。
「表の通りでデカい魚が揚がってるのを見たんだが、それ食べられるか?」
「ああ、
「そうか、じゃあその魚を煮るか焼くかしたのを何品か適当に持ってきてくれ。あと、
ラルフは食事と飲み物を注文し終えると、数枚の金貨を取り出してテーブルの上に置いた。給仕がそれを掴み取ってポケットに納めているところで、ヘレンが一言注文を付け加えた。
「葡萄酒は白でお願いね」
娘はそれに明るい声で返事をすると、カウンターのほうに歩み去った。
ラルフは最後の注文に興味を惹かれ、ヘレンにその意味について尋ねた。
「魚料理には、赤よりも白葡萄酒のほうが合うんだそうです。王都では魚を食べる機会があまり無いので、前々から試してみたかったんですよね」
「そうなのか……?」
ほとんど麦酒しか飲まないラルフにとっては未知の世界の話だった。
料理によって酒の合う合わないがあるなど、気にしたことがない。そんな難しいことを考えずとも、麦酒ならいつ飲んでも美味いだろうにと思ってしまう。
「あなたも、たまには他のお酒も嗜んでみてください。麦酒ばかり飲んでいると、馬鹿になりますよ?」
「……酒場でそういうこと言うのはやめろよ、周りに聞こえるぞ」
そんなやり取りを交わしながらしばらく待っていると、程なく頼んだ料理と飲み物が運ばれてきた。
柵状の切り身になった焼き魚や、ブツ切りの身と野菜を煮込んだもの、それに謎の真っ黒なスープなど、王都ではなかなかお目にかかれない変わり種の料理が次々とテーブルに並べられていく。
待ちかねたように、二人とも早速料理に手をつけた。
「これ美味しいですね。魚の身なのに、まるで獣肉みたいな力強い味わいです」
魚の切り身にたっぷりの黒胡椒をまぶして焼いた料理が、ヘレンは特に気に入った様子だった。ラルフも一切れ食べてみたが、切り身にはあらかじめ下味がつけてあるようで、それが焼いた際の香ばしさをさらに引き立てていた。
まさしく、酒のツマミにはもってこいといった味付けだ。
「ふーむ、さすがにデカい魚だけあって肉厚で食べ応えがあるな。胡椒の辛さともよく合ってる……しかしこれ、中心のほうがまだ少し生焼けじゃないか?」
「これくらいが美味しいんですよ。ちゃんと温かいし、火は通ってます」
「そうか? まあ、変な味もしないし大丈夫だろう」
大事なのは、食べてはいけないとはっきり分かるモノを食べないことだ。
明らかに傷んでいて味がおかしかったり、毒があると分かっている食物さえ避ければ、あとは割と何を食べても平気なくらいには腹も鍛えている。
「この煮込み料理も素朴だが美味しいな。こいつは酒よりも、パンと一緒に食べたくなる味だ」
「ええ、これも好きな味です。問題はやはり……」
「……この黒いスープだな」
いまだ手つかずのまま放置されている、謎の真っ黒なスープ。
同じ魚を使った料理を注文したのだから、これも魚料理の一種なのだろうが、一体何が入っているのか、まるで見当もつかない。
「……匂いは悪くないぞ。香辛料が効いていていい香りだ」
「そうですか。では、ぜひ味のほうも教えてください」
お先にどうぞと言わんばかりに、ヘレンはスープの入った器をラルフのほうに押しやった。目の前にやってきた黒いスープを、ラルフは無感情に見つめた。
これは食べてはいけない。そういう見た目をしている。本能的にそう思った。
「いやいや、店で出された料理なんだ。こういうのは割と平気なものさ――」
自分にそう言い聞かせるように呟くと、ラルフは手にした匙でスープを一口掬って、ゆっくりと口に運んだ。
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