第30話 おじ戦士、兵士に扮する

 出発の日、当日。

 この日は朝早くに、騎士団の詰所を訪れた。

 今回の作戦の目的地である吸血鬼の根城――バーンライト子爵の領地へと向かうためだ。

 詰所の中で、周辺警備の兵士に成りすますための防具を着込んでいく。普段冒険で使っている部分鎧と違い、鎖かたびらの上から上衣を羽織っただけの簡素な鎧だ。吸血鬼を相手にするのに防御力が十分であるとは言えないが、敵はその気になれば完全鎧の騎士をやすやすと殺害できる力を持っているのだ。

 鎧の善し悪しなど、純粋な力の差の前では誤差の範疇だろう。

 鎧を着込んだら、腰に剣を帯び、手には兵士用の短槍を持つ。

 剣のほうは自前の鋼鉄の剣だ。以前に鍛冶屋で研ぎ直してもらった、俺が持つ剣の中で一番の業物を持ってきた。

 やはり、この剣がいい。この剣を腰に帯びるだけで自然と身が引き締まる。


「準備は整ったか?」


 俺が準備を終えた頃、その様子をそばで見ていた騎士隊長アルベルトが声をかけてきた。

 見ての通り、装備の準備は今ちょうど整ったところだ。

 気持ちのほうは、もうとっくに準備を終えている。


「出発しよう」


 俺はアルベルトに短く答えた。互いに静かに頷き合うと、俺たちは並んで騎士団の詰所を出た。


 ※ ※ ※


 バーンライト子爵の領地は、王都から南へ徒歩で二日ほどの場所にある。

 そこに向かって、騎士が五人と、兵士が十人、合わせて十五人の周辺警備隊を称して、俺たちは街道を南下していった。

 その辺りはさほど豊かな土地ではないが、川や湿地帯に囲まれているため、それらが天然の要害として機能する場所が多い。攻めにくく守りやすい土地柄であり、古くは王都における南の防衛の要という役割を担っていた。

 しかし、南を完全に平定した後はその重要性も薄れたらしく、今ではバーンライト家のように王家と直接関りがない貴族が治める、さびれた土地となっている。

 それが今まさに災いの源となった。

 フーラの太守の息がかかった南方面の貴族が一斉に蜂起すれば、この土地がまず戦場の最前線となる。王都を守る側にとって、この土地の主が敵であるか味方であるかは致命的な差となる。

 なんとしてでも味方に引き入れる、それが無理なら首をすげ替えてしまう必要があるのだ。


「子爵は、正午から面会に応じてくれるそうだ」


 使者からの報告を受けたアルベルトが、俺に状況を説明してくれた。

 今は、バーンライト子爵の館から一番近い村の端に陣を張り、館を訪れるための最後の準備を進めているところだった。

 この村は子爵の館からほど近いため、ここからでも館の様子はよく見える。

 館といっても、それはほとんど小さな城のような建物だった。南の守りの要となる土地にあるわけだから、戦時には要塞としても機能するように設計されているのだろう。


「これらの荷物の持ち込みは出来そうか?」


 俺が頼んでおいた装備品は、アルベルトがすべて用意してくれていた。

 クロスボウ、短剣、黒ニス、魔法の盾に関しては希望通り。

 魔法の照明は、以前にミアが作ってくれたものと同じく、先端に魔法の光が灯された松明が用意された。今は先端を黒い布で覆っているため普通の松明にしか見えないが、その布を取り除けば白く輝き出すだろう。

 ポーション類も、基本的な回復用のポーションに加え、継続毒と麻痺毒の各種解毒用ポーション、それに疾病解除のポーションまで揃えてくれている。

 今回の戦いにおいて、これで備えが十分かどうかは分からないが、少なくとも思いつく限りの準備は整った。


「ああ、面会に赴く騎士は私だけだが、兵士は四人まで同行を許された。兵士の荷物として分散して運び込めば、これらすべてを持ち込むことは可能だろう」


 アルベルトはそう言いながら、俺のそばまで近寄ってくる。

 そして装備を確認するふりをして、俺のすぐ隣まで顔を寄せ、小声で話しかけてきた。


「子爵の父親も、昨夜から城の外に出ていないことを確認済みだ。今なら確実に城内にいる」

「周辺警備隊の訪問があることは父親も当然聞いているだろうに、随分と余裕の態度だな」

「騎士など何人来ようと物の数ではないとでも思っているのだろう――それよりラルフ、気付いているか?」

「今朝ごろからだな、俺たちを遠巻きに眺めるような妙な気配は感じている」

「私は、昨晩からすでに感じている。尾行や追跡の類ではないようだが……」


 子爵側が放った間者なのだろうか?

 そうした相手への対応は斥候の専門分野であるため、戦士一辺倒である俺には正直よく分からなかった。ただ、何かしらの悪意のようなものが向けられている感じは、不思議としなかった。


「さっそく不測の事態というわけか……どうする、実行の日を遅らせるか?」

「いや、すでに使者まで出して日取りを決めている以上、子爵に不信感を抱かせるのはマズい。このまま続行しよう」


 アルベルトはこの異物感を敢えて無視することに決めたようだ。

 戦い以外のことは、すべてアルベルトに対処を委ねると約束したため、俺としてもその判断に異を唱えるつもりはない。彼の決断に、黙って頷いた。


 ※ ※ ※


 子爵との面会は、滞りなく進んだ。

 この面会は表向きには、周辺警備隊が子爵の領地に立ち入り、領地内で様々な調査を行うことへの許可を得るためのものである。


「……承知しました、アルベルト殿。バーンライト家としましては、今回の調査に全面的に協力することを約束します」


 バーンライト子爵はそう言うと、アルベルトに対して深く頷いた。

 俺はアルベルトの護衛の兵士の一人として、子爵との面会の場で部屋の隅に控えていた。

 そこで面会の様子はずっと窺っていたのだが、周辺警備隊による調査の件に関しては、まあ普通に交渉は上手くいった。

 ただ、本題はこれからだ。


「ありがとうございます。ところでバーンライト卿、実は此度はある筋の方から親書を預かっておりまして……」

「はぁ……親書、ですか?」

「はい、是非とも卿にお伝えしたいことがあるとのことで、内密にお預かりしてきた次第です」


 アルベルトは親書を両手で捧げるように持って、子爵に対して首を垂れる。

 バーンライト卿は、すぐそばに控えていた配下の騎士に対して、それを受け取るように命じる。

 騎士を介して受け取った親書の封を切ると、彼はその中身に目を走らせた。

 やがて彼の目は、信じられないものを目の当たりにしたかのように大きく見開かれた。


 親書の内容については、俺も事前に聞いていた。内容は大きく三つある。

 一つ、バーンライト子爵はイスマルク王家のうち然るべき者と婚姻を結び、王家に連なる宮廷貫族となること。

 二つ、子爵の父親が人身取引、および生贄を用いた外法に手を染めたことは明々白々であり、重罪につきこの場にて断罪に処すこと。

 三つ、子爵の父親が冒した罪に対し、子爵本人は共犯者であるとの認識は王家にはなく、そのすべてを不問とすること。

 これらが、親書に書かれている大まかな内容だ。

 あとは、それらの内容をすべて受け入れるか否かを、この場でアルベルトに返答するように締めくくられているはずだ。


「……少し、考える時間をくれませんか」

「いいえ、今この場で決めてください。この提案を即座に拒絶せずに悩んでいるということは、あなたの中ではもう結論が出ているはずです。何が王道であり、何が邪道であるか、あなたは正しく理解できている側の人間です」


 子爵に考える暇を与えることなく、アルベルトは次々に言葉を紡いでいく。

 巧みな話術だ。

 とはいえ、話している内容は別に難しいことではない。いかに子爵が高潔な人物であり、我々と志を同じくしているかという刷り込みを行っているだけだ。今この場において、子爵の本心などどうでもいい。彼がアルベルトの言っていることを、一時的にでも信じ込んでくれさえすればそれで良いのだ。

 往々にして事の成り行きに流されやすい子爵の性格を考慮した上で、このやり方が一番手っ取り早く、また勝算も高いとアルベルトは踏んでいるのだろう。

 そしてアルベルトの目論見通り、バーンライト子爵は折れた。


「……アルベルト殿、これらの提案を受諾いたします」


 そう言って、力なくうなだれるように頭を下げた。

 バーンライト子爵は面会が始まった当初からずっと疲れたような顔をしていたが、心労のためか、この一瞬で先ほどまでよりも更にやつれたようにさえ見える。

 子爵は見た目からしてまだ若い。年齢は精々、二十前後だろう。

 この日のために入念に準備を重ねてきた老獪なアルベルトに対して、何の準備もせずに政治的な駆け引きを挑むことなど、そもそも不可能な話なのだ。


「ただし条件があります。必ず今日この場で決着をつけてください。父がいる限り、私は逆らうことができません」

「承知しております。ご心配には及びません、どうかすべて我らにお任せください」


 そのアルベルトの言葉をきっかけに、俺を含む兵士たちは一斉に動きはじめた。

 各々の荷物を紐解いてゆき、吸血鬼との戦いに必要な装備がその場に広げられていく。それらの装備品を、俺は兵士たちの手を借りながら一つ一つ全身に身につけていく。

 剣に黒ニスを塗り、一旦鞘へと納める。

 腰のポーチにはポーションと予備の黒ニスを入れ、ベルトには魔法の松明を差し込んでおく。

 魔法の盾の裏側には、銀の短剣を仕込み、盾ごと背に背負う。

 最後にクロスボウを巻き上げ、銀の太矢をいつでも装填できる状態にしておく。

 その様子を見ていた子爵にも、さすがに俺がただの兵士ではなく、今回のために連れてきた刺客であることは伝わったようだった。


「父は、地下にある礼拝堂にこもっております。もうほとんどそこから外へ出ることはありません……」


 彼を礼拝堂へ案内せよと、子爵は配下の近衛騎士に命じた。


「かしこまりました」


 子爵の命を受けた近衛騎士は恭しく頭を下げ、俺の前までやってくると、後についてくるように言って先導をはじめた。

 子爵とアルベルトたちをその場に残し、近衛騎士と俺だけが城の廊下を奥へと進んでいく。


「――ラルフ殿、ヤツは間違いなく礼拝堂に潜んでおります」


 地下へと通じる階段に差しかかったところで、先導する近衛騎士が小声で話しかけてきた。

 突然何を言い出すのかと驚いたが、それを表情には出さず、無言のまま彼に視線を向ける。


「礼拝堂の扉は、すでに鍵が開けてあります。ただ、中の様子までは伺えなかったため、内部が今どうなっているかは私にも分かりません。おそらくは、礼拝堂とは思えないおぞましき場所へと変わり果てていることでしょう」

「……アルベルトが言っていた密偵とは、あなたのことだったのか。まさか近衛騎士の立場だったとはな」

「相応に信用がある地位でなければ、真に重要な情報など得られません。子爵の信用を得るため、私からは外部との接触も一切行わないように命じられております。それ故、此度の件はアルベルト様からの連絡があった時には、すでに取り返しのつかないところまで進んでしまいましたが……」


 近衛騎士はその語りこそ事務的な口調であったが、その冷静さの中にも苦悩の色が滲み出ていた。

 やがて地下へと続く階段を下り終え、目の前には両開きの扉が現れた。

 扉の前で、俺は左手のクロスボウに太矢を装填し、右手には魔法の光を放つ松明を持ち、室内に突入する準備を整えた。


「すまないが、決着がつくまで扉の外で待っていてくれるか? 俺が敗けそうだったら、すぐに逃げてくれていい」

「そのようなことは起きぬと信じております――どうか、ご武運を」


 密偵の近衛騎士は俺の言葉に頷くと、扉の前から離れ、下ってきた階段の一段目辺りまで後退した。

 それを確認すると、俺は礼拝堂の扉を蹴り開けた。

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