第20話 おじ戦士、昔ばなしをする

 荷物の盾を壁際に立てかけると、言われた通りに長椅子に腰をかけてみた。

 クッションがよく効いた上等な椅子だ。こんな椅子に座ったのはいつぶりだろうか、ちょっと思い出せない。

 思わず横になって眠りたくなってくる心地よさだが、人様の家なのでさすがにそれは自重した。

 ほとんど待つことなく、ヘレンもこちらにやってきた。

 片手にはワインの瓶を持ち、もう片方の手にはグラスを器用に二つ持っている。

 それらを抱えたまま、ヘレンも長椅子に座った。

 俺の向かいの席にではなく、なぜか俺のすぐ隣にだが。


「どうしましたか?」

「……いや、それがこの家の作法なら従おう」

「いい心掛けですね、ここは私のお城です」


 ヘレンは澄ました顔でそう言いながら、それぞれのグラスに少量のワインを注いでいく。先ほどの食堂で買ったワインだな。


「では、まずは乾杯しましょう」


 そう言いながら、ワインの入ったグラスを掲げた。

 俺も片方のグラスを手に取り、同じように目の高さまで上げる。

 この乾杯の意図は測りかねるが、出された酒は何であれ、ありがたく頂くとしよう。


「それで、今日は一体どうした?」

「あら、不満ですか? 今日一日は私に付き合ってくれる約束でしょう?」

「とぼけないでくれ、いくらなんでも急に距離を詰めすぎだ。酒を飲みながら話をするのなら、どこかの酒場でもできるだろ」

「人がいる場所では話しづらいこともありますよ、お互いに」


 そう言いながら、ワインに口を付ける。


「あなたはあまり自分のことを語ってくれませんからね。聞きたいことも沢山あります」


 飲み干したグラスをテーブルに置くと、彼女は改めて俺のほうに向き直った。


「ラルフ、あなたも貴族の生まれでしょう? オブライト姓はたしか男爵の家系だったはずです」

「……驚いたな、オブライトなどという弱小貴族の存在を知っているとは」


 まったく予想していなかった話題に触れられたため、本当に驚いた。

 俺の出自に関しては、ソードギルドの構成員には誰にも話したことはない。


「以前に、父のことを調べているときに偶然知りました。ゲインマイル伯爵領を分割統治している貴族の中に、オブライトという名前を見つけたので、もしやと思ったのです」


 それについては初耳だ。

 俺は国政についてはまるで興味がない。よく知っている貴族は、オブライト家と直接繋がりがある一つ上の子爵くらいで、あの土地がゲインマイル伯爵領の一部だということさえ、今の今まで知らなかった。


「たしかにその通りだ。それで、俺がその家の者だとして、何が知りたかったんだ?」

「あなたが話したくないというのなら無理強いはしません。ただ、私たち兄妹の境遇と近しいものを感じたので、興味が湧いただけです」


 俺の口調が急にぶっきらぼうなものに変わったことに気づいたのか、ヘレンは慌てて首を横に振った。

 ……いかんな、実家のことを思い出すと、すぐこれだ。


「いや、そんなことはない――俺はオブライト家の六男だよ。上は全員男子だったから、親父としてはどこかへ嫁がせるための娘も欲しかったのだろうが……まあ、生まれてきたのは要らない子ってやつだな」


 後半のほうはどうしても口調が皮肉っぽくなってしまった。誤魔化すように俺もワインを飲み干す。普段はワインの味のことはよく分からないのだが、今日のはやけに渋みが強く感じられた。

 そんな俺の姿を見ているヘレンはというと、特に不快感を示すこともなく静かに話を聞いている。


「続きを聞かせてください。それで、いつ家を出たのですか?」

「……実家にいるのは苦痛で仕方がなかったからな。成人する前の年には、もう家を出た。王都で冒険者をしたかったんだ」

「えっ、成人前の戦士なんてどこも雇ってくれないでしょう?」

「そうだな、だから年齢は誤魔化した」


 これにはさすがにヘレンも驚いたのか、小さく口が開いてしまっている。

 この国では成人前の子供への重労働なども禁止されているため、戦闘職の年齢詐称は、実は立派な犯罪である。


「……意外と行き当たりばったりな生き方をしていたのですね。今のあなたからは想像できません」

「当時は今ほど審査も厳しくなかったんだよ。戦時中だったから人手が不足していたんだ」

「戦時中というと、北のアルザーン帝国……今の北方三国との戦争ですね。話だけは聞いたことがあります」

「そうだ、せっかく王都に来たんだが、世情のせいで冒険者の仕事はほとんど募集されてなくてな。結局、戦争に関わる仕事で食い扶持を稼がざるを得なかった」


 最初のほうこそ伝令兵のような役回りもしたが、戦況の悪化とともに、前線で実際に戦闘に参加する事が多くなった。

 おかげで実戦経験だけは、かなり積むことができた。


「それから五年ほどで戦争は終わった。あまり実感はわかなかったが、アルザーン帝国が内部崩壊して内乱に突入した時点で、この国は勝利したというのが公式発表だったな。内乱のどさくさで帝国の領土をずいぶんと奪ったようだし、結果として国は豊かになった。それからは俺も念願だった冒険者の仕事ができるようになって、そのままズルズルと今に至る感じだ」

「……ちょっと中間を端折りすぎではないですか? 戦争後は、あなたの境遇は何も変わらなかったのですか?」

「報奨金はそれなりに貰えたぞ。新兵にしては、結構活躍したほうだと思う。途中からオブライト家の者であることがバレて、一時的に騎士団に編入され、家名を背負って戦わされたな。上の兄は三人戦死したらしいから、親父もオブライト家の戦果を示すのに必死だったんだろうさ」


 実家にいた頃は、散々要らない子扱いしてきた息子に頼るとは、ほんと身勝手なクソ親父だ。


「戦争後しばらくして親父が亡くなったから、オブライト家の家督は長男が継いだ。その長男も何年か前に病死したそうで、今は俺の一つ上の五男が家督を引き継いでいるよ」

「……先ほどから聞いていて思ったのですが、ラルフは実家のことが嫌いなのですか?」

「嫌いだ」


 はっきり言って嫌いだ。あの家には何一つとして良い思い出がない。

 唯一、五男の兄とだけは立場が似ていることもあって、そこまで仲は悪くもなかったが。


「自分の故郷があるにもかかわらず、向き合うことができないのは悲しいことではありませんか?」

「……何が言いたい?」


 含みのある言葉に少しムッとなった俺は、睨むようにヘレンのほうを向き直った。

 すると突然、ヘレンは俺の胸に飛び込むように身体を預けてきた。驚きながらも、彼女を受け止める。


「あなたはいつも周りのことを気にかけてくれているようで、孤独な人です。本当は誰のことも見ていません。だから一人になると、いつも怖い目をしています。まるで見えない敵とずっと戦い続けているかのように、私には見えていました」


 俺の胸に顔を当てたまま、ヘレンは悲しげな声で言った。


「そんなあなたを見ていると、時々怖くなるのです。明日にでも突然いなくなってしまうのではないかと。一人で街を出ていったら、もう二度と戻ってこないのではないかと……」


 微かに震える彼女の肩に、そっと触れる。

 女性にしてはたくましい体つきだが、やはりその肩は男と比べると、とてもか細く感じられた。


「帰る場所がないのなら、ここがあなたの家になります。いつでもここに帰ってきてください。だからラルフ、どこにも行かないで……」


 胸に頬をすりよせ、懇願するような声でそう訴えてきた。

 前にも同じようなことを言われたことを、ふと思い出した。


「いま、他の女のことを考えてましたね?」

「いや? そんなことはないが?」

「とぼけないでください。どうせ、シャロンにも似たようなことを言われたのでしょう」


 ヘレンは顔を上げて、俺を睨んできた。

 こういう時、女っていうのは本当に鋭いな。


「言われた気もするが、言葉の意味は少し違うんじゃないかな。何より、シャロンは自分より弱い男にはもう興味がないそうだ」

「それを聞いて安心しました。私は今まさに、あなたのことが好きです」


 彼女はそう言うと、もう一度俺の胸に抱きついてきた。

 自分の中ですっかり鈍化していた感情が、このところやけに激しく揺さぶられている。翻弄されっぱなしだ。

 ソードギルドでヘレンと出会ってから、もう四年になるだろうか。

 ギルドの同僚として、訓練に、実戦に、酒宴にと、それなりに一緒に過ごす時間は長かった。同じ時間を過ごす間に、彼女の好意にも薄々気づいていた。しかしはっきりとした告白を受けたのは、これが初めてのことだ。

 もし告白されても、断るつもりでいた。

 今日まで生き抜いてきたとはいえ、戦士である以上は明日の命も知れぬ身だ。無責任な返事などするべきではない。


「ありがとう、ヘレン」


 それにもかかわらず、俺の口から出てきたのは、拒絶の意思ではなかった。

 静かにヘレンを抱きしめ返した。

 彼女の想いに応えられるかどうかは分からない。

 だが、今ここでこの善意の手を払いのければ、俺はこの先もずっと同じ苦しみを抱えて生きていくことになるだろう。

 以前の俺にとって、それは耐えることができないほどの苦痛ではなかったはずなのだが……若い冒険者たちと触れ合っているうちに、俺の中で何かが変わったのかもしれない。ただ、それは決して悪い心境の変化ではない気がした。


「どこにも行かないと、約束してくれますか?」

「約束しよう」


 安請け負いはしない主義なのだが、自分でも意外なほどにためらいなく言い切ることができた。

 言葉にしてしまったことで覚悟も決まり、気持ちも穏やかになった。

 壊れてしまったものはもう元に戻せないが、新しい何かを見つけられそうなら、それを拒むべきではないだろう。

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