第597話 アトラク・ナクア、受肉
アポロヌスは王となった。
地獄域に太平をもたらした英雄として君臨した。バジルの民をはじめとした諸民族に武を示し、その力は認めさせた。そして人々もアポロヌスという男を信じた。最初は夢物語だと馬鹿にする人々も多かったが、実力を示し、成果を積み上げることで実現性を証明していく。
民族間の確執、文化の違い、言葉の違いが壁となり、簡単に事を進めることは叶わなかった。しかし着実にアポロヌスは夢へと近づいていたのだ。
「アポロヌス陛下」
「ん? ルイネか。どうしたんだ」
「陛下の国は大きくなりました。もはや冒険ばかりというわけにはいきません」
「それは困ったな。俺は地獄域の探索が好きなんだけれどね」
かつてはバジルの民の幼子だったルイネも、今や立派な大人だ。最も古いアポロヌス王の盟友として、国の運営に力を尽くすようになっていた。
「封印塔の建設も順調です。いずれは陛下が悪魔どもを滅さずとも平穏が訪れるでしょう。それに陛下が各地の諸侯に配られた
「待て待て。俺は何も分からんぞ」
「……はぁ」
それでは困ると言わんばかりの分かりやすい溜息だった。
「我が娘を御付きにします。あの子は陛下を補佐するため、厳しく躾けてまいりました。陛下の足りぬところをきっと助けてくれることでしょう」
「ああ。それがいい。俺は所詮、流れの冒険家。成り上がりの王だ」
「ですがあなたの器に惚れ込み、多種多様な人々が集まりました。陛下こそが安定を与えてくださる方だと、皆が信じているのです」
「さて、どうかな。俺に王の器があるのかどうか。支配者には向いていないよ」
そんな風に自虐するアポロヌスを見て、ルイネは笑った。
こうも鈍い人なのかと呆れてしまう一方、だからこそアポロヌスという王に付き慕う価値がある。
「陛下はそのままでよいのです。あなたは天の星。私たちは皆、手を伸ばし求めています。陛下の光を求めています。あなたを仰ぎ見るため、私たちは力を尽くしましょう。ですからどうか、輝いてください。あなたのまま、あなたの王道を見せてください」
アポロヌスは支配者に向いていない。
だが新たな形の王として、人々からの希望を一身に受けていた。
周辺の有力諸侯たちもアポロヌスには好意的だ。北方に強大な国家が集中していることもあり、地獄域周辺の国家群は団結という手段を選んだ。
「ルイネ、俺たちは安全と安心を作ろう。俺たちの国の外には、他にも迷宮があるらしい。その全てを封印し、人々で協力し合おう。世界には様々な人がいる。多くが集まれば、世界はもっと良くなるはずさ」
「期待しています。悪魔と呼ばれた私たちバジルの民すら受け入れてくださった陛下に」
「ああ。俺は誓うよ。俺に集った民を守ると」
『
不意に感じた声は、警告を含んでいた。
だがこの時、アポロヌスは無視した。その時になればきっと乗り越えられる。どんな荒波であろうと、切り抜けて見せる。そんな傲慢が彼の内に芽生えつつあった。
◆◆◆
(あの時の……声。俺は侮っていた。俺ならばどんなことでもできると考えていた。あまりにも傲慢だ)
封印の塔を作って地獄域を封じ、それを守るための国も建てた。この安寧を広く轟かせるため、仲良くなった諸侯たちにも建国を訴え、連合国家として成立させた。六年前のことである。
(どこで間違えてしまったのだろうな。俺たちの仲間を増やそうと、ルーインに手を出したことだろうか。サンドラ帝国の動きを捉えきれなかったことか。そもそも、国を作ったことが間違いだったのか……?)
積み上げてきたものが壊れていく。
『
内で響く声は、これこそが運命であると嘯く。アポロヌスが認められないと足搔いても、滅びの運命ばかり見せられる。
可能性はずっと見えていた。
封魔王国が滅びるという運命をずっと語られ続けていたのだから。
「策は完璧だった。欠けはなかったはずだ。それでも尚、この有様。これが運命だったというのか」
アポロヌスの目の前には、全身を
抵抗しようとしても虚空より現れた無数の黒い糸が絡めとり、一切の動きを制限していた。
「死を受け入れることを勧めるよ。
『我、を……』
「
アポロヌスはサンドラ帝国が大陸統一戦争を始めてすぐ動き始めた。各国と連携を取り、協力を取り付け、必勝の策すらも講じた。
封魔連合王国の滅びという運命を回避するためだ。
「君は俺たちを侮らず、同じく策を以て攻略してきた。力づくでも制圧できるだけの戦力差があったというのに。俺の国が滅びることは、変えられない
『
運命はそう答える。
アポロヌスはただ、落胆していた。
「初めから俺が全てを片付けるべきだった。サンドラ帝国が動き始めた時点でサンドラ帝国に乗り込み、炎帝を討てば良かった。そうだろう?」
もはや動けぬ炎帝に、アポロヌスは右手を差し向けた。青白い光が収束していく。最初に手に入れた思い入れのある
同化の証たる天輪が力強く、一番星の如く輝いた。
『我は、世界、の……』
「残念だ。世界は奪い合うものではなく、分け合い、与え合うものだと俺は思う。誰か一人を唯一として掲げるのではなく、皆で協力する世界こそが理想だよ」
『戯、言を』
「誰もが戯言だと思うことを、俺は真実にしてみせる。その覚悟で王となった。さぁ、問答はこれまでだ。終わらせるよ」
光線が解き放たれ、炎帝の胸を貫いた。
そのまま光は少しずつ大きくなり、炎帝の内側から炸裂する。魔力を分解する反位相の魔力だ。炎帝は塵一つ残さず、この世から消滅した。
「この戦いを終わらせなければ」
『
炎帝を討ち取ったことで、暴れていた
事実、黄金の巨兵は今も動き続け、王国を蹂躙している。
「これも運命だった。いいだろう」
『
「……後のことはルゥナに任せている。後悔はないさ。だから紡ぎ直してくれ」
『
アポロヌスは
だが炎帝に放った暴力的な輝きとは異なり、どこか優しさに満ちていた。
『
真っ白な空の中に、黒い穴が幾つも生じる。そこから無数の黒い糸が這い出てきて、壊滅した封魔王国へと降り注いだのだ。それらの糸は瓦礫に触れ、あるいは遺体に触れ、蠢きつつ紡いでいく。壊され、不可逆となったものを縫い合わせていく。
崩れた建物は元通りに、砕けた血肉は綺麗な亡骸に、穴の開いた道路は埋められ、手折られた花すら咲き誇る。傷ついた者たちもまた、走り回れるほど元気になっていた。
「ああ、王様が……」
「凄い。痛みがないよ」
「見て! 私たちの家も直っていくわ!」
「王様が勝ったんだ!」
勝利を知らしめるかのように、封印の塔が編み込まれていく。瓦礫になり果てたそれもまた、黒い糸によって紡ぎあげられ、元の威容を取り戻す。アポロヌスが掲げる太陽の下、再び白亜の塔は取り戻された。
象徴たる封印の塔が瞬く間に再建され、生き残った人々に希望が灯る。
その一方で、黒い糸は黄金の巨兵にも降り注いでいた。
「見て! 止まったよ!」
「きっと王様の力だ! 救ってくれたんだ!」
巨兵はただそこにいるだけで修復の邪魔になる。そこで黒い糸は、巨兵を封印の塔へと編み込み始めた。白亜の塔に黄金が入り交じり、調和していく。元の倍ほどの高さになってしまったものの、かつてより遥かに頑丈な塔へと仕上がった。
「馬鹿な。炎帝陛下が敗れたというのか……?」
しかし
そんな彼らにも黒い糸は降り注ぎ、深く突き刺さる。
すると次の瞬間、全身に黒い痣のようなものが浮かび上がった。
「なるほど。
『
「これなら……
光の柱が天地を結んだ。
黒い糸によって封魔王国が紡ぎ直されていく中、魔を滅ぼす光が
「闇は必ず晴れる。夜はいつか明ける。そして太陽もまた、いずれ沈むものだ」
どこか寂しそうにアポロヌスは呟いた。
声色はどこか暗い。それもそのはずだ。これは大きな決断を迫られる契約だったのだから。
『
「分かっている。少しばかり惜しむ気持ちもあるな」
『
「破るつもりはないさ。そうしようとしても、こちらに選択肢はない。既に繋がれているからね」
『
虚空の穴より這い出た糸は、ゆっくりとアポロヌスに絡みついていく。抵抗はしなかった。それが無意味なことで、またこれは決定事項であることを知っていたからだ。
『
糸はアポロヌスへと編みこまれていく。
既に肉体は明け渡されている。アポロヌスも抵抗はしなかった。黒い痣のようなものが生じ、強い苦しみに襲われる。だが耐えきれないほどではない。
(なんだか眠いな)
体の痛みは徐々に心地よさへと変わっていく。身体が温かさに包まれ、それでいて感覚が失われていくようであった。
(運命の神に見初められた果てがこの終わりか。夢半ばで命尽きることは惜しい。だけど俺の意思は必ず引き継がれる。それがアトラク・ナクアとの約束だ。ならば心配しなくてもいい。それに仲間たちもいる)
すぐに目が見えなくなり、音も消えた。もはや匂いも、皮膚の感覚もない。ただただ、深みへ沈んでいくようだ。
(思えば随分長かった。地獄域を平定し、国を作り……ただの村民だった俺が一国の城主か。悪くない人生だったよ)
そうして、アポロヌスという男はこの世から消えた。
魂は
後に訪れるのは本当に救いか、あるいは滅びか。
アポロヌスは見届けることなく意識の全てを失った。深淵の魔に飲み込まれて。
◆◆◆
「アイリス、セフィラ、出番が来たぞ」
『なのですよ!』
『うん!』
封魔王国は今、復活の喜びによって満ち溢れている。国は破壊され、悪魔や
喜ばしいことだろう。
夜明けのように思ったことだろう。
「想定通り、アトラク・ナクアが受肉した。奴を滅ぼし、結合呪詛を奪う。作戦開始だ」
封魔王国の受難は終わらない。
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